弔い直し(とむらいなおし)の意味は?葬儀後に行う供養のカタチ(妙法寺住職・久住謙昭)
2021.12.07
久住謙昭
1976年横浜市生まれ。高校から6年間を日蓮宗の総本山身延山にて修行生活を送る。その後、立正大学大学院文学研究科を修了。31歳で住職に就任。仏教をわかりやすく発信し、明るいお寺づくりを目指しています。
新型コロナ禍となり、もうすぐ2年となります。この2年間、お寺の中でも様々なものが変わってきましたが、その中でも大きく変わったものの一つが「お葬式」です。
妙法寺では新型コロナウィルスの感染によってご逝去された方のご葬儀をつとめることはありませんでしたが、コロナ禍でも多くの葬儀をつとめさせていただきました。ご遺族・親族・友人方の声につぶさに耳を傾けるなかで、亡くなったことを実感できない「曖昧な喪失」に多くの方々が苦しんでいることに気づかされました。
葬儀後の後悔、最後を看取れなかった苦悩
コロナ禍では、感染対策として病院や高齢者施設ではたとえ家族であっても立ち入りが厳しく制限され、クラスターが発生した病院では、立ち入りを禁止される施設も多くありました。
そのなかで大事なご家族を亡くしたご遺族からは、
「最後の数ヶ月間、まともにお見舞いにも行けず、ベットの近くで看病もしてあげられず、夫に寂しい思いをさせてしまったことが心残り。」
「臨終に立ち会うことができなかった。亡くなった後、やっと霊安室で対面することができた。きっとひとりでの旅立ちは不安だったと思う。」
という、さまざまな苦悩と後悔の声を耳にしてきました。
コロナ禍で一層の簡略化が進んだ葬儀
もともと一般葬(家族・親戚・友人・仕事仲間が集う葬儀)から家族のみで行う「家族葬」が増える傾向ではありましたが、コロナ禍となって強制的に葬儀を縮小せざるを得ない状況に追い込まれました。
ご遺族のなかには、
「外出自粛が求められるなか、遠方から親戚に来てもらうのは遠慮した。」
「葬儀に駆けつけたい思いはあるが、首都圏に行くことを家族から止められた。」
「通夜振る舞いなどの会食も行えず、お焼香だけでお帰り頂いたが、なにか心苦しさを感じた。」
という声が散見されました。
首都圏のとある大手の葬儀会社の集計によると、コロナ禍では半分以上のご遺族が葬儀を行わず火葬のみ行ったそうです。しかし、多くのご遺族はそのような見送りをしたことが本意ではなかったと感じているといいます。
「本当は通常通り葬儀を行いたかった。」
「しばらく会っていない実家の兄弟や親戚達も最後に会わせてあげたかった。」
「大好きだった友人とも最後のお別れをすることができず、本当に亡くなったのか実感がわかない。」
という、やりきれない声が多く聞こえます。
コロナ禍の曖昧な喪失が、葬儀の本来意義を浮かび上がらせる
「葬儀=高額」というイメージが強く、金銭的なところばかりが注目され、あまりその意義的なものは語られず置き去りにされてきたように感じます。それは丁寧に説明しない僧侶側にも大きな問題があるのですが、「高額」ゆえに派生する〝不要論〟は、コロナになる前から声高に叫ばれて「ゼロ葬」という弔いそのものが不要とされる傾向もありました。
しかし、今回の新型コロナによって、くしくも弔いの儀式の簡略化は強制的に進みました。火葬のみが行われ、しっかりと時間をかけたお別れをしたくてもできない遺族が多く生まれました。
「コロナ禍だから仕方ない」という言葉を口にすることによって、自身の気持ちを納得させようとするけれど、心のどこかで「本当にこれで良かったのだろうか」「しっかりとした葬儀をやってあげたかった」と、むなしさやモヤモヤした気持ちにかられ、多くの遺族が「曖昧な喪失感」で悩み苦しんでいるように感じます。
金銭面に目が向けられがちだった「弔いの儀式」が、コロナ禍の混乱で生まれた「曖昧な喪失」によって、古来からの葬儀の本来的な意義や役割を見つめ直し、再認識させられることとなりました。
葬儀は、「故人の来世の安寧を祈る」儀式であるとともに、残されたものがその死を受け入れるための儀式でもあります。縁ある人々と故人の人柄やエピソードを語らい、〝良い人生であった〟と讃え、死出の旅立ちを見送り、その旅への畏れを取り除き、来世の安寧を祈ることで、故人の心(魂)だけではなく、残された遺族の心も癒され、少しずつその死を受け入れていけるのです。
遺族の心理面において葬儀が、悲しみを共有することを通じて大事な人の死を受け入れるという、とても大切なプロセスと役割を果たしていたことを、コロナ禍の様々な葬儀を通じて強く感じさせられました。
寺院(僧侶)においても、葬儀社においても、従来のような形骸化していた葬儀をもう一度根本から見つめ直し、遺族と故人の目線に立って葬儀を営む時期なのではないかと感じます。
「弔い直し」(とむらいなおし)という選択
今、僧侶として取り組めることは、コロナ禍でしっかりとした「お別れ・弔い・葬儀・供養」ができなかった方々のために「弔い直し」という時間と場所を設けることだと考えています。
弔い直しとは、葬儀を満足にあげられなかったり後悔が残ってしまった際に、
もう一度、葬儀を挙げ直すことです。
葬儀といっても、お別れ会や告別式など様々で、特に形式的な決まりはありません。
・読経や参列者の焼香によって故人を供養して来世の安寧を祈る
・生前に縁あった人々が集う場をつくり、悲しみを共有しながら故人を語らい合う
・旅立った故人の声に耳を傾け、志を引き継ぐ
これらの営みを通じて、故人が亡くなった悲しみを、生きるための優しさや力に変えていく。遺族や残された人々がそのプロセスを歩むことを支え、伴走することが、寺院や僧侶に求められていると考えています。