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お寺の縁側で思う。人と人がゆるやかにつながる空間

2019.11.22

 先日、広島県大竹市の西念寺さいねんじ さんにお参りしました。
 まいてらでは寺院登録にあわせてかならず寺院訪問をしており、その一環でのお参りでした。

 西念寺さんの本堂前には縁側がありました。
 瀬戸内海からの陽光が注ぎ、とても心地よいそよ風が縁側に入っていました。私からお願いし、住職の正木耕太郎まさきこうたろう さんと、当日来られていた近隣のまいてら寺院・瑞相寺ずいそうじ 三谷みたに 住職としばし語りあいました。

左から正木住職、筆者、三谷住職

 私は縁側がとても好きです。たぶんないと思いますが、いつかもし注文住宅を建てる時が来たら、縁側のある家にしたいというのがひそかな野望です。
 以前、東京・世田谷せたがや 感応寺かんのうじ さんで成田なりた 住職にインタビューをした時も、あえて縁側でとお願いしました。それくらい縁側が大好きです。

感応寺の思わず座ってみたくなるほどよい高さの縁側にて、成田住職(左)と筆者(右)

パブリック(公)とプライベート(私)がゆるやかにつながる空間

 私が縁側を好きなのは次のような理由からです。

  • ポカポカした陽気の日はとても気持ちよく、座ってお茶を飲みながら、思わずボーっとしたくなる
  • パブリック(公)とプライベート(私)の境目にあり、内でありながら外という、公私がゆるくつながる空間である
  • (なぜか分からないが)不思議と安心感を覚える

 今の住宅は気密性・秘密性の高さが優先されがちで、公私の空間が明確に仕切られます。地価の高い地域では、縁側という空間を設けること自体が贅沢ぜいたくでもあります。
 冷暖房の効率性やセキュリティ、プライバシー保護が重視される時代背景の下、「私」の側が強まることで、居住空間と地域のつながりを橋渡しする空間はどんどんなくなっています。
 プライベート(私)の中に存在するパブリック(公)の空間である縁側がなくなっていることも、地域とのつながりが希薄化している一つの要因ではないかと感じています。

 必ずしも、縁側そのものをつくる必要はありませんが、今の社会には「縁側的機能」がとても求められていると感じます。
 近年盛り上がっているお寺の掲示板も、ある種の縁側的機能を果たしていると思います。

お寺にこそ、ゆるやかに人がつながる「縁側」があってほしい

 最近、お寺から本堂や庫裏くりの建て替え、リフォームについて相談をいただいたら、必ず次のようなお願いをしています。
 
「ぜひ、縁側をつくってください。縁側は難しかったとしても、参詣者や地域の方々とゆるやかにつながりをもてる空間をつくってください」

 お寺もセキュリティなどの関係で空間を閉じがちな時代ですが、公共性の高い存在でもあるお寺だからこそ、縁側的機能のある空間を設け、ゆるやかに参詣者や地域の方々とつながってほしいと思います。
 人と人とのつながりこそ安心感を醸成するものですし、現代人が求めるほどよい距離感を保つためにも、縁側というゆるやかな空間はとても重要なのではと思います。

 ポカポカとした陽光の下、ボーっとしたり、他愛もない会話をする。
 縁と縁がゆるやかにつながる空間。
 変化が速く、色々なものに縛られがちな現代だからこそ、縁側的なゆるさが必要かもしれません。

 これからも多くのお寺にお参りするなかで、色々な縁側と出会っていくでしょう。
 素敵な縁側と出合ったら、ぜひ読者のみなさんにもご紹介していきたいと思います。
 逆にみなさんも素敵な縁側エピソードをお持ちでしたら、ぜひ教えてください。

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