お大師さまの「おはからい」(長谷寺住職・岡澤慶澄)【けいちょうの徒然お遍路記(2)】
2021.04.29
岡澤慶澄(おかざわけいちょう)
昭和42年長野県生まれ。平成4年、真言宗智山派総本山智積院智山専修学院卒業。平成19年より長谷寺住職。本尊十一面観音の本願である慈悲心を、「いのり・まなび・であい」というキーワードに活動している。
前回(28歳の秋、いざお遍路へ)はこちら。
遍路旅の前から表れた弘法大師の「お計らい」
私が遍路 の旅に出たのは、平成7年の秋でした。
今でもよく覚えていますが、10月8日、千葉で開かれた友人の結婚式に出席し、帰りの電車で尊敬する大阪のお寺のご住職とたまたま同席になりました。
「実は明日から四国遍路に行くんですよ」とお話ししました。するとどうでしょう。それまで穏やかに過ごしていたご住職の目がピカリと輝いて「なんと、それはいいね、実は私も若いときに歩いたんだよ」と熱く語り始めたのです。
「私が歩いたのはね、今から15年前云々」とそれから終点まで遍路の旅の思い出をたくさん語ってくれました。足が痛くて大変だったこと、出会った地元の人の優しさなど、道々の思い出を思い起こす眼差しが何とも懐かしそうで、私もお話を聞きながら、明日から始まるお遍路の旅への期待が膨らみました。思えば、そんなふうにして旅立つ前から弘法大師の「お計らい」があったものと思われます。
「お計らい」と「おとがめ」を感じる、同行二人の遍路旅
「お計らい」とは「おとがめ」とともに、四国の遍路道で、歩き遍路をする人の心根に応じて、お大師さまが現わしてくださる「おしるし」です。善いことがあれば「お計らい」として受け止め、悪いことがあれば「おとがめ」と受け止める。お遍路の道中にいつも弘法大師が共にいてくださることを同行二人 と言いますが、お大師さまが遍路の旅の折々に与えてくださる「気づき」、それが「お計らい」であり「おとがめ」です。
遍路の道で起こる様々な出来事、体験すること、そのひとつひとつを、弘法大師が現わしてくださるメッセージとして受け止めていく。これは遍路旅の約束のひとつでもあります。身に起こること、降りかかってくることを、良きにつけ悪しきにつけ、受け入れていく。善いことがあれば「お計らいだ」とありがたくお大師さまに感謝し、悪いことがあれば「おとがめだ」と我が行いをお大師さまの前で振り返る。
いずれも、我が身に起こること、そこから感じることを、お大師さまとの関係の中で腹に落としていく。それは、なかなか制御できない自我とのほど良い付き合い方を教えてくれるもののようでもあります。
「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生が「人生をいじくり回してはいけない」という言葉を残していますが、私たちは、ああしたいこうしたいという自我の思いの中で、人生をいじくりまわして、傷ついたり、傷つけたり、それでも自我のままにあがいて、袋小路に入り込んでいることがあります。
弘法大師の「お計らい」と「おとがめ」という受け止め方、つまり「同行二人」という遍路旅は、そんな人生を振り回す自我をほどほどに調停してくれるものとも言えそうですね。古来、遍路の道が、何より懺悔 の道、贖罪 の道として位置づけられてきたのもうなずけます。
いざ、遍路旅へ
尊敬する先輩のお坊さん思い出話の余韻を感じながら、ひとり夜行電車で家に向かいました。どんな旅になるのかと、夜汽車の車窓を流れる夜景が何やらしみじみと心に迫るのでした。
朝方に家に着くと、そのまま用意してあった遍路旅の荷物を車に積んで出発しました。一緒に歩こうと約束していた、愛知県の友人の寺まで、ひとまず車でゆき、そこから電車で一路四国へ向かうのです。
友人は修行時代の仲間で、私が当時から「いつかは四国を歩いてみたい」と話していたのを覚えていて、その年の正月明けに彼の方から「今年こそ行きましょう」と誘ってきたのでした。「そのうちに」と先送りしていた私も、彼のおかげでようやく実行に向けて動き出し、結婚やら何やらを控えて「今しかない」と決心したのですが、実はお遍路を目指したきっかけはそれだけではありませんでした。
平成7年という年は、阪神淡路大震災の起こった年であり、地下鉄サリン事件が起こされた年でもあったのです。
(次回「初めての「お接待」。お遍路に生きる心」はこちら)