阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。平成7年の遍路道にただよう影(長谷寺住職・岡澤慶澄)【けいちょうの徒然お遍路記(4)】
2021.05.21
岡澤慶澄(おかざわけいちょう)
昭和42年長野県生まれ。平成4年、真言宗智山派総本山智積院智山専修学院卒業。平成19年より長谷寺住職。本尊十一面観音の本願である慈悲心を、「いのり・まなび・であい」というキーワードに活動している。
前回(初めての「お接待」。お遍路に生きる心)はこちら。
平成7年、二つの出来事
昔の都や畿内の人にとって、四国が海の向こうの世界、あの世、時には流罪の地ともなった暗いイメージで眺められる地であったなら、私たちを四国に運ぶフェリーは、今やこの世をどんどんと離れて、あの世へと向かっていることになります。四国八十八ケ所という、千年の歴史を伝える巡礼の世界は、たしかに日常から遠く離れた次元に位置するようです。波に揺られながら、そんな四国へと向かう船中の私の思いも、おのずから内省的になり、またこの年に起こった二つの大きな出来事について考えずにはいられませんでした。
阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件。
私がお遍路の旅をした平成7年は、1月に震災、そしてわずか2か月後にはサリン事件が起こされ、日本中がその衝撃の中にあった年でした。その災害の状況や事件の内容についてここで触れることはしませんが、旅路では様々な痕跡を目にしました。
フェリーで淡路島に着いた時、港から見える島のあちこちに、無数のブルーシートがかけられて被害の後を伝えていました。そして遍路道を歩き出してから、遍路旅で折々に出会う少なからぬ人が、震災で命を落とした人の供養のために巡っていたことは強く記憶に残っています。
さらには、遍路の旅でとった民宿や遍路宿のあちこちに、地下鉄サリン事件の容疑者の手配書が貼られていたこと。実際、同宿となった若者が、教団関係者と誤解されたり、信者の中には教団を離れてお遍路となって懺悔のために歩いているものがある、というような噂を耳にすることも。
そのような出会いや出来事が、旅の始まりから終わりまであり、私の遍路旅に、またはこの年に歩いた人の旅の思い出に特有の彩りと影を添えています。そういう年に巡り合わせて遍路道を歩いとことは、たまたまとはいえ、私には意義深いことであったと思います。
遍路道は、何のために歩むのか。特有の暗さ、人生の負が漂う
古来、例えば写経や卒塔婆 には「為書 き」というものがあり、この写経一巻は誰かの冥福を祈るため、この卒塔婆一本は誰々の菩提 を弔うためというように、「〇〇の為」と願いを建てて勤められます。写経や卒塔婆の建立などの仏道修行をして、その修行でいただく功徳 を故人の魂に回向 する(送る)のですね。むろん、生きている人のためでも構いませんし、何らかの願望成就のためにすることもあります。古来「二世安楽 」という言葉があるように、仏道修行の徳を積んで、この世すなわち現世の安らぎと、あの世すなわち来世の安楽を願う、そういう祈りの「定型」というものもありました。
巡礼もしかり。何か願いをもって、何らかの「為に」人は巡礼の道を歩きます。しかし遍路道は、いささか趣きが違います。そこにはもっと暗いものがあります。近年は「自分探し」をテーマに歩く方も少なくありませんが、古来遍路道にはそういう明るさやいわゆる希望を感じるようなムードは少なく、もっと暗いムードが漂って息づいているように思います。先の「何の為に」の話に戻れば、人がこの道を歩く理由として、人間の弱さとか、業とか、悪とか、貧困とか、差別とか、病とか、闘争とか、または非業の死、こうして書くだけでも気が重くなってくるような、人生の負の部分があるのではないでしょうか。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。このふたつの出来事は、命のはかなさを知らしめ、社会の物質的なもろさ、人間の狂気など、それまで比較的平穏な日本にあってはあまり意識せずに済んだものごとや世界を一挙にさらけ出し、意識の前景につきつけました。この年から、NHKが遍路道を大きく取り上げた番組を作り始めたのもこうした時代の状況と無縁ではなかったでしょう。
フェリーはゆっくりと淡路島に着きました。いよいよ四国へと向かいます。
(次回「お遍路の始まり。いざ、一番札所・霊山寺へ」はこちら)