真宗(浄土真宗)も「お盆感」は出していい – 宝樹寺 住職 林義淳さん【教えて!お坊さん】お盆に込める想い④
2020.08.12
お盆への想いを4人のお坊さんに語っていただくインタビューシリーズ。最終回は、宝樹寺の林義淳住職(福岡県・真宗木辺派)です。
どのお寺も7月からお盆の準備、そして8月になるとお参りに大忙しとなりますが、お盆モードへ入るときの心境を「大きな大会の前のアスリートの気分」と表現する林さん。多忙ななかでも常に内側にあるその想いや、真宗(浄土真宗)ならではの「お盆観」もたっぷり語ってくださいました。
林 義淳(はやし ぎじゅん)
1971年、福岡県北九州市にて宝樹寺第2世住職の二男として生まれる。平成19年に宝樹寺第3世住職に就任。法務の傍ら、ひきこもりの若者を支援するNPO法人STEP・北九州の理事や保護司などを務め、社会貢献活動に努めています。
真宗(浄土真宗)の教えと「お盆感」のバランス
宝樹寺は真宗(浄土真宗)のお寺。真宗ではお盆だからといって、特別にご先祖さまをお迎えするという教えがありません。では、どのようにお盆を迎えるのか。くわしく話をうかがいました。
「真宗では、お念仏のみ教えをよろこぶ人はみな、この世の命が終わると同時に阿弥陀仏の救いのはたらきにより、必ず極楽浄土に生まれ、仏さまにしていただけます。そしてすぐにこの世にかえってきます。このような教えなので、先にご往生された人たちは、すでに私たちの暮らすこの世界にかえってきておられます。ですから、お盆であろうとなかろうと、仏さまと成られたご先祖さまはいつもわたしたちのそばに寄り添い、温かな心で私たちのことを日々見守りつづけてくださっているのです」
お盆に限らずご先祖様がそばにいるという真宗ではお盆参りはないのかというと、「そんなことはありません」と林さん。
「ご先祖さまをお迎えし、ご供養するためのお盆参りではなく、この世でお念仏のみ教えに出合えことを共々にあらためてよろこばせていただく機会としています。年中行事の中でも特にご先祖さまの存在を身近に感じやすいお盆という行事を通じて、亡き人を偲びつつ、ご先祖さまをご縁として、私がいまこうして生かされていることに感謝しておつとめ(お盆参り)をいたします」
真宗の門徒とはいえ、お参り先の大半ではお盆飾りやお供えをしているらしく、こうした「お盆感」を出すことは大切だと続けます。
「真宗では精霊棚こそ設置しませんが、盆提灯やキュウリやナスなどのお供えをする人はたくさんおられます。こうした雰囲気作りをして、お盆を自ら盛り上げていくのはよいことだと思います」
また、林さん自身も、門徒と出会える年に一度の機会を大切に考えています。
「ご門徒さんの中には、お盆参りの時にしかお会いできない人もたくさんおられます。そうしたおうちにお伺いする時は、なるべく長い時間お話できるよう心がけています」と、お盆参りがお寺と門徒のつながりを再確認させてくれる機会となっているようです。
さまざまな命に触れる夏休み
また、真宗(浄土真宗)であろうとなかろうと、お盆は自分をとりまくさまざまな命たちと接する絶好の機会なのだと、林さん自身の夏の思い出をふり返ります。
「家族や先祖、地域の人との交流だけじゃないですよね。わたしも夏休みには山へセミやカブトムシを捕りにいきましたし、縁日ではひよこを買ったり、金魚すくいに興じたりしました。近くの川や海へ、魚釣りにもよく行きました。お盆は、過去に触れあったさまざまな小さな生き物たちの命、いま目の前にいる命だけでなく、大切な思い出とともに生き続ける小さな命たちにも、想いを馳せるよい機会になりますね」
4人のお坊さんに語っていただいたお盆への想い。みなさんはどのように読まれましたか?
長い長い歴史の中で毎年くりかえされてきたお盆。戦争の年も、災害の年も、疫病の年も、どんな年であっても、お盆にはご先祖さまをお迎えし、ご先祖さまはわが家に帰ってきました。コロナウイルスが流行している今年も、それは変わらないはずです。
今年は、いつも以上にゆっくりと、ご自宅でご先祖さまと過ごしてみてはいかがでしょうか。ご縁があってこの記事を最後まで読んでくださったあなたが、「いまわたしはここにいてよかったな」と思えるようなお盆をお迎えできますように。