苦しみは仏さまからの贈りもの。九死に一生の僧侶が水子供養に込めた願い(常光円満寺住職・藤田晃秀)
2025.08.04
水子供養のお寺として知られる常光円満寺(大阪府・高野山真言宗)の住職・藤田晃秀さんは、24歳の時に大病を患い、九死に一生を得る体験をします。
「仏さまにつないでいただいたこの命を、他人さまの笑顔のために使いたい」と話す藤田住職。
もともとは、地域のお檀家さんに支えられるごく普通のお寺だった常光円満寺が、どのようにして、府内外から多くの方がお参りに訪れる、水子供養のお寺として知られるまでになったのか。
壮絶な半生と、お寺の歩み、そして水子供養への想いについて藤田住職が語ります。

大病を経て気づいた、仏さまからいただいた”いのち”
こんにちは。常光円満寺の藤田晃秀と申します。
私は、24歳の時に大病を患い、九死に一生を得る体験をしました。それからというものの、仏さまからいただいたこの”いのち”を、他人様の笑顔のために使おうと心に決めて、日々僧侶として務めております。
私がかかった病気は、再生不良性貧血というもので、自ら血液を作れなくなる厚生労働省の指定難病です。闘病生活はそれはそれは壮絶なものでした。ご興味がある方は、ぜひこちらの闘病記を読んでいただけますと幸いです。
(※藤田さんご自身の手による闘病記はこちら)
幼い頃からずっといじめられてきた私は、小中高とあまりいい思い出がなく、人生に幸せを感じることがほとんどありませんでした。そんな中で、追い打ちをかけるように難病を患い、心も体もボロボロになってしまいました。
「自分は、いったい何のために生きているのだろう」と、苦しい日々でしたが、病を乗り越えたことで気づかせていただいたことがあります。
「自分の周りには自分を大事に想ってくれている人がたくさんいるんだ」
「幸せの種はあちこちにあふれているんだ」…と。
治療のための骨髄を提供してくれたのは弟でした。骨髄移植は、骨髄を提供するドナーにも大変な負担がかかります。骨髄液を採取するときには、言葉にならないほどの激痛を伴うのですが、弟は、100ヵ所にもおよぶ骨に穴をあけ、私のために骨髄液を提供してくれたのです。
そして、両親もずっと私のことを見守ってくれていました。ただ一人、無菌室の中で苦悶する私の姿を、窓越しに涙ながらに見守っていた両親の姿は、いまもはっきり覚えています。
また、同じ血液の病気で闘病していた患者仲間。特に子どもたちは病気にも関わらず元気いっぱいで、一人落ち込んでいる私にたくさんの勇気をくれました。お医者さまも、看護師の方々も、みんなやさしかった。
これまで私はずっと自分のことだけを考えて生きてきました。でも、死の淵に立たされて、そこから生還が許された時に、たくさんの人に支えられ、願われて生きていることに気づけたのです。

インターネット上での相談窓口
退院後、私は実家である常光円満寺に戻りましたが、当時のお寺は、父と叔父がしっかりと法務をこなすことができていたため、私にはすべきことがありませんでした。
そんな中で、「これまで精神的にも経済的にも辛い想いをさせてきた両親に、今の私に何ができるだろうか」、そう考えて手探りで始めたのが、お寺のホームページ作りでした。
当時はまだまだインターネットの黎明期。ホームページを持つお寺が少なかった時代です。素人の手作りですから、仕上がりはむちゃくちゃでしたが、完成したホームページを見て、両親がものすごく喜んでくれたことが、私にとっても大きな励みとなりました。
その後、少しずつ改良を重ねていきながら開設したのが「お寺のインターネット相談窓口」です。
実験的に始めた取り組みでしたが、意外とアクセスがあり、にわかにその数も増え、他人には簡単に話せないような、心の奥深くに抱えたご相談が次々と寄せられるようになったのです。
顔も名前も明かさないからこそ心の底の悩みを打ち明けられるのは、インターネットがもたらした大きな功績のひとつだと思います。

水子は絶対に祟らない!
インターネットで最も多い相談内容が、「水子」についてでした。
当時は「水子の霊は祟る」という考え方が一般的でしたが、私自身は「本当に水子は祟るのだろうか」と少し疑問に感じていました。
ある壮絶なご経験をされた女性から、ご相談を受けたときのことです。どのような言葉でお返事をすればよいのか、私は深く悩みました。その方の想いに寄り添えば寄り添うほど、「水子の祟り」などという言葉を使うことは、とてもできませんでした。
「彼女の苦しみをとりのぞく言葉は何だろうか」
そのように考え、私なりに水子に関するたくさんの文献や仏典をあたりました。すると「水子が祟る」だなんて、どこにも書いていないんですよね。
私は、次のようなお返事をいたしました。
「水子は祟らないですよ。むしろ水子さまは人間社会の穢れを知らないため、心は宝石のように純粋です。無限の優しさに満ち溢れた誰よりも仏さまに近いお心をお持ちです。とてもやさしく、そしてあたたかい霊と理解してあげてくださいね」
すると、相談者さまから喜びと感謝にあふれたお返事をいただいたのです。
こうした経験を何度も繰り返すと、目の前(と言ってもネット越しですが…)の人の喜びが、私自身の喜びになることに気づき、それが生きがいとなっていきます。
ネット相談を続けるうちに、水子の悩みを抱えている方がたくさんいることが分かりました。そこで、これまで寄せられたご相談とその回答をまとめたものをウェブサイトに公開したことにより、お寺へのアクセスはさらに増えることとなります。
やがて、「あなたに水子供養をしてほしい」という声を多くいただくようになり、こうして、常光円満寺は水子供養のお寺として新たな歩みを始めたのでした。
苦しさ、悲しみは、仏さまからの贈り物
常光円満寺は、府内や全国からお参りをいただくお寺へと成長させていただいております。とてもありがたいことです。
中には、水子供養をきっかけとして、そこからさらに深くお寺とご縁を結んで下さる方もたくさんおられます。安産祈願やお宮参り、葬儀や法事、さらにはお寺の法要やイベントに参加して下さる方も。タメ口で話しかけてくるほどに親しく感じて下さる人もいて、嬉しい限りです。
人生は、苦しいものです。生きていると、いろんな辛いこと、悲しいことがあります。
でも、苦しい想いをするからこそ、人のやさしさに気づき、感謝の心が自分の内側から生まれてくるのかもしれません。
私は病気にかかり、本当に、辛く、痛く、苦しい思いをしました。でも、そのおかげさまで、仏さまから本当の”いのち”を授けてもらいました。
水子で苦しむお母さんやお父さんたちも、その水子ちゃんというあたたかい存在のおかげで、”いのち”の大切さに気づき、仏さまとのご縁を結ぶことができたのかもしれません。
苦しい経験があるからこそ、それを乗り越えることで、いままで感じられなかったことに気づくことができます。「苦しい」「悲しい」と感じることは、仏さまからの贈り物なのです。
そうは言うものの、自分一人ではどうしても耐えきれないという方は、ぜひとも常光円満寺に足を運んでみてください。ここには、心安らかな仏さま、僧侶、職員がたくさんいます。
この”いのち”は、仏さまから授けられたかけがえのないもの。だからこそ、あなたが少しでも笑顔になれたら――それが私にとって、何よりのよろこびです。
