「生者の都市=死者の墓場」という見立て〜大阪七墓巡り/陸奥賢さん vol.2
2017.06.22
第1回目のコラムを書いてみて、大阪七墓巡りのことを書こうと思うと、どうしても前フリとして「コミュニティ・ツーリズム」について書かんと話が続かんな……ということに気づきました。
というわけで、今回のコラムは、もうちょっと観光の話を。すいません。七墓の本格的な話は、この次の回でやります。多分。ぼくは普段から、話してても脱線が多いんですわ。いろいろ話してるうちに、話の着地点がようわからんようになる。まぁ、次回には七墓話がはじまるとええなぁ……というわけで、以上、「はじめに」でした。
みんな来た道、行く道。「マス・ツーリズム」とは?
さて、ぼくが大阪七墓巡りを知ったキッカケは、2008年に大阪市の観光プロデューサーになってはじめた、「大阪あそ歩」という観光プロジェクトです。
ここで、ちょっと自称・観光家っぽく、観光学の話をしようと思います。
世間一般で、みなさんがよくご存知のツアーは、学術的には「マス・ツーリズム」に分類されます。マスというのは大衆という意味なんで、日本語に直すと「大衆観光」となります。
大衆観光とはなにか?……わかりやすい事例でいえば、大型バスに集団で乗りこんで観光地を巡るツアーですな。
ツアー会社のバスガイドさん(地元の人間やないです)の案内で、名所・旧跡・温泉地などを巡って、アホほどカニを食べて、酒を浴びるほど飲んで、カラオケタイムが始まって、無礼講とかいってコンパニオンを呼んでハメを外して翌朝、二日酔いの頭痛の中で、これまた沢山の土産物(よくわからない熊の置物とか)を買って帰る……といったようなツアー。大手の観光会社のツアーパンフに記載されている大量生産・大量消費のパッケージツアー。
正直、日本ではもうこういったマス・ツーリズムは流行らなくなってきましたが、高度経済成長の時代には大いに流行りました。いまは中国・韓国などで、こうした大衆観光が一大ブームですな。「爆買いツアー」とかいわれてますが、同じようなことは、日本人だって昔、あっちこっちでやってたわけです。アメリカやヨーロッパにいって税関が安いからとブランド品を買い漁るといったようなツアー。身に覚えがある人も多いんちゃいますかね?
これは、でも時代を遡るとイギリス人やドイツ人、スウェーデン人なんかも、みんな同じようなことをしてまして。17世紀頃から古代ギリシャ・古代ローマの史跡を巡るツアー=「グランドツアー」がブームになって、青年貴族や新興商人たちが大挙して現地を訪れ、金にモノをいわせて大判振舞をして顰蹙を買ってたんですな。
自称詩人、自称音楽家がパトロン(大体、裕福な中年女性)と一緒にイタリア不倫旅行……なんてのも多かったようです。近代国民国家となり、資本主義が蔓延してくると、こうした「大衆観光現象」は必ず起こるもののようです。みんな、来た道。行く道。
観光産業は、マス・ツーリズムにあぐらをかいて成長した
いわゆる観光産業、観光業者は、「大衆」を目当てに、いろんなツアーをパッケージするのですが、これは、しかし、なかなか大変です。なぜならば、大衆とは、胡乱で、移ろいやすく、一時的な流行に乗って、一過性で、随分と、無責任な存在であるからです。
マス・ツーリズムの観光客は、結局、訪れる土地や場所を消費でしか捉えへんのですな。大体、1回こっきり。ちょっと見れば、すべてわかったような気になり、満足して帰ってまう。2度目の再訪はないですな。イタリアにいったら次はギリシャ!次はエジプト!といったような感じで、どんどんと目移りしていく。
また、まちが一回こっきりの大衆観光客だらけになると、そのまちが歪んでいく……といった現象も起きます。どういうことか?というと、テレビがわかりやすい事例ですな。ぼくは昔、ちょっとテレビ業界にいて放送作家、リサーチャーの仕事なんかもしていたんですが……テレビは「マスメディア(大衆メディア)の王」といわれたりしますが、マス=大衆(視聴率)を獲得しようとして、わかりやすく、ストレートに、紋切型に、レッテル張りをして、テレビ番組を作る傾向があります。大きな幹を強調して、小さな枝は、どうせ伝わらないとバッサリと切り捨ててしまう。
同じようにマス・ツーリズムも観光客を獲得するために、わかりやすく、ストレートに、紋切型に、レッテル張りをして、まちをパッケージしようとしてしまいがちです。
大阪でいえば「吉本」「たこ焼き」「タイガース」「串カツ」「ビリケンさん」といったようなキーワードや写真がツアーパンフに列記される。それ以外の大阪文化は切り捨てです。京都といえば「舞妓」「祇園祭」。奈良といえば「大仏」「鹿」。単純明快かつキャッチーに記号化、シンボル化することで、ステレオタイプなもので、大衆に訴えようとする。
無責任な大衆観光客向けに、まちを「消費されやすいデザイン」に変えていくと、自分たちのまちの多様性・多義性が損なわれ、アイデンティティが揺らいでいく。まちが単なる経済的生産や経済的消費の対象でしかなくなっていく。
まちは、人生のすべてが繰り広げられる「ふるさと」
ほんまは、そうやないとぼくは思ってます。まちこそは、人生そのもので、そこに生まれて、暮らして、学んで、夢をみて、恋をして、涙して、笑って、愛しあって、遊んで、働いて、病気になって、老いて、死んでいく場です。
いや、それだけやない。直観や錯覚や誤解を起こし、マレビトや意味不明なものや不気味なものや超自然なものと遭遇したり、シンクロニシティ(同時性)やセレンディピティ(幸運を掴み取る能力)や言語化できないようなことが、多々、起こりうるカオスモスな場です。
ただ単にに、経済的に生産・消費だけされる「テーマパーク」のようなまちは、じつに貧しい。人生のすべてが繰り広げられる、かけがえのない「ふるさと」のようなまちの方がええ。テーマパークは金さえあれば作れますわ。せやけど、ふるさとは、どんなけ、金があっても作られへん。
大衆観光はまちを「情報」(代替可能なもの)の場として捉えます。情報の場は、消費の場であり、市場ともいえるでしょう。しかし、ほんまは、まちは、その人にとっての「物語」(代替不可能なもの)の場でないといけない。物語は、かけがえのない物語は、金に換えられない。換金不能なんです。その換金不能な場がようさんあることが、まちを、ほんまの意味で「豊か」にするんとちゃうか?……少なくとも、ぼくはそういう風に、まちのことを考えてます。
いまは、しかし、そういう風に、まちのことを考えないですな。コラムの第1回目のときにも同じようなことをいいましたが、超資本主義の思想が世界の隅々まで覆っている。観光が「観光産業」としてでしか価値が認められないように、まちも、単に「経済的生産の場」「経済的消費の場」でしか価値が認められていない。ぼくみたいな人間には、ちと、つらい時代です。
ただ、1回だけの消費の関係で終わる・・・「ひと夏の恋」のような観光を何度も何度もやっててもしゃあないんちゃうか?虚しないか?と考える人たちも出てきます。
えらい観光の先生や学者からも「マス・ツーリズムはいろいろと弊害がある。このままではいけない。これは顔が見えない、匿名的な大衆を目当ての観光ばかりをやっているから、そういうことが起きる。そうやなくて顔が見える、実名的なコミュニティの人(市民や町衆や地域住民)を対象に観光をやることが大事である!」といった提唱が出てきて、それが「コミュニティ・ツーリズム」という概念の発端です。
わがまちを歩く!コミュニティ・ツーリズム「大阪あそ歩」
こうして大阪市や大阪商工会議所などが主体となって「大阪でコミュニティ・ツーリズムをやろう!」と動き出し、2008年に僕がプロデュースしたのが「大阪あそ歩」です。
大阪あそ歩は、「顔が見える人」を対象に、徹底して「身内」にアプローチしていきました。歩く場所は「大阪のまち」。ガイド・案内役は「大阪のまちの人」。さらに、まちを歩いて楽しむのも「大阪のまちの人」。マスツーリズムは外部の参加者……「他町、他市、他県、他国からの観光客」を獲得しようと躍起になりますが、コミュニティ・ツーリズムはコミュニティの参加者をどんどんと取り込んでいくんですな。徹底して、コミュニティ(まち)に関わって、プロジェクトを展開していく。「わがまちを歩こう!」というわけです。
やってみると、これが、えらい盛り上がりました。まず大阪のまちは歴史が古い。奈良の平城京(710)、京都の平安京(794)よりも大阪の難波宮(645)は古い。日本でも有数の古都。さらに、大阪人は優しい(ほんまでっせ!)。
江戸時代には商業都市として繁栄し、商人文化が根付いているので、コミュニケーション能力が高い。ノリが良い。ガイドと参加者が「ほんまかいな」「なんでやねん」「知らんけど」とかいいながら、笑いの多い、漫才かコントか喜劇のようなツアーに自然となっていく。1回でも参加すると、ハマるんですな。
どんどんと大阪のまちとの関係性が深まり、ガイドのファンになり、まちのファンになり、何度も何度も訪れてくれる。自分が住んでるまち、暮らしてるまちですから。近い。すぐ歩いて行ける。1度、どこかのまち歩きに参加すると、次もどこかのまち歩きに参加してくれる。リピーター率が7割、8割を超える。「100コース以上のまち歩きに参加しました」なんて人がワンサカでてくる。
いままで自分が「なんとなく知っていたまち」が、まち歩きをして、より深く、まちの歴史や風土や物語を知ると、愛着が湧いてくるんですな。郷土愛(パトリオティズム)が目覚める(※注)。「30年間、毎日、通勤してた道のお地蔵さんに、そんな謂れが!?」といったようなことが起こる。それは大袈裟にいえば、自分の人生を揺るがすほどの体験になります。感動で、思わず、涙する人もいる。いままで見えていなかったものが見えた。世界観、都市観、人生観が揺るがされる。一参加者からサポーター、ガイドになるという人まで出てきました。
その結果、大阪あそ歩では300コースのまち歩きコースが出来上がり(全部、大阪市内です。このコース数そのものが、大阪という都市の多様性の象徴でしょう)、2012年には日本のコミュニティ・ツーリズム・プロジェクトでは本邦初となる観光庁長官表彰を受賞しました。日本の観光史に、ちょっとした金字塔を打ち立てたわけです。ちなみに、この観光庁長官表彰の歴代受賞者は、「くまモン」、「水木しげる(ゲゲゲの女房が大ヒット)」とか「福山雅治(龍馬伝が大ヒット)」とか「レディ・ガガ」(東日本大震災・福島原発事故の2011年に日本でコンサートを実施)など……。大阪あそ歩は、たぶん歴代受賞者の中では、いっちゃん無名で、地味ですが、しかし、それだけ実質、中味を評価されたと思ってます。いや、べつにくまモンに中身がないとかいうてるわけやないでっせ。
「大阪七墓巡り」との運命的な(?)出会い
さて、「大阪あそ歩」のまち歩きコースを作るために、大阪のまちを日夜、歩き回るという日々を送っていた、2009年頃のこと。歩いていると「なんや、このまち、おもろいな……」と思うまちが出てくるようになりました。
商店街やお地蔵さんや大木や民家や寺社仏閣が入り乱れている。歩いていて、地形が複雑で、曲がりくねった路地や裏路地がいっぱいあって、ややこしい。それらのまちの成り立ちを調べてみると「江戸時代は墓地」という共通点があったんですな。さらに調べると「かつては大阪七墓巡りという風習が行われていた」といった文献を発見したわけです。
これ、結構、大事なプロセスやったと思ってます。というのも、ぼくは最初に「大阪七墓巡り」というのを文献や資料で知ったわけではないからです。
まず墓地跡を、まちを歩いていた。それから、まちに興味を覚えて、大阪七墓巡りという風習を知った。正直、不思議な気持ちでした。自分が「おもろいまちやなぁ」と思って、なんとなく巡っていたところはすべて墓で、さらに「墓参りしよう」と巡っていた人々がいると知ったときの気持ち。300年前の大阪に、元禄の、浮世の、近松門左衛門の時代に、そういう人たちがいた。ぼくの先駆者たちが。
大阪七墓巡り2013より。梅田墓地跡の周辺から再開発された梅田北ヤードを眺める。北ヤードの巨大ビル群を巨大な墓に見立てて、参加者と線香花火をして、最後に合掌しました。
そして、ふと、「そうか。まちというのは、いま、見えているだけのものではない。かつては、なにか別のものであった。あの寺は森だった。あの高速道路は川だった。それを、いまは亡き先人たちが作りかえてきた。まちを歩いていると、先人の、死者の、生きてきた痕跡がいろいろとある。大阪七墓のうちのひとつである梅田は、死者を埋めたから当初は埋田と書いたとか。妄言、都市伝説の類やけど、言われてみれば確かに梅田の、あの高層ビル群は死者のモニュメントであり、巨大な墓石に観えなくもないな……」といったようなことを思い至ったんですな。
まちを巡って、大阪七墓巡りを知って、発見した、ちょっとした気づき。「生者の都市=死者の墓場」という「見立て」のようなもの。文化人類学者の梅棹忠夫氏は「都市神殿論」を唱えてはりましたが、それをもじっていうならば「都市墓場論」。それが、ぼくが「生者と死者が出逢う死生観光」という観光プロジェクトを思いつく契機となりました。
(※注)郷土愛(パトリオティズム)が目覚める・・・コミュニティ・ツーリズムの素晴らしい効用・効果なんですが、これが嵩じていくと、コミュニティ至上主義者の、気持ち悪い人間になりかねません。「東京なんて!」「京都なんて!」といった排外主義的傾向が生まれてきたりもする。「他者性をいかに獲得するか?」というのがコミュニティ・ツーリズムの最大の問題です。なので、ぼくは2011年から他者との出会いをデザインする「コモンズ・デザイン」を提唱し、実践をはじめました。そして、それも、じつは大阪七墓巡りの「無縁仏」との出会いが影響してます。この事に関しても、当コラムの中で触れていきたいと思ってます。乞うご期待。