法要はかけ湯のごとく(西法寺住職・西村達也)
2022.06.10
西村達也(にしむらたつや)
西法寺住職。1962年北九州市生まれ。龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻を’85年卒業。自坊法務の傍ら鎮西敬愛学園宗教科の非常勤講師を勤めた。’97年第十三世住職に。社会福祉法人慈恵会(済美保育園/旭ヶ丘保育園)理事長。
先日、ご法事に参列されたご門徒さんから、「大切な方の法事に参列することで、法要を重ねることの意義に気づかされた」という感想を、後日にお便りでいただきました。
ぜひ多くの方にもお伝えしたい内容だと思いましたので、以下に掲載させていただきます。
法要はかけ湯のごとく、亡き人を偲ぶ心を回復させていく
知人の四十九日法要の為、久しぶりに西法寺を訪れました。突然のご逝去だったこともあり、通夜、葬儀には参列することが出来ずにいたため、やっとお参りすることが叶いました。
大切な方とのお別れは何度経験しても慣れることはなく、その度に驚き涙し、心が揺れる。無事お参りを終えた時、そんな戸惑いの心が少し安らぐのを感じることができました。
通夜、葬儀、初七日、四十九日、初盆、一周忌・・・今まで法要を重ねる意義を深く考えたことはありませんでしたが、温泉のかけ湯のごとく足先からゆっくりとお湯をかけ体を慣らすように、数々の法要を経ることで大切な人がいないという現実にゆっくりと向き合い、悲しみの中から思い出話に花を咲かせ、一周忌を迎える頃には笑顔で故人を偲べるような心に回復させる。法要にはそんな役割があるのだと後れ馳せながら気付きました。
温かい湯に身を浸すように故人への思いが温かく体を満たし、安らげるようなお手伝いをして頂いている・・・お寺のありがたい効能に改めて手を合わせました。
若い世代にもこの恩恵が引き継がれ、お寺文化が末永く続くことを願います。