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心がほどける宿坊『えんとき』—―なぜ人は本州最果てのお寺を訪れるのか?(二尊院住職・田立智暁)

2025.07.04

 本州最西北端、山口県長門市。日本海の漁村を見下ろす高台の上に、真言宗御室派・二尊院にそんいんの宿坊『えんとき』があります。

 仏教に触れ、自分自身と向き合うかけがえのない時間を過ごそうと、県内外から、今日も誰かが「えんとき」の門をくぐります。

「過疎地のお寺による生き残り作戦?」と思いきや、宿坊を始めたのには、僧侶としての深い想いがありました。

 なぜ本州最果てのお寺が人気なのか。2020年にエコツーリズム大賞特別賞を受賞した宿坊『えんとき』に込める想いを、田立智暁ただてちぎよう住職が語ります。

田立智暁

昭和53年山口県生まれ。高校卒業後、京都仁和寺の密教学院にて修行を成満。その後、弘法大師が創立した種智院大学を卒業。滋賀県大津の石山寺などで奉職。平成19年に自坊に戻り、翌年に第60世住職を拝命。

二尊院ページ

二尊院について

 二尊院は、山口県長門市にある真言宗御室派の寺院です。

 創建から1200年が経ち、お寺の名前の通り、釈迦如来と阿弥陀如来の二尊仏をご本尊とする、大変珍しいお寺です。

二尊仏
本尊で国指定重要文化財の釈迦如来と阿弥陀如来

 境内には楊貴妃ようきひの墓と伝わる石塔もあり、楊貴妃伝説が残るお寺として、古くから人々の信仰を集めてきました。楊貴妃は唐の玄宗げんそう皇帝に寵愛された美女で、安禄山あんろくざんの反乱を逃れて海を渡り、二尊院のある向津具むかつく半島に流れ着いたと伝えられています。

五輪塔
楊貴妃のお墓と伝えられる五輪塔(山口県指定文化財)

 また、鎌倉時代に真言律宗を開いた高僧・叡尊えいそんゆかりのお寺でもあります。叡尊は、女性や子ども、病者など、社会的弱者の人たちの救済に生涯を捧げたお方です。

 私は、そうした慈悲の実践にこそ仏教の本来の姿があると感じており、弘法大師空海と並んで、叡尊を深く尊敬しています。

 宿坊を始めようと思った背景にも、叡尊の教えが大きく影響しています。

宿坊「えんとき」誕生秘話

 昔から、人の話を聴くのが好きでした。僧侶になってからも、さまざまな方からご相談を受ける機会をいただきます。

 ただ、はじめての方と向き合うとき、1時間程度の面談だと、どうしても心の奥深くには届かず、もどかしさを感じます。相談に来られた方にしても、時間や帰りのことが気になって、本音を打ち明けづらいのではないでしょうか。

 二尊院は本州の最果てにあって交通も決して便利とは言えないので、滞在時間も限られます。「だったらいっそのこと、泊まってもらったほうがいいのでは」と思い至ったのが、宿坊を始めるきっかけでした。

 構想から約10年、多くの方の支えやアドバイスをいただき、令和元年4月のオープンを決めました。ところが、その年の始まりとともに新型コロナウイルスが猛威を振るい、非常事態宣言も出され、スタートは延期を余儀なくされたのです。

 それでも、私はこう考えました。

「こういう時こそ、お寺は門を閉ざすのではなく、どなたにも開かれているべきではないかと。どんな病の人でも、どんな身分の人でも、分け隔てなく受け入れた叡尊のように」

 まだコロナの不安が残る中でしたが、8月に「えんとき」を開業。すると、医療従事者や福祉関係者、公務員の方など、コロナ禍対策で心身ともに疲れ切った方々が次々と訪れてくださったのです。

客室
窓から日本海の漁村が見下ろせる風光明媚な客室。
エコツーリズム
宿坊「えんとき」は、2020年エコツーリズム大賞特別賞を受賞する。

仏教に触れ、想いをことばにする時間

「えんとき」は、ただの宿坊ではありません。坐禅、写経、護摩祈祷、滝行、念珠づくり、そして漁村ならではのクルージングなど、多様な体験を通じて仏教に触れていただける場にしています。

 食事は、私自身が手がける、地元の旬の食材を使った精進料理をご用意しています。朝のおつとめにも参加いただき、お客様には境内の掃き掃除(作務さむ)をお願いしています。竹ぼうきで落ち葉を掃くことも修行となり、心が洗われるような時間になるからです。

滝行
一番人気は滝行体験。若い人の参加も多い。
作務
作務や朝の勤行を体験することで、いつもとは違った旅行体験ができる。

 その中でも、私が最も大切にしているのは、お客様との対話の時間です。

 たくさんの体験コンテンツを通じて時間をともに過ごす中で、少しずつ心がほどけていき、信頼を寄せていただく。すると、他のどこでも話せなかったことがことばになって出てくる。そこに、僧侶としての大きな喜びを感じています。

 夜は「坊主バー」と称して、お酒を酌み交わしながらまったり話す時間も。日本海を見下ろすこの土地で、日々の喧騒から離れて、僧侶と語り合ってみてください。きっと、自分を見つめ直すきっかけになるはずです。

坊主バー
坊主バーは、「交流」に重きを置いた二尊院ならではのコンテンツ。

あるお客様との、忘れがたい対話

 以前、ご家族との関係に悩み、精神的に追い詰められていた女性が、2泊3日で滞在されたことがありました。「坐禅も写経もいらない。ただ話を聴いてほしい」と。私は、ひたすら彼女の話に耳を傾けました。

 朝も昼も夜も、勤行ごんぎようや作務の合間をぬって、私はひたすら彼女と向き合いました。すると少しずつ、彼女の中にある「生きづらさの根っこ」が見えてきたのです。

「ずっと他人に合わせて、自分を押し殺して生きてきた」――その思いを、声に出したり、紙に書いたりしながら、一緒に言語化していくうちに、心の奥底にある生きづらさの根っこにたどりつかれたのです。

 私はこうお伝えしました。

「あなたは、自分の思ったことを誰かに伝えていいんですよ。やりたいことは何でもやっていいんですよ」

 そのことばを受け取った彼女は、堰を切ったように泣き崩れました。でもその涙は、きっと長いあいだ胸の中にたまっていた心の苦しみを洗い流す涙だったのでしょう。帰り際には「来てよかったです」と、晴れやかな笑顔を見せてくださいました。

 ここまで深く話し込むことができたのは、やはりお寺に泊まっていただいたからこそでしょうし、私が宿坊を始める動機を叶えることができたことを、とても嬉しく思います。

 もちろん、もっと気軽に仏教やお寺に触れたいという方も大歓迎です。

 日々の暮らしに疲れている方、生き方に悩んでいる方。仏教やお寺を満喫したい方。どうぞ「えんとき」で、心の荷物をそっと下ろしてみてください。

お寺画像
山口県長門市
二尊院
創建1200年の密教寺院 ご縁が整う「宿坊えんとき」

二尊院ページ

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