素朴なお寺は地域のよりどころ。「仏教のはてな」に答えてくれる探求者- 本休寺住職 岩田親靜さん(千葉県千葉市)
2019.09.01
取材・文 井上理津子
世襲ではなく、檀家から請われて住職に
日蓮宗薬王山 本休寺は、千葉市の郊外、緑区にある。最寄り駅は外房線の土気駅。南口に出ると区画整備されたニュータウンが広がるが、北口に出ると昔ながらの民家が並び、のどかな道を車で10分ほど走った先に姿を見せる。20台分くらいの駐車場の奥に本堂が立ち、その右手に庫裏がある。失礼ながら、よくある「田舎の素朴な寺」的なたたずまいだ。
ところが、本堂に入ると広い畳敷きで、心地のいいこと……。静寂そのものである。暑い日だったが、風が入ってくる。木と畳の匂いもして、懐かしい雰囲気だ。もっとも、シックな配色の空間の中で、曼荼羅を中央に釈迦と多宝如来が並坐する本尊や、須弥壇しゅみだんの仏様、天蓋てんがいは金色。ずいぶん煌きらびやかだ。ふと「この対比は?」と頭にもたげた。
「仏教には、金色が大切なものというニュアンスがあるんです。ですから、大切という意味で仏様にも調度にも金が多用されるんですよ」
と、住職の岩田親靜いわたしんじょうさんが話してくれる。この日、岩田さんはいくつもの「仏教のはてな」を教えてくれることになるのだが、その事はじめだった。
この本堂は、岩田さんが住職になる以前に、檀家の人たちの力で建てられたという。「ということは、お父様の代に?」と聞いたのは的を外れていて、世襲の寺ではなかった。専従の住職がおらず、他の寺の住職が「代務」していた時期から、年若い岩田さんが彼岸や盆に檀家を回るなどして手伝っていた。そして2、3年が経ったころ、檀家の人たちから「住職になってほしい」と請われたそうだ。
「地域の風習や人間関係、みなさんの思いなど未知のことだらけでしたが、わからないことは何でも教えてもらう、という姿勢でやってきました。筆頭総代(檀家代表)の小川一はじめさんという方に孫のようにかわいがっていただき、とりわけお世話になりました。その小川さんが亡くなる前、ご家族に『気がかりなのは、住職のことだけ』と言ってくださっていたそうです」
「本堂以外に朽ちかけた小屋と、簡素な建物が一つあるだけという状態で、私はこちらにご厄介になりましたが、おかげさまで。妻の協力もあって、じょじょにお訪ねいただく方も増え、今は本堂で写経やお経の会、ヨガ教室、子どものリトミック、お母さん方の交流、またお年寄りには終活関係の講演など、寺が集い学ぶ場になり、寺での葬儀を希望される方も増えてきました」
住職になることを「ご厄介になる」と表現する人なのだ。わびしい外観の状態から起死回生をはかり、寺が「今」を生きる人のための場であると同時に「お別れ」の場になっている――とは、寺本来の姿を取り戻した稀有けうな例なのかもしれない。
岩田さんが他の仕事と兼職していないことに話が飛び、「逆に、世にはお寺に属さないフリーランス的なお坊さんもいらっしゃいますよね」と水を向けたとき、「もちろんです。僧侶は生きざま、住職は職業ですから」と核心をつく言葉をさらりと口にした。
僧侶、そして住職としての岩田さんの来し方に耳を傾けたい。
NBA開幕戦のチケットがきっかけ
1972年生まれ。小中学生の頃、のちに身延山みのぶさん大学教授となる僧侶の父は仏教関係の出版社に勤務しており、都内の団地で育った。母、弟との4人家族。父が住職となり、一家が千葉市内の寺に移り住むのは高2のとき。「できれば、お坊さんになりたくない」が本音で、一般の私大の文学部に進んだ。バスケットボールのサークルに入り、曰く「普通の大学生」となったが、3年生のとき、父に「学生のうちに住職資格を取っておいてほしいから、信行道場しんぎょうどうじょうに入って」と頼まれた。信行道場とは、日蓮宗の僧侶となるための身延山での35日間の修行の場だ。
「実は、不純な動機から、私は2万5000円で人生を売ったんです(笑)」
NBAの開幕戦が東京で行われた年で、2万5000円の観戦チケットを買ってくれるなら修行道場に入ると、子どもっぽい交換条件を出したのだとか。そうして入った信行道場が人生の岐路となるとは思いもせずに。
信行道場では、朝5時に起き、お題目だいもくを唱えながら道場へ移動しての読経どきょう、御廟ごびょうに行って読経。また道場に戻り、朝のお勤めをして説教を聞くことに始まり、掃除、座学、声明や作法など実務の勉強が夜まで続いた。
「初めのうちは1日がとても長かったのですが、しだいに慣れました」。終盤に、バスで本山を巡る研修があり、そのときバスガイドに、バルセロナオリンピックで水泳の岩崎恭子選手が金メダルを獲ったと知らされたそうだ。
「外の情報とまったく遮断されるのも初めての体験でした」
そんな35日間によって、「お坊さんという生き方もいい」と思ったのが、今に至る第一歩だという。
「お経を読むとはどういうことかと自分に問うたからでしょうか。私は付け焼き刃の勉強で道場に入ったから、他の方々より知識も所作も劣っていたし、俄然、きちんと学びたくなった。何より、お釈迦さんの言葉に真摯に向き合うのはいいことだと思えたんです」
立正大学に編入学して猛勉強。“甘ちゃん”の負い目に駆り立てられて
一般の大学を卒業後、宗門の大学である立正りっしょう大学の仏教学部3年に入りなおし、猛勉強を開始する。仏教学と宗学しゅうがく(自宗の教義に関する研究・学問)の2専攻のうち、仏教学を選んだのは「信仰とは無関係に、仏教全般を哲学や歴史学を踏まえて客観的に学びたかったから」。
立正大学には、寺に住み込んで働きながら学ぶ苦学生が多く、「親に学費を出してもらっている自分は“甘ちゃん”だと負い目を感じた」という岩田さんは、その後、古河良晧こがりょうこうさんが住職の常圓寺じょうえんじ(目黒区)に1年間住み込み、スタッフとして働いてから、25歳で大学院に進み、日蓮聖人と日本仏教を専門とする高木豊教授の門下生となる。と同時に、縁あって「本休寺の“お経まわり”を手伝ってほしい」という依頼がきて、先に書いたように他の寺の住職が「代務」していたこの寺を、学業の傍ら手伝うようになる。
檀家の人たちから請われて住職に就任したのは、「寝食を忘れて没頭した」という修士論文「高弁こうべん撰『摧邪輪さいじゃりん』に対する一考察」を書き上げた年。その当時の本休寺は「住める状態でなかった」ため、しばらくは実家から通ったが、結婚した1998年に寺に住むようになり、20余年になる。
なお、筆頭総代の小川一さん、住み込み修行をした常圓寺住職の古河良晧さん、指導教授の高木豊さんをフルネームで記したのは、岩田さんの「3人の恩師」だからだ。古河住職は、のちの立正大学理事長。その当時、途上国支援やビハーラ活動(末期患者に対する苦痛緩和と癒しの支援活動)にいち早く取り組んでいた。高木教授は、日本仏教研究の碩学せきがく。岩田さんが修士論文のテーマに選んだ高弁(明恵=みょうえ)の「摧邪輪」は、浄土宗の宗祖・法然が著した『選択本願念仏集』をまちがった見方だと反論した書だ。
仏教の「なぜ?」を今の価値観に照らし、やさしく解く
本休寺の檀家は約160軒。わずかに去った家もあるが、新しく檀家になる家もあり、その数は、20余年間ほぼ変わっていない。仏教離れが叫ばれる昨今、天晴れだ。
「住職とは、いわば“社宅”を与えられた寺の経営者。この場所を守っていくのが仕事ですから」と岩田さんはこともなげ に言うが、境内を整備し、庫裏も拡張した。墓地に永代供養墓も新設した。寺では写経やヨガ、リトミックの教室などを行なっている。写経、ヨガの参加費は500円。リトミックは月2回で2500円。写経の参加費は経費分で、ヨガもリトミックも「講師から会場費をいただいていない」という。
基本、寺の運営のほとんどすべてを檀家の護持会費と「気持ち」である布施で賄えているのである。
なぜ檀家が減らないのか、なぜ順風に運営できているのかと聞こうとしたら、
「お経や祖師の言葉を信ずることが大切だという考え方がありますが、私自身はいったん『疑う』ことが大切だと思っています」
と、変化球の言葉が返ってきた。どういうことですか?
「お経は、紀元前にお釈迦さんが話し、弟子が聞きとったという形で書かれたものです。私は、その教えも、その教えが説かれた背景も、今の価値観に照らすとどうなのかと考え、違和感が生じたら立ち止まるんですよ。わかりやすい例? ブッダ(釈迦)が出家したのは、結果から見て他者を救うためだったと肯定されますが、私はブッダ自身が生老病死しょうろうびょうしの苦しみから逃れるためだったと思う。ひるがえって、今、サラリーマンが出家し、家族を捨てることが倫理的に正しいと言えるだろうかと。まず、『出家とは何か』を問わなければならないと思うんです」
「ブッダの言葉には元々、盲目的に『信じなさい』という意味合いはないのに、『ただ信じれば救われる』『すがりつけば救われる』という話に変わっていったんですね」
「老いたくない、死にたくない、病になりたくない……と生老病死の苦しみから逃れたい欲望が人間だれもにあるのが、世の理ことわり です。その欲望はなくせないが、減らすように心をコントロールすることはできますよ、というのが仏教の世界です」
なるほどなるほど、と思わず聞き入ってしまう。なんとなく抱いていた仏教というものへの小さな疑問が晴れていく爽快感。一拍おいて、岩田さんが「法要などで、こういった話もしますし、『これから読むお経はこういう意味です』と説明責任を果たしているんです」と言った。
そうか、聞いた話のすべてが先ほどの質問の答えにつながっていたのだと腑に落ちる。加えて、大学院での研究テーマからも紐づいているとも。
岩田さんの「説明責任」は、お経関係にとどまらない。「合掌は『あなたのことを大切に思っています』との思いを体で示すこと」「お焼香は、元はインドで臭気を消すために行われた」などと所作の意味や、「自業自得という言葉は悪い意味で使われるが、仏教では良い意味も悪い意味もある。読経や仏道修行をすると、三世(さんぜ=前世・現世・来世)にわたって良い報いが返ってくるとされる」と仏教の“そもそも論”、あるいは時事問題への仏教的捉え方の話にも及ぶという。場の空気を読みながら、ときには理詰め、ときには感性豊かなオリジナルの表現で。
法要にこのような話がもれなく付いてきたら、「この住職、おもしろいな」と親近感を持ち、「仏教っていいな」「お寺ってステキ」と興味を持つ人が増えること必至だ。岩田さんは、こうした「説明」を強みに、檀家らと真っ当な関係をつくり、支持を得てきたのだ。
「もしもカード」――24時間営業で駆け回り、寄り添う
「檀家さん全員に、この『もしもカード』を数枚ずつ配っているんです」
と若草色のB5判のカードを見せてくれた。
表面に、〈●●様の菩提寺は本休寺です〉とあり、本休寺の所在地と電話番号。裏面に〈︎亡くなった際はすぐに(いつでもどこからでもかまいません)電話してください〉とある。「妻の発案です。おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったとき、次世代のご家族が本休寺をご存じない場合もあるでしょ。ふだんから仏壇の近くに置いておいてください、離れて住む子どもさんにも渡しておいてくださいと。電話をもらうと、枕経まくらぎょうに駆けつけます。場合によっては信頼できる葬儀社を紹介し、打ち合わせにも立ち会ってアドバイスするなどご家族に寄り添います」
まさに24時間営業。「年に3日」は休日を取ることを檀家の皆さんと取り決めているが、「家族旅行で日光に行き、旅館に着いたら電話がかかってきたこともあった」という。「仕事が入った。帰るぞ」と、Uターンした。
「子どもたちも理解している、というか、もう慣れているので、ぶつくさ言いません」と妻の彩加あやかさんがほほえむ横で、岩田さんは「ボクは、家族にとっては“困ったちゃん”。家庭人として不適合者です。長く務めた日蓮宗の地区の役員を降り、宗門研究機関の研究員から嘱託に変わったとき、『これで、時間に余裕ができる』と言ったら、妻に『ムリムリ。あなたは探究心のかたまりだから、どうせ自分で勉強し始めるでしょ』と言われましたが、案の定……」
書庫を見せてもらうと、仏教関係書が山のように詰まっていた。寺には、檀家に対する「共益性」と、広く社会に開く「公益性」が必要だと岩田さんは言う。近ごろは、寺での展開を視野に入れて、哲学カフェや私設図書館の見学にも精力的に回っているそうだ。
午後3時になり、本堂がにぎわいだした。幼児連れのママたちのオフ会が始まったのだ。この会の世話役は、彩加さん。10人の子どもたちが畳の上を走り回る中、ママたちが車座になってお茶を飲みながら話に興じている。「他の場では話しにくいプライベートなこともここでは話させてもらっています」と参加者の一人。
「ダンナさんとのトラブルを相談されて、答えに詰まることもあるんですがね」と漏らしつつ、岩田さんが顔を出すと、子どもたちが待ってましたとばかり走り寄ってきた。