夫れ仏法遥かに非ず 心中にして即ち近し ‐ 最明寺 住職 加藤宥教さん (神奈川県足柄上郡)
2016.07.19
仏さまは思っているよりもずっと近くにいる
加藤 宥教 (かとうゆうきょう)
1978年福岡県生まれ。九州大学工学部卒。自動車メーカー在籍時はV6エンジンの開発を担当。在家の身であったが結婚を機に出家。スパナを数珠に持ち替えて修行。2011年より最明寺住職。「こころが豊かになるお寺」をモットーに、「お寺の活性化」、「時代にあった供養」に取り組んでいる。
まいてら新聞読者のみなさん、はじめまして。神奈川県足柄郡大井町の真言宗・最明寺住職の加藤宥教と申します。今回は弘法大師・空海さまのおことばをご紹介します。
夫れ仏法遥かに非ず 心中にして即ち近し (『般若心経秘鍵』)
ざっくりとお伝えしますと、「仏さまはそんなに遠くにはいないよ」「思っているよりもずっと近くにいるんだよ」といった意味になります。なんだかびっくりしてしまうようなことばですよね。私もはじめて聞いたときにはかなり驚きました。
最初は半信半疑だったけれど……
一般家庭で育ち、結婚を機に仏門に入った私は、仏教のことをほとんどなにも知らないまま、本山での修行生活をはじめました。それまでは、仏さまというのは、自分とはまったくかけはなれたところにいらっしゃる、触れることもかなわない存在なんだと思い込んでいたんです。でも、真言宗では、この世のすべては大日如来(※1)の化身である、と教えるんですね。つまり、いまここにある自分をも含めたすべてが、そのままの姿ですでに仏さまなんだ、ということです。
私も、それを最初から素直に納得できたわけではありませんでした。だけど、修行を終えて自分のお寺に戻ってきて、日々、慣れないながらも目の前のことに懸命に取り組んでいるうちに、ああ、こういうことなのか……と、しみじみと実感する瞬間が増えてきたんです。
※1 大日如来 宇宙の根本のエネルギーをあらわした如来。一切の現象は大日如来が姿を変えてあらわれたものとされる。
頭で考えるよりもとにかく実践!
具体的に言うと、目に見えないものをありありと感じ取っている自分の心に気づくとき、確かにこの心は仏さまそのものだな、と感じるんですね。たとえば、ひとつの花を見て「うつくしいな」と思ったとします。そのとき、私たちは、単に表面的な色やかたちだけを取り出して、綺麗だと感じているわけではないと思うんです。豊かな土壌と十分な日当たりがあって、必要なだけの水が与えられて、それをお世話する人がいて……。ひとつの花の背後にある、無数のドラマに感動させられるわけです。その深さ、豊かさを、理屈抜きに感じ取れる自分の心は、やっぱりそのまま仏さまだし、それを教えてくれた存在も、間違いなく仏さまだなあ、と。そんな風に思うんですね。
もともとすべての存在は仏さまです。それに気づける自分であるかどうか。問われているのは、究極的にはそこだけなのではないでしょうか。そのためには、なんであれ、いま自分のすべきことに心を込めて、丁寧にやっていく姿勢が大事です。頭でごちゃごちゃ考えるよりもまずは実践。そうやって耕された心でもって世界を眺め渡したとき、はじめて理解できることがあるんですね。
この世のすべてに仏さまの姿を感じながら生きていく―― これ以上に豊かな人生はありません。もちろん、常にそういう風に生きるのは難しいことです。でも、冒頭のお大師さまのことばを心に置いておくだけでも、ほんの少し、世界が変わって見えるかもしれませんよ。
今日の昼間、ふっと思いついて詩を書きました。思いついたというより、頭の中に言葉が溢れ出てきた感覚です。
とても短く稚拙な詩なのですが、書かせて下さい。
白と黒の境界の
交わる刹那の真中に
無限の色がそこに在る
無限の私がそこに居る
詩の中に出てくる『真中』という言葉。普通はまんなかやまなかと読みますが、私の中では『しんちゅう』と読むつもりで書きました。
そして、何故かここに辿り着き、大師様のお言葉を読ませていただき、『心中』という言葉を見た時にとても不思議な感覚に包まれたのでコメントを書かせていただいております。
いわゆる普通の人間で、今まで不可思議な体験をしたこともない私にとって、今日はとても衝撃的な日となりました。
素敵なお言葉に出会えた事に心から感謝致します。