ひとりひとりの生老病死と寄りそっていくお寺
ひとりひとりの生老病死と寄りそっていくお寺
ずっと地域の人たちの拠りどころとして息づいてきたお寺です。ひとりひとりの人生の安心の居場所となれるよう、400年という年月をかけて長善寺は育まれてきました。静かな時間の中に居たい方、誰かと安心して語り合いたい方、多くの人たちと一緒にわいわい遊びたい方、ただ仏さまと向き合いたい方。それぞれの想いとつながっていき、寄り添っていけたらと願っています。そして世間にとらわれ過ぎず、貴方らしい人生を送れることをこのお寺では「かぶく」と呼んでいます。長善寺はみなさんと一緒に育っていくお寺です。
放光山 長善寺カレンダー
見どころ
ご本尊
阿弥陀如来木像。正保4年(1647年)。
高田太郎庵の墓
尾張茶人高田太郎庵(1683〜1763)。表千家六代家元に茶を学び、尾張の茶道を普及。
本堂向拝の柱下にある金具
江戸時代の寄進者名が刻まれています。
玄関
江戸時代後期に建てられた長善寺で最も古い建物のひとつです。
施設・設備
本堂
江戸後期に建立。阿弥陀さまと向き合う場です。
庫裏(長善寺会館)
20畳ほどの広さで法要後の食事などにお貸ししています。
境内
子どもたちがたくさん集まる楽しい企画も行っています。
書院
大正初期に建立。御斎の席などに使われます。
厨房
お寺の行事や子ども食堂などで使われています。
歴史
由緒
長善寺は初め心養坊と号し、天文8年(1539)僧顕了によって開基。顕了は、織田信長の家臣林通勝の弟であった林新九郎です。その後、正保4年(1647)に木仏本尊阿弥陀如来を安置して峰光山長善寺と寺号を公称、京都東本願寺直末となりました。現在は、放光山長善寺と称しています。
佐々成政と太郎庵
佐々成政(1536?-1588)は安土桃山時代の武将。織田信長に仕えて、後に富山城主や隈本(熊本)城主になりましたが、秀吉によって摂津尼崎で自刃させられました。名古屋市西区比良に城址跡があり、末裔の一族が長善寺の古い門徒になっています。太郎庵(1683~1763)は尾張の有名な茶人。墓石が寺境内にあります。
法宝物
阿弥陀如来木像(正保4年・1647)、親鸞聖人御影(慶長9年・1604)、蓮如上人御影(正保4年・1647)、金泥放光十字名号(南北朝期)、六字名号(実如上人筆)他。
地域に開かれた寺院として活動
門信徒の報恩講などの行事の他、落語会・音楽会・芝居などを随時行っています。各種研修会や子ども食堂の会場としても開放しています。
ご縁の方の声
- 境内などどこもきれいに掃除が行き届いていて、いつも気持ちよくお参りしています。(門信徒・70代・女性)
- ワークショップなどで庫裏をよくお借りします。時間を気にせず、安心していられる空間です。(賛助会員・30代・男性)
- 料理ができる環境が整っているので自分たちで食事を作っておもてなしができるのが良いです。(一般・20代・女性)
- 本堂にいると身体が引き締まるような空気を感じながらも静かに仏さまと向き合えることができて幸せです。(門信徒・50代・女性)
お参りの方へ
日の出から日が暮れる頃まで門は開いております。いつでも誰でも本堂でお参りできます。
寺名(ふりがな) | 放光山長善寺(ほうこうざんちょうぜんじ) |
宗派 | 真宗大谷派 |
住職名 | 蒲池卓巳(がまいけたくみ) |
郵便番号 | 452-0821 |
電話番号 |
052-501-0623 ※お問合わせの際は「まいてらを見た」とお伝え下さい |
FAX | 052-504-0841 |
駐車場 | 境内に20台程度、近隣にコインパーキング有 |
交通 | 名鉄名古屋本線・名鉄犬山線「中小田井駅」から、徒歩5分[15] 名古屋市営地下鉄鶴舞線「庄内緑地公園駅」から、徒歩12分 [15] 名古屋市営バス「中小田井五丁目」バス停、「南川町」バス停、「上小田井二丁目」バス停から、徒歩6分[15] |
まいてら相談デスク
050-3591-4106
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相談時間は平日の10 - 16時になります。