ペット供養を丁寧に。家族同様に供養|感応寺・動物供養大祭の感想録
2019.04.15
ペットを丁寧に、人間の家族同様に供養したい方へ、感応寺の動物供養大祭の様子をお伝えします。
先日、東京・世田谷区にある感応寺の動物供養大祭に参列しました。
私自身はペットを飼ったことがないのですが、住職の成田さんにお招きいただき、法要の様子を拝見しました。
当日は4部に分かれ、夕方の最後の部でも、100名を数える方々が参列されていました。
昼前後の法要は会場に人が溢れ、二階の踊り場にも急遽席を設ける混雑だったようです。
成田さんにうかがったところ、動物供養大祭には約600霊位のお申込があったとのこと。
それに関係するご家族の人数を考えると、満堂になることもうなずけます。
中にはペット連れで来られた方もいて、参列者はみんなペット好きなためか迷惑がることなく、お互いに温かくコミュニケーションされている光景が印象的でした。
ペット供養は人間と変わらない丁寧な法要儀式
祭壇は、虹色の花々が河のように荘厳されていました。
虹色の花々の後ろには阿弥陀さまがいらっしゃり、その光景を見ると、ペットちゃん(←成田さんが呼ぶ愛称)たちは虹色の河を渡って、阿弥陀さまのもとに行ったのだなぁと感じさせられます。
法要の式次第は人間と変わらない内容で、雅楽の筝も演奏され、とても厳かな雰囲気でした。
驚いたのは、全てのペットちゃんの名前を読み上げている点です。
それを見ると、ペットちゃんの尊厳が丁寧に扱われていると感じます。
途中から、参列者のすすり泣きが聞こえ、ハンカチで涙をぬぐう方も多くいらっしゃいました。
法要に参列して供養することは、グリーフケアの営みになっているのだなぁと感じました。
法要の最後には、成田さんからの法話。
悲しみには三種類あります。一つ目は、ペットちゃんそのものが亡くなった悲しみ。二つ目は、今まで居たペットちゃんと会えない、触れ合うことができない、という自分自身のこれからについての悲しみ。三つ目は、ペットちゃんの来世で元気でいるか、幸せか等の不安からくる悲しみです。
ペットちゃんたちは、阿弥陀さんのもとで元気に過ごしています。極楽浄土からは、こちらを見ることも、こちらの声を聞くことも、こちらに来ることもできます。今日の法要も極楽から見て、或いは、この場に来て、皆がご供養されていることを喜ばれていることと思います。
ほっこりした話が20分くらい続き、虹色の河の向こうにいるペットちゃんたちに、思いを馳せる時間となりました。
法要・法話の後はペットちゃんの墓前で読経が行なわれ、終了となりました。
ペットは極楽往生できるか? 考え方は色々
少し前に、仏教界ではペットは極楽往生できるのかという論争が起きました。
ペットが家族の一員として存在感を増し、ペットの供養も増える中、このような論争が起きることに時代を感じます。
特に飼い主にとって、ペットは可愛いまま死んでいくため、我が子を亡くしたように悲しみもひとしおと聞きます。
したがって、「ペットが死後の世界で安らかに過ごしていてほしい」という感情が湧いてくるのは自然でしょう。
ペットが極楽往生できるかどうかは宗派や研究者によっても色々と解釈が異なるようです。
- 動物は畜生なのですぐには往生できないが、一度人間に生まれ変わってから極楽往生できる (宗派A)
- 宗祖(宗派の創始者)が動物を供養した記録があるので、(おそらく)極楽往生できる(宗派B)
- 山川草木悉有仏性(全ての生き物は仏さまの性質を持つ)なので、極楽往生できる(宗派C)
考え方が色々とあるものです。
個人的にはシンプルな宗派Cの考え方に共感しますが、経典に書かれていることや、宗祖の発言や行為の解釈によって、宗派ごとにバラエティがありそうです。面白いですね。
成田さんにも、どのようなお考えなのか聞いてみました。
自分自身がお念仏をとなえて往生するのが基本ですが、他の人が亡くなった命の為にお念仏を唱えてその功徳を回向することによって往生することも説かれています。
感応寺ではペットちゃん達を後者の方法で供養し、先に極楽浄土へ行っていてもらう事により、再開することを願っています。
実際の参列者が「極楽往生」ということをどこまで理解しているかは分かりません。
ただ、多くの参列者に共通する願いは、
- 死後を安らかに過ごしていてほしい
- またどこかで会えたらうれしい
- (人によっては)一緒のお墓に眠りたい
ということではないかと思います。
極楽浄土というものも、その願いに応える世界観の一つですし、感応寺の動物供養大祭ではその世界観を丁寧に伝えようとされていることが伝わってきました。
家族の一員として存在感を増すペット。人間と同じ弔いの需要も高まる
既に子どもの数をペット数が上回っているといわれる日本。
おひとり世帯が今後も増えていくことを考えると、家族の一員としてのペットの存在感は高まっていくでしょう。
どの世界でも、その時代の人々の願いや思いが解釈を変えていきます。
ペットの極楽往生に関しても、現在進行形で緩やかに解釈が変わり続けているのでしょう。
そういう意味では、動物供養大祭は人々の死生観の変化が垣間見える最前線の現場です。ペットちゃんたちを鑑(かがみ)にして、色々と考えさせられるひと時でした。
(本記事の写真は株式会社ジャパンペットセレモニーよりご提供いただきました)