夢は老少一体型寺院。お寺に集うみんなと実現したい – 正蓮寺 住職 渡邉元浄さん(静岡県伊豆の国市)
2016.07.11
絶望からの出発が、お寺の明るさを支える原動力
お寺の境内に入ると、子どもたちのにぎやかな声が響く。静岡県伊豆の国市にある正蓮寺(しょうれんじ)は、伊豆では名が通った寿光幼稚園と楽生保育園を運営する、地域密着のお寺だ。
正蓮寺の明るさは子どもの声だけではない。お寺では活気に溢れる取り組みが行われている。明るさの中心にいるのは、若き住職、渡邉元浄(わたなべげんじょう)さんだ。才気あふれる渡邉さんは正蓮寺で様々な取り組みを行なっている。
- 檀家さんや地域の人と一緒に運営する婚活イベント『お寺で縁結び』
- ご縁ができたカップルがお寺の本堂で結婚式を挙げる『仏前結婚式』
- 静謐な本堂で仏教の言葉を味わう書道教室『正蓮書院』
- 体だけでなく、心をほぐして呼吸をみつめるヨガ教室『お寺でyoga』
- 正蓮寺の名にふさわしい多種多様な品種を植えた『200鉢の蓮の花』
- お庭を眺めながらソファでくつろいでホッと一息つく『こころテラス』
- お供物を経済的に困難な状況のひとり親家庭におすそ分けする『おてらおやつクラブ』
- 大切な方を亡くされた方がお寺に集い、気持ちを分かち合う『グリーフケアのつどい』
- 相続や亡骸だけではなく、こころの行き先も定まる『お寺の終活相談会』
- 永代供養墓と一般的な家族向けのお墓等、多様な価値観に対応する墓地『はすのさと』
表面的には活気ある取り組みばかりが目につくが、その明るさは絶望からの出発に支えられたものでもあった。渡邉さんが22歳の頃、父・元和(げんな)さんが急逝。渡邉さんは若干22歳で住職となる。
父が亡くなった理由を探したいと、もがく時期が長く続きました。考えても答えが見つからない日々でした。そんな時にある先輩から「分かったつもりになっても結局は分からないことだし、逆に分からないと分かることのほうが大きなことではないかな」と言われました。なるほど、と。分からないと分かった時、自分をぎちぎちにしばっていた紐がほどけていった感覚があり、少し楽になりました。
当時、渡邉さんは元和さんの口癖を繰り返し思い出していた。そして数年後、ある運命的な言葉と出会う。
あるご住職から教えていただいたお念仏のこころ「あなたを決して見捨てない」が、父がよく口ずさんでいた「おかげさまのおかげ」と重なると気付きました。例えるならば、「あなたを決して見捨てない」は阿弥陀様からのサーブであり、「おかげさまのおかげ」は私たちのレシーブだと。二つの言葉が共鳴した時、父は阿弥陀様に惚れ、お念仏の中で生きていたのだということが初めて分かりました。
本当に阿弥陀様が僕らを見捨てず、極楽浄土に連れて行ってくれるかは分かりませんよ(笑) でも、死後に父と極楽浄土でまた会えるという約束に出会えた事実だけでものすごくうれしい。本当かは分からないけど、嘘でも言われたいことが世の中にはある。デートの約束のようなもので、本当に会えるか分からないけど、約束したという事実だけで気持ちが支えられます。しかも、デートと違って阿弥陀様との約束は一生続くわけですし。
父の死との向き合い方を見つける中で、渡邉さんは自らのルーツに興味を持ち始める。そして、その興味はお寺の歴史にも及ぶようになる。きっかけはある出来事だった。
正蓮寺は1603年に創建され、私で20世です。400年の節目の2003年に私は住職に就任したのに、400年を記念しようという声がまったくあがりませんでした。誰も400年の節目に気付かなかったのです(笑) 8年後、親鸞聖人の750回忌が行われた2011年にようやく気付きました。お恥ずかしい限りです。
この出来事がきっかけで渡邉さんは正蓮寺の歴史に興味が湧く。歴史をさかのぼる時には過去帳(死者の俗名・戒名・死亡年月日等の記録)や、表白文(ひょうびゃくもん:法要の最初に趣旨を仏前に読み上げる文章)を参考にした。調べる中で、正蓮寺を開いた人物にもたどりつき、なんと初代は僧侶ではなく渡邉半左衛門という俗人だった。
開山上人は「今は浮世に望みなし」と世の中に絶望して発心しました。正蓮寺は絶望から始まったという事実を知り、ようやく原動力が自分に搭載された気分になりました。車のボディの中にあるエンジンに触れた感覚で、心が躍りましたよ。正蓮寺の始まりも自分の出発も、絶望からだったわけです。
それまでは映画会や音楽会をしたりと、お寺に人が集まって笑顔になればよいと思っていました。『お寺』対『集団』という考えが根底にあり、一人ひとりに目を向けていませんでした。私が絶望から逃げていたからです。でも、絶望から出発した開山上人、父の言葉(おかげさまのおかげ)、そして南無阿弥陀仏(あなたを決して見捨てない)と出会い直したことで、自分が一人の仏弟子・釋元浄であることを強く意識するようになりました。一人の仏弟子として目の前の人に向き合うことを大切にしています。『お寺』対『集団』という捉え方が、阿弥陀仏をはさんで、『私』と『あなた』という関係に変化しました。
お寺は究極の「B to C」である
渡邉さんは「お寺がそれぞれの家だけを見れば大丈夫という時代は終わった」と言う。
会社を経営する総代(お寺の役員)さんが「お寺は究極のB to C(Business to Consumer)だよね。相手によって取り組みを変えたりできるし。楽しそうだなぁ」と言ってくれました。究極のB to Cっていい響きですよね(笑)
一方でお寺の場合、Cには継承が発生するので、家という存在が出てきます。親はお墓を移したくないけど、離れた場所に住む息子が困るという理由で、やむを得ずお寺を離れる人もいます。また、幼稚園、保育園をやっていると、先祖よりも子供を守りたいという人もいます。一人ひとりの悩みは色々。その人が今は何で悩んでいるのかという点に目を向けることが大切です。
一人ひとりに向き合う姿勢は、渡邉さんのメッセージの届け方にも表れている。
全員に届けるような話はしなくなりました。「あの人に届けたい」と思って話しています。
正蓮寺では先々代住職から40年間毎月続けているハガキ通信というものがある。「この人に届いてほしい」とハガキ通信を書き始めたら、誰かしらから返事や、電話、反応が返ってくるようになった。
四十九日を迎えたある方に向けて書いた時のことです。
「合掌して『会いたい』と言っていい。何年たっても、法事をしても、さみしいものはさみしい。また手を繋いだり、おんぶや抱っこをさせてほしい。してほしい。まだ私たちには役割があって、すぐとはいかないけれど、必ず、いつか必ずそうさせてくださるのが、阿弥陀という名の仏様。だから、お念仏と一緒に、『会いたい』と言っていいんです。なみだのつぶは、なむあみだぶつ。」
と書きました。後日、別の檀家さんがわざわざお寺を訪ね、感想を伝えてくださいました。一人に送るつもりでみんなに送ると、ほかの人にも似たような思いが湧きあがるのを感じます。
渡邉さんはお寺として「二つの包容力」を大切にしていると言う。一つ目は回忌という儀礼。もう一つの包容力は一対一で対面するグリーフケアだ。
お寺は、故人の記憶をダウンロードできる場です。住職の僕だけしか知らないその人の記憶があります。奉仕作業に一人だけ来て、境内を清掃してくれたこと。本堂に一人で座っていたこと。芝生を刈ってくれたこと。家族が知らないその人の記憶がある。ある人が映っている写真をご家族に渡したら、家族も知らない亡くなる前の最後の写真ということで、仏壇の横に貼ってくれていた方もいます。お寺や僕しか知らない記憶や記録によって一人ひとりが悲しみを少しでも癒すことができれば、僕が住職として生き、お寺がここにある意味だと思います。
老少一体型寺院という夢を実現したい
昭和40年代に建てられた正蓮寺の本堂は耐用年数が少しずつ迫っている。また、地域も人口減少と高齢化が見込まれる中、将来的には「こども園」として幼稚園・保育園も統合されるかもしれない。
今の本堂はとても気に入っています。広くモダンでかつ静謐さが保たれ、絨毯なのでお年寄りや園児たちにも優しく、入園式や卒園式の会場は本堂です。映画や教材投影用のスクリーンもあります。お茶も飲めるし、お通夜の会食や葬儀もできます。柔らかに出迎え、厳かに祈り、浄らかに往く。次の世代にも、今の本堂の良さを受け継ぎたいです。
3年後から正蓮寺の未来計画の立案を開始し、将来的に園舎に余裕ができたら新本堂建築が始まるだろう。今の本堂は奥まった場所にあるが、新本堂は道路から見えやすい位置に移り、より檀家さんがお寺にお参りしやすい環境を整える予定だ。
新本堂を建てることで、子どもからお年寄りまでがいつも集う境内にしていきたい。夢は老少一体型寺院の実現です。正蓮寺に集う一人ひとりが自らをよりどころとする仏教的な自由を得られる、そんな空間を創っていきたいですね。
絶望から出発したお寺づくりは、新たなステージに進もうとしている。老少一体型寺院という正蓮寺の夢。その夢はお寺だけのものではなく、お寺が一人ひとりと真摯に向き合う中で、一人ひとりがその夢に賛同していく。その流れが正蓮寺には生まれ始めている。