お坊さんが出会った心ふるえるお弔い②「今日だけは見て見ぬふり」-願隆寺 住職 石濵章友さん(愛知県名古屋市)
2019.08.13
願隆寺の住職・石濵章友さん(愛知県名古屋市)が出会った、心ふるえるお弔いの現場をご紹介する特別寄稿。第2回は、50代のお父さんを亡くされたご家族のお話です。お盆のこの時期に、ぜひご一読ください。
石濵章友(いしはま しょうゆう)
社会人を経て25歳で出家。幸蓮寺で得度し本山専修寺恭敬部で約1年間勤めたのち、平成18年に願隆寺第14世住職に就任。先人が感動し今に伝えた仏教の御教えから、地域・社会への貢献に取り組む。
間に合わなかった乾杯を
あるとき、50代のお父さんからご自身の納骨のご相談を受けました。お父さんは病で余命わずかという宣告を受けていました。色々とお話をして、納骨壇の生前契約と葬儀を当院でお受けすることに。
お酒が大好きなお父さんには高校生と中学生のお子さんがいて、子どもたちが成人したらお酒を酌み交わすことを楽しみにされていました。けれども「どうやら叶いそうにない」と悲しそうに話している、と入院中の様子をご家族からうかがいました。
そこで、お寺でお酒をお供えして、ご家族にお参りしていただきました。「なめる程度でお父さんと乾杯しておいで」と、その日本酒をプレゼントしたのですが、その夜お父さんは亡くなり、本当にわずかな差で乾杯は間に合わなかったそうです。
お通夜にうかがうと、お父さんの大好きだった刺身と、例の日本酒が祭壇にそなえてありました。(仏教の弔事でのお供えものとしては)お酒や魚など本当はダメなのですが、「今日は見て見ぬふりをしています」と言って、通夜と葬式をすすめました。
いよいよお別れの出棺という際、葬儀社の方が、「生前できなかった乾杯をしましょう」と缶ビールをお子さん達に手渡して、みんなでお父さんに注ぎました。みなさんでうれしそうに、お父さんと乾杯している様子が忘れられません。中学生のお子さんが最後に、「強く生きるからね」と立派に声をかけていました。
仏事としてはいけないことばかりだったかもしれません。けれど、ご遺族が心から手を合わせるきっかけになったと思っています。