お坊さんが出会った心ふるえるお弔い①「葬儀なんてするものか」-願隆寺 住職 石濵章友さん(愛知県名古屋市)
2019.08.09
お盆が近づき、そろそろ仏事やお弔いが気になりはじめた方もいらっしゃるでしょう。葬儀や仏事が簡素化・簡略化傾向の昨今ですが、そんななかでも、お坊さんが心ふるえるお弔いの場面に出会うことは多々あるようです。
「この場をお借りして感動を共有できれば」と、願隆寺の住職・石濵章友さん(愛知県名古屋市)がご自身の体験をご寄稿くださいました。数回連続でご紹介します。
石濵章友(いしはま しょうゆう)
社会人を経て25歳で出家。幸蓮寺で得度し本山専修寺恭敬部で約1年間勤めたのち、平成18年に願隆寺第14世住職に就任。先人が感動し今に伝えた仏教の御教えから、地域・社会への貢献に取り組む。
葬儀なんてするものか
疎遠だった実のお母さんが急死したという報せを受け、当院へいらしたAさん。いらした当初は、(葬儀を行わない)直葬をお望みでした。
Aさんはお父さんが早くに他界されたうえ、20歳頃にお母さんが家を出て行ってしまい、以来、お姉さんとふたりで生きてこられたそうです。ご苦労も多かったことでしょう。
出て行ってから数十年、お母さんとはほとんど会うことがありませんでした。ところが、80代のお母さんが亡くなったと警察から突然の連絡。自死だったそうです。お母さんは生活保護受給者で、Aさんは金銭面の問題と、何より「当然の報いだ」という気持ちが強かったようです。はじめは「葬儀なんてするものか」というお考えでした。私が仲介をして、葬儀社に最低限のプランを依頼しました。
「お布施はお気持ちでいいので」とお話しをして、枕経、初七日、通夜、葬儀を行いました。葬儀会館のとても小さな部屋です。集まった少人数でぽつりぽつり話すうち、「小さなころの旅行」「後悔しているケンカ」など色々な思い出が語られました。Aさんはお母さんへの抵抗感から、お母さんが好んでいたテイストの服がずっと大嫌いだったと言いました。
Aさん、出棺のとき泣いておられました。葬儀後、あれほど嫌いだったはずのお母さん好みの服を、好んで選ぶようになったと言います。葬儀をしてよかったと、打ち明けてくださいました。
今では、「親孝行できなかったから」とお墓参りを欠かさず、墓前で心を交わすと落ち着いて気分がよくなるそうです。
お弔いには、枕経、通夜、葬儀といったプロセスが大切だと実感しました。少しずつ感情を吐き出し、気持ちを整えていってもらえるからです。最初は怒りでもいい。Aさんのように、儀礼のプロセスを通じて怒りも涙に変わっていくことがあるからです。