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	<title>鬼滅の刃 &#8211; まいてら</title>
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	<description>安心の寺院・僧侶紹介。あなたにピッタリの探し方</description>
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		<title>鬼滅の刃×仏教（2）己を鼓舞せよ。唯識の視点で竈門炭治郎と禰豆子に幸せの本質を見る。（教西寺 住職・三宅教道）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/kyosaiji37_20201225/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[三宅 教道]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Dec 2020 23:24:36 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[※前回（ありがとう悲しみよ。竈門炭治郎に見る慈悲）はこちら 　「鬼滅きめつ法話」第2回。今回は、アニメで観 みて「ぐっ！」ときた「己 おのれを鼓舞 こぶせよ」からです。『鬼滅の刃』（著：吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミック [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/05/18_04_03-14-43-01_edited-2-280x280.png" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a"><ruby>三宅教道<rt>みやけきようどう</rt></ruby></p><p class="c_profile__txt-a">小学生の<ruby>頃 <rt>ころ</rt></ruby>は教西寺の子ども会に<ruby>参加 <rt>さんか</rt></ruby>していました。大学生になって、<ruby>京都 <rt>きようと</rt></ruby>のお寺で子ども会を行うサークル<ruby>活動 <rt>かつどう</rt></ruby>に<ruby>熱中 <rt>ねつちゆう</rt></ruby>。中学・高校の先生をして、<ruby>宗教 <rt>しゆうきよう</rt></ruby>の<ruby>授業 <rt>じゆぎよう</rt></ruby>を<ruby>担当 <rt>たんとう</rt></ruby>しました。教西寺に<ruby>戻 <rt>もど</rt></ruby>ってからは、PTA会長などで<ruby>地域 <rt>ちいき</rt></ruby>に<ruby>貢献 <rt>こうけん</rt></ruby>しつつ、お寺では「<ruby>寺子屋 <rt>てらこや</rt></ruby>」や「お<ruby>泊 <rt>とま</rt></ruby>り会」や「<ruby>影絵劇 <rt>かげえげき</rt></ruby>」など、いろいろなところで子どもにお話しています。<br />
</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/event/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>教西寺寺院ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<p>※前回（ありがとう悲しみよ。竈門炭治郎に見る慈悲）は<a href="https://mytera.jp/paper/kyosaiji37_20201110/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a></p>
<p><em>　</em>「<ruby>鬼滅<rt>きめつ</rt></ruby>法話」第2回。今回は、アニメで<ruby>観 <rt>み</rt></ruby>て「ぐっ！」ときた「<ruby>己 <rt>おのれ</rt></ruby>を<ruby>鼓舞 <rt>こぶ</rt></ruby>せよ」からです。『鬼滅の刃』（著：吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス）の一ファンとして、感じたことを書かせていただいています。『鬼滅の刃』を知らない方にも読んでいただけると<ruby>嬉 <rt>うれ</rt></ruby>しいです。</p>
<h2 class="c_header_post-b">己を鼓舞せよ</h2>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/12/paper_kyosaiji37_20201227-1-1024x630.jpg" alt="" width="640" height="394" class="alignnone size-large wp-image-26005" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/12/paper_kyosaiji37_20201227-1-1024x630.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/12/paper_kyosaiji37_20201227-1-300x185.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/12/paper_kyosaiji37_20201227-1-768x473.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/12/paper_kyosaiji37_20201227-1.jpg 1300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<blockquote><p>「真っ直ぐに前を向け&#x203c;　己を鼓舞しろ&#x203c;　頑張れ　炭治郎　頑張れ&#x203c;<br />
俺は今までよくやってきた&#x203c;　俺はできる奴だ&#x203c;」</p>
<p>『鬼滅の刃』第24話（著：<ruby>吾峠呼世晴<rt>ごとうげこよはる</rt></ruby>・集英社ジャンプコミックス・第3巻）</p></blockquote>
<p><em>　</em>主人公・<ruby>竈門炭治郎<rt>かまどたんじろう</rt></ruby>が、鬼に立ち向かっていくときのセリフです。炭治郎は自分に向けて「頑張れ炭治郎」と言っています。炭治郎は<ruby>怪我 <rt>けが</rt></ruby>をしており、万全の<ruby>状態 <rt>じようたい</rt></ruby>ではありません。身体の<ruby>痛 <rt>いた</rt></ruby>みに<ruby>耐 <rt>た</rt></ruby>えつつも、強力な鬼に対抗していきます。その戦いの<ruby>最中 <rt>さなか</rt></ruby>、自分が失敗する<ruby>姿<rt>すがた</rt></ruby>・負ける姿を「怪我のせいで悪い<ruby>想像 <rt>そうぞう</rt></ruby>ばかりしてしまう」のです。そのとき、<ruby>師匠 <rt>ししよう</rt></ruby>の言葉を思い出します。それをきっかけに心を切り替え、「俺は今までよくやってきた&#x203c;」と冒頭の言葉を発します。人から「頑張る」ことを強要されるのはしんどい人もいるかもしれませんが、炭治郎はこの自らの言葉に心を<ruby>奮 <rt>ふる</rt></ruby>い立たせ、鬼に勝利することができました。</p>
<p><em>　</em>現代に生きる私たちは、<ruby>実際 <rt>じつさい</rt></ruby>は鬼と戦うことはありません。ですが、日々の<ruby>暮 <rt>く</rt></ruby>らしの中で<ruby>悩 <rt>なや</rt></ruby>み苦しみ、<ruby>傷 <rt>きず</rt></ruby>つき落ち込むことも沢山あると思います。私たちはどのようにして心を安定させ、前を向いて人生を歩むことができるでしょうか。仏教思想の「<ruby>唯識<rt>ゆいしき</rt></ruby>」をもとに<ruby>紐解 <rt>ひもと</rt></ruby>いていきたいと思います。</p>
<h2 class="c_header_post-b">「唯識」とは</h2>
<p><em>　</em>古くインドで成立した「唯識」という思想があります。</p>
<blockquote><p>「あらゆるものごとは、ただ心が<ruby>映 <rt>うつ</rt></ruby>し出した<ruby>表象<rt>ひようしよう</rt></ruby>であるとする思想」</p>
<p>『浄土真宗辞典』浄土真宗本願寺派総合研究所編纂・本願寺出版社</p></blockquote>
<p><em>　</em>唯識とは、唯（ただ）私の<ruby>認識<rt>にんしき</rt></ruby>のみがあること。私の認識の他にはいかなるものも実在しない、ということです。<br />
<em>　</em>例えば、同じ「りんご」を見ても、人によって<ruby>捉 <rt>とら</rt></ruby>え方が違います。「赤くて美味しそう」と思う人、「良いにおい」と思う人、「かたいかな」と思う人、「今年は気候が良かったから豊作だった」と思う人、「何人で分けるかな」と思う人、様々です。<br />
<em>　</em>また、同じ「好き」であったとしても、好きの強さは違いますし、硬さ・味・酸味などどのように好きなのかも違います。私が見ている「りんご」は、私だけのもの。私の認識の中にしかないものです。あらゆるものは自分を離れて存在することはありません。</p>
<h2 class="c_header_post-b">苦しみの原因は自分の心</h2>
<p><em>　</em>苦しみにも、同じことが言えます。私は雨が降ると、<ruby>鬱陶 <rt>うつとう</rt></ruby>しく感じることが多いです。原付バイクでお参りに行くのが難しくなるからです。でも「今年は<ruby>渇水 <rt>かつすい</rt></ruby>だから節水しましょう」というときに降ってくれれば、ありがたい恵みの雨と感じます。つまり、雨を鬱陶しいものにしているのは自分であり、ありがたいものにしているのも自分なのです。</p>
<p><em>　</em>苦しみの原因は「私の認識」「私の心」です。雨そのものではありません。</p>
<h2 class="c_header_post-b">幸せは自分の心がつくる</h2>
<p><em>　</em>私は以前学校の先生をしていたとき、ある生徒に「にやけた顔が気持ち悪い」と言われ、傷つきました。自分に向けられた悪口と思ったからです。当時は腹が立って悲しい気持ちばかりでした。ですが時間がたち、また仏さまの教えを聞いたことで、その生徒の言葉にも「ほんの一言で人は傷つくこと」「十人十色、私を好きな人も嫌いな人も必ずいること」などを気づかせてもらえました。それを教えてくれたことに「ありがとう」と思えるようにもなってきました。<br />
<em>　</em>まだ思い出すと胸が痛いこともあるので、全く解消されたというわけではないのですが、「悪口」の見方を変えて「教え」と考えられることも多くなってきました。あらゆること、病気や死といった<ruby>避 <rt>さ</rt></ruby>けられない苦悩も、人の心はよろこびや幸せに変えていくことができるのだと思います。</p>
<p><em>　</em>炭治郎の妹、<ruby>禰豆子<rt>ねずこ</rt></ruby>はこんなことを言っています。</p>
<blockquote><p>「<ruby>貧 <rt>まず</rt></ruby>しかったら不幸なの？　<ruby>綺麗 <rt>きれい</rt></ruby>な着物が着れなかったら可哀想なの？　そんなに誰かのせいにしたいの？」</p>
<p>「幸せかどうかは自分で決める　大切なのは“今”なんだよ　前を向こう」</p>
<p>『鬼滅の刃』第92話（著：吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス・第11巻）</p></blockquote>
<h2 class="c_header_post-b">「ありがとう」を探していく</h2>
<p><em>　</em>今まで「悪い」と思っていたことは、どうやら自分が決めていただけなのかもしれません。しかし、それを「良い」と思えるようになることはなかなか簡単なことではありません。炭治郎は自分の弱さを知り、<ruby>厳 <rt>きび</rt></ruby>しい<ruby>鍛錬 <rt>たんれん</rt></ruby>をし、家族や師に支えられていることを感謝していました。だからこそ、今の自分を認める言葉、自分を奮い立たせる見方ができたのではないでしょうか。<br />
<em>　</em>私たちは、日々の暮らしの中で、仏さまの教えを聞き、よりどころとしていくことで、自分に気づくことができます。できない自分をそのままに認めつつ、「ありがとう」を探して自分の心を整え、幸せを感じる人生を歩んでまいりましょう。</p>
<p>合掌</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/09/0037_01_main.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">愛知県名古屋市昭和区</div><div class="c_tera__title-a"><ruby>教西寺<rt>きようさいじ</rt></ruby></div><div class="c_tera__txt-b">笑顔がつながる　明るい朱色のお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/event/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<title>鬼滅の刃×仏教（１）ありがとう悲しみよ。竈門炭治郎に見る慈悲（教西寺 住職・三宅教道）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/kyosaiji37_20201110/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[三宅 教道]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 11 Nov 2020 03:29:19 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　お寺に遊びに来た小学生の女の子たちが、「鬼滅 きめつごっこ」をしていました。女性 じよせいキャラクター（胡蝶 こちょうしのぶさん？）の真似 まねで、連 つれだってちょこちょこお出かけしていました。すごくかわいかったので [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/05/18_04_03-14-43-01_edited-2-280x280.png" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a"><ruby>三宅教道<rt>みやけきようどう</rt></ruby></p><p class="c_profile__txt-a">小学生の<ruby>頃 <rt>ころ</rt></ruby>は教西寺の子ども会に<ruby>参加 <rt>さんか</rt></ruby>していました。大学生になって、<ruby>京都 <rt>きようと</rt></ruby>のお寺で子ども会を行うサークル<ruby>活動 <rt>かつどう</rt></ruby>に<ruby>熱中 <rt>ねつちゆう</rt></ruby>。中学・高校の先生をして、<ruby>宗教 <rt>しゆうきよう</rt></ruby>の<ruby>授業 <rt>じゆぎよう</rt></ruby>を<ruby>担当 <rt>たんとう</rt></ruby>しました。教西寺に<ruby>戻 <rt>もど</rt></ruby>ってからは、PTA会長などで<ruby>地域 <rt>ちいき</rt></ruby>に<ruby>貢献 <rt>こうけん</rt></ruby>しつつ、お寺では「<ruby>寺子屋 <rt>てらこや</rt></ruby>」や「お<ruby>泊 <rt>と</rt></ruby>り会」や「<ruby>影絵劇 <rt>かげえげき</rt></ruby>」など、いろいろなところで子どもにお話しています。<br />
</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/event/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>教西寺寺院ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<p><em>　</em>お寺に遊びに来た小学生の女の子たちが、「<ruby>鬼滅 <rt>きめつ</rt></ruby>ごっこ」をしていました。<ruby>女性 <rt>じよせい</rt></ruby>キャラクター（<ruby>胡蝶 <rt>こちょう</rt></ruby>しのぶさん？）の<ruby>真似 <rt>まね</rt></ruby>で、<ruby>連 <rt>つ</rt></ruby>れだってちょこちょこお出かけしていました。すごくかわいかったので、私はとてもあたたかい気持ちになりました。<br />
<em>　</em>私は『鬼滅の<ruby>刃 <rt>やいば</rt></ruby>』（著：<ruby>吾峠呼世晴<rt>ごとうげこよはる</rt></ruby>・集英社ジャンプコミックス）の一ファンとして、楽しく読ませて（<ruby>観 <rt>み</rt></ruby>させて）いただいています。読んでいる間は他のことを<ruby>忘 <rt>わす</rt></ruby>れられるので、自分をケアする時間にもなっています。<br />
<em>　</em>『鬼滅の刃』に出会ったきっかけは「<ruby>仏教 <rt>ぶつきよう</rt></ruby>っぽい」という<ruby>噂 <rt>うわさ</rt></ruby>です。<ruby>初 <rt>はじ</rt></ruby>めて読んだときはあっという間に読み進めてしまい、そうだっけ？と思いました。そこで、今回<ruby>改 <rt>あらた</rt></ruby>めて、仏教っぽいところをちょっと考えてみました。<br />
<img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/11/paper_kyosaiji37_20201110-1024x630.jpg" alt="" width="640" height="394" class="alignnone size-large wp-image-25574" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/11/paper_kyosaiji37_20201110-1024x630.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/11/paper_kyosaiji37_20201110-300x185.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/11/paper_kyosaiji37_20201110-768x473.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/11/paper_kyosaiji37_20201110.jpg 1300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<h2 class="c_header_post-b">悲しみを知り、強くなれた</h2>
<p><em>　</em>アニメ『鬼滅の刃』の<ruby>主題歌 <rt>しゆだいか</rt></ruby>「<ruby>紅蓮華 <rt>ぐれんげ</rt></ruby>」、とてもカッコイイですね。アニメが始まりこの歌が流れると、ドキドキワクワクします。この歌のサビの部分、次の<ruby>歌詞 <rt>かし</rt></ruby>が気になりました。</p>
<blockquote><p>「<ruby>誰 <rt>だれ</rt></ruby>かのために強くなれるなら<br />
<em>　</em><em>　</em>ありがとう　悲しみよ」</p>
<p>『紅蓮華』　歌：LiSA　作詞：LiSA　作曲：草野華余子</p>
<p><em>　</em><em>　</em>※アニメでは「ありがとう悲しみよ」は「何度でも立ち上がれ」に<ruby>変更 <rt>へんこう</rt></ruby>されています。</p></blockquote>
<p><em>　</em>「悲しみ」に「ありがとう」って<ruby>不思議 <rt>ふしぎ</rt></ruby>な感じがしませんか？</p>
<p><em>　</em>主人公・<ruby>竈門 <rt>かまど</rt></ruby><ruby>炭治郎 <rt>たんじろう</rt></ruby>は<ruby>鬼 <rt>おに</rt></ruby>によって家族を<ruby>失 <rt>うしな</rt></ruby>い、たった一人生き<ruby>残 <rt>のこ</rt></ruby>った妹・<ruby>禰豆子 <rt>ねずこ</rt></ruby>も鬼になってしまい、大きな悲しみに<ruby>包 <rt>つつ</rt></ruby>まれました。そして、妹を人間に<ruby>戻 <rt>もど</rt></ruby>すため、鬼に勝つため、<ruby>修行 <rt>しゅぎょう</rt></ruby>をします。<br />
<em>　</em>炭治郎は悲しみを<ruby>体験 <rt>たいけん</rt></ruby>したから、他の人にはそんな悲しみに出会ってほしくない。だから人々を守りたい。それが「強くなれる理由を知った」（『紅蓮華』）ということです。<br />
<em>　</em>打ちのめされたり負けたりしながらも、自分を<ruby>鍛<rt>きた</rt></ruby>えて強くなります。強くなって、人々を守れる力を持った時に、自分がなぜ強くなれたのかを<ruby>振 <rt>ふ</rt></ruby>り返ると、その原点は「悲しみ」だったと気づいたのです。今、人々を「守れる」のは、あの「悲しみ」があったから。だから、「ありがとう　悲しみよ」（『紅蓮華』）と悲しみに<ruby>感謝 <rt>かんしゃ</rt></ruby>できるのです。</p>
<h2 class="c_header_post-b">世の中は悲しみに<ruby>満<rt>み</rt></ruby>ちている</h2>
<p><em>　</em>一方、私たちはどうでしょうか。<br />
<em>　</em>「鬼滅の刃」の世界のように、鬼に命を<ruby>奪 <rt>うば</rt></ruby>われる、ということはありません。ですが、私は毎日生きていて、「悲しみ」の<ruby>絶 <rt>た</rt></ruby>えない人生を歩んでいると実感しています。大きな悲しみは命すら投げ出したいと思うことがありましたし、<ruby>日常的 <rt>にちじょうてき</rt></ruby>にはささいな言葉のやり<ruby>取 <rt>と</rt></ruby>りでも<ruby>傷 <rt>きず</rt></ruby>つく自分がいます。<br />
<em>　</em>他人に対しても、「悲しみ」の中にいる人を<ruby>助 <rt>たす</rt></ruby>けたくても、何の力になれないことも数<ruby>限 <rt>かぎ</rt></ruby>りなくあります。</p>
<p><em>　</em>炭治郎のように、「悲しみ」を<ruby>糧 <rt>かて</rt></ruby>にして強くなり、他人を「悲しみ」から守る。<br />
<em>　</em>それを<ruby>難 <rt>むずか</rt></ruby>しいと感じる私は、何をしたら良いのでしょうか。</p>
<h2 class="c_header_post-b"><ruby>慈悲 <rt>じひ</rt></ruby>に<ruby>救 <rt>すく</rt></ruby>われる</h2>
<p><em>　</em>ところで、<ruby>仏教語 <rt>ぶつきようご</rt></ruby>に「<ruby>慈悲<rt>じひ</rt></ruby>」があります。<ruby>仏 <rt>ほとけ</rt></ruby>さまのいつくしみの心のことです。<br />
<em>　</em>なぜ、「<ruby>慈 <rt>じ</rt></ruby>」とともに「<ruby>悲 <rt>ひ</rt></ruby>」があるのでしょう。</p>
<ul>
<li>人々をいつくしんで楽を<ruby>与 <rt>あた</rt></ruby>えることを「慈」</li>
<li>人々を<ruby>憐 <rt>あわ</rt></ruby>れみいたんで苦を<ruby>抜 <rt>ぬ</rt></ruby>くことを「悲」</li>
</ul>
<p><em>　</em>と<ruby>説明<rt>せつめい</rt></ruby>されます。</p>
<p><em>　</em>「悲」とは、他人の悲しみを知り、自分も同じ気持ちになって悲しむことです。人は、自分の悲しみをわかってもらえるだけで救われるのです。</p>
<p><em>　</em>炭治郎は、「鬼にすら<ruby>同情心 <rt>どうじようしん</rt></ruby>を持っている」（マンガ第３話）と<ruby>師匠 <rt>ししよう</rt></ruby>に思われるほど、<ruby>敵 <rt>てき</rt></ruby>であった相手にすら悲しみを感じ取ります。炭治郎は、鬼をやっつけたとき、その鬼の悲しみを知ります。鬼は、自分の悲しみを炭治郎が知ってくれたことで、心救われて消えていきます。</p>
<p><em>　</em>私が高校の先生をしていたとき、外国に一年間<ruby>留学 <rt>りゆうがく</rt></ruby>に行く<ruby>生徒 <rt>せいと</rt></ruby>がいました。その子に「<ruby>希望 <rt>きぼう</rt></ruby>もあるけど、不安や<ruby>寂 <rt>さび</rt></ruby>しさもありますよね。そういったことも話して良いんですよ」と<ruby>伝 <rt>つた</rt></ruby>えました。<ruby>周 <rt>まわ</rt></ruby>りの友達からは「<ruby>頑張 <rt>がんば</rt></ruby>って」と言われ<ruby>続 <rt>つづ</rt></ruby>けていたその子は、それまで不安を出せませんでした。そのとき、自分の<ruby>抱 <rt>かか</rt></ruby>えている悲しみを話すことができて、ほっとしたそうです。</p>
<p><em>　</em>私も、自分の悲しみを他人に<ruby>聞 <rt>き</rt></ruby>いてもらうだけで、（その出来事自体は<ruby>解決 <rt>かいけつ</rt></ruby>しなくても）心が軽くなったことがあります。<br />
<em>　</em>人は、自分の悲しみをわかってもらえるだけで救われるのです。</p>
<p><em>　</em>楽しい気持ちも悲しい気持ちも、相手と「全く同じ気持ち」になることは、仏さましかできないといわれます。<br />
<em>　</em>しかし、他人の「楽しみ」「悲しみ」を聞き、「そのままに受け止める」ことは私にもできるかもしれません。他人の悲しみを知ることで、その人の悲しみを<ruby>減 <rt>へ</rt></ruby>らすことができます。「悲しみ」は人を救うことなのです。</p>
<p><em>　</em>だから、「ありがとう、悲しみよ」。</p>
<p><strong>※次回（鬼滅の刃×仏教（2）己を鼓舞せよ。唯識の視点で竈門炭治郎と禰豆子に幸せの本質を見る）は<a href="https://mytera.jp/paper/kyosaiji37_20201225/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a></strong></p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/09/0037_01_main.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">愛知県名古屋市昭和区</div><div class="c_tera__title-a"><ruby>教西寺<rt>きようさいじ</rt></ruby></div><div class="c_tera__txt-b">笑顔がつながる　明るい朱色のお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/event/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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