28歳の秋、いざお遍路へ(長谷寺住職・岡澤慶澄)【けいちょうの徒然お遍路記(1)】
2021.04.15
岡澤慶澄(おかざわけいちょう)
昭和42年長野県生まれ。平成4年、真言宗智山派総本山智積院智山専修学院卒業。平成19年より長谷寺住職。本尊十一面観音の本願である慈悲心を、「いのり・まなび・であい」というキーワードに活動している。
いつかは歩いてみたかったお遍路。28歳の秋に旅立った
もう四半世紀も前のこと、私は四国八十八ケ所の歩き遍路の旅をしました。
弘法大師空海 ゆかりの場所は、高野山や京都の東寺をはじめ数々ありますが、この四国八十八ケ所は格別です。弘法大師の誕生の地である善通寺や、青年時代に厳しい修行をして悟りを開いたとされる室戸岬や四国各地の霊峰など、弘法大師に惹かれる人ならずとも一度はたずねてみたい聖地ばかり。私も自坊・長谷寺が真言宗ということもあり、いつかはこの遍路の旅を、それも歩いてやってみたいと願っていました。
ところで遍路の道は、全長1,200キロ以上、歩けば少なくとも1ヶ月は要する旅となります。むろん体力も必要です。当時はまだ28歳で、住職である父は元気でした。私は翌年に結婚を予定していたこともあり、条件やタイミングを考えれば、まさに「チャレンジするなら今しかない」と、秋の四国へと旅立ったのでした。平成7年の10月10日のことでした。
お遍路は初めて巡っても懐かしいし、何度巡っても新しい
これからまいてら新聞にその遍路の旅の思い出を記していきたいと思います。道中感じたことや、各札所のお寺でお参りをしながら気づいたことなど、蘇る四国路の風光とともに、思い出すまま、それこそ徒然に書いていきたいと思います。
八十八ヶ所の各札所のお寺についての歴史や情報は、公式サイトやYouTube、また遍路の本もたくさん出ていますから、興味のあるかたはぜひそちらをご覧ください。きっとまだ巡ったことがない方は「いつか私も行ってみたいな」と思うでしょうし、かつて巡ったことがある方は「また行ってみたいな」と思うでしょう。
遍路の旅は、初めて巡っても懐かしいし、何度巡っても新しい。そんな不思議な旅になる不思議な場所です。また真言宗という枠を超えて、誰が巡っても、どんなふうに巡っても、その人ならではの味わいの旅となります。それはまた「その人なりの旅しかできない」ともいえるわけで、そこには癒しばかりではなく、修行の道の厳しさもあります。
遍路の道には「同行二人 」という言葉があります。いつも弘法大師と二人連れ、という意味です。
これから四半世紀も前の遍路旅の思い出をたどりながら、この同行二人の味わいを皆さまにお伝えし、祈りの道、修行の道、贖罪の道、再生の道。今ふうに言えば、気づきの道、自分探しの道ともいえる、四国八十八ヶ所の遍路道をめぐってみたいと思います。
すこしずつ、アップしていきますので、良かったらたまにのぞいてお付き合いください。
(次回「お大師さまの『おはからい』」はこちら)