【藤田一照さん(僧侶)の“いのち”観/前編】 – 死者は生者の中で生き続ける –
2017.07.31
僧俗問わず、各ジャンルで活躍されている多彩な方々に、ご自身の“いのち”観をまっすぐにお聞きしていくこの連載。第七回目となる今回ご登場いただいたのは、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さん。「死には二種類あるよね」というところからはじまった、藤田さんの“いのち”観トーク。前編である今回は、自分以外の誰かの死について、藤田さんのリアルなお考えをお聞かせくださいました。どうぞじっくりおたのしみくださいませ。
藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年、愛媛県生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し、現在、神奈川県葉山の「茅山荘」を中心に坐禅の参究、指導にあたっている。曹洞宗国際センター所長。
人は死んだら「死体になる」
――率直にお聞きします。人は死んだらどうなると思いますか?
最初におさえておかなきゃいけないのは、死には「第三人称の死」と「第一人称の死」があるということですよね。「第二人称の死」もあるけれど、それは「第三人称の死」と連続しているので、同じグループのものとして語っても差し支えないと思います。
――承知しました。では、まずは、第三人称の死、つまり自分以外の誰かの死について、「人は死んだらどうなりますか?」という質問にお答えいただけるとうれしいです。
うーん、そうですね……。確実に言えるのは、「死体になる」ということでしょうね。
――「死体になる」ですか。
それが僕自身のいちばん生々しい実感なんですよ。僕が人生で最初に見た死体は祖父のものだったんですね。僕が10歳の頃だったんですけれど。おじいちゃん、藤田勝三郎という名前でしたけれど、その日の朝までピンピンしていたんですよ。いつも通りに元気に畑仕事をして、お風呂に入って、「ちょっとしんどいから寝る」って言って、布団に入って……。僕は隣の部屋で父とテレビを観ていたんですけれど、ふとなにかが気になって、祖父の寝ているところに行ってみたら、「あれ? なにかが違う……」って。そのときにはすでに息をしていなかったんです。亡くなっていた。僕が呼びかけても、父が呼びかけても、まったく返事をしてくれなくて。さっきまで「じいちゃん」って呼んだら「おう」って返事してくれたのに。
――ショッキングな体験でしたね。
呼びかけても返事をしない、一方通行で返ってこない。ここにある「これ」はなんなんだ? まあ、「死体」としか呼べないもの、ですよね。勝三郎の肉体は、確かに、まだここにある。でも、この死体は勝三郎ではない。じゃあ、さっきまで生きて動いていた勝三郎はどこへ行ったの? 勝三郎の「本体」はどこへ行ったのよ? って。その疑問が強く残りました。
人間の「本体」は死後もかたちを変えて続いていく
――死んだ人の「本体」はどこへ行くのか……。その後の人生で、その疑問は解決されましたか?
解決はしていないけれど、「勝三郎は“ここ”にいる」というかたちで納得はしていますね。
――詳しくお聞かせください。
勝三郎の「本体」は、僕との交流の中にあったんだということです。交流が切れたら、それは僕の中におさまるしかないですよね。
――確認ですが、いまのお話は、「おじいちゃんの本体は魂で、それが、死後、僕の肉体に宿ったんです」とか、そういう物語的なお話ではないですよね?
そうです。霊魂云々ではなくて、元々、勝三郎は、勝三郎と僕との関係性の中にしかいなかった、ということですね。勝三郎と僕が共有した歴史の中に、勝三郎がいた、という風に言うしかない。そして、その歴史はいまでも続いているんですよ。
――いまでも。
もちろん、身体的な交流はできないけれど、生前、勝三郎と共有した時間の中で得た経験は、いまの僕に有形無形に影響していることは間違いないので。そういう意味で、僕の一部は勝三郎であるという風に言えるんですよ。
――かたちを変えて、お祖父さまのいのちは、現在に至るまで延長しているということですね。
僕はそういう風に思っていますね。まとめると、第三人称の死において、人は死んだら「死体になる」。けれど、その本体は、生前交流していた人たちの中で「生き続ける」、ということになりますかね。
――ありがとうございます。第一人称の死、つまり自分自身の死については、後編(8月1日更新予定)で詳しくお伺いしたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
※こちらの連載はTemple Webとの連動企画です。「藤田一照さんとの対話/かたちなきいのちに「触れられた」瞬間」もあわせておたのしみくださいませ!