法話の鉄板ネタは「虫歯」と「入れ歯」!? 歯医者×お坊さん – 龍興院 副住職 大島慎也さん(東京都墨田区)
2016.08.26
東京スカイツリーの全景が見えるというタワービュー通りの西側に、古い寺院が多く残るエリアがあります。江戸時代、浄土宗の僧侶を養成した関東十八檀林・霊山寺もそのひとつ。霊山寺は、徳川家康の依頼により1601年に建立されたと伝えられています。1601年といえば関ヶ原の合戦の翌年。江戸・東京の歴史をつぶさに見てきた古いお寺です。
さて、今回めくらせていただく大島慎也さんは、霊山寺の塔頭寺院・龍興院の副住職さん。なんと、大島さんのお仕事は“歯科医”。またしても異色な兼業お坊さんが登場します!
大島慎也(おおしま・しんや)
1980年生。龍興院副住職。学習院大学法学部卒業後、日本歯科大学歯学部に学び、歯科医師免許を取得。日本歯科大学附属大学病院勤務を経て、父・住職が院長を務める大島歯科医院(現・日本橋すこやか歯科)へ。2013年12月、増上寺伝宗伝戒道場にて加行、成満。2014年より歯科医と副住職の二足のわらじを履くことに。現在は、大正大学大学院仏教学科にて修士論文を執筆中。
歯医者の息子、ある日突然「お寺の子」になる
大島さんは、小学校3年生までは「お寺の子」ではありませんでした。幼い頃の大島さんにとって龍興院は「おじいちゃんのお寺」。お父さん(現住職)は次男だったため、お寺を継ぐ予定はなく歯科医を開業していたからです。
ところが、長男の伯父さまが他の寺院を継ぐことになったので、大島さん一家は横浜のマンションから墨田区の龍興院へ引っ越しました。
ある日、「お父さんはお坊さんもすることになったから」と言われて。歯医者の息子がいつのまにかお寺の子になってしまったんです。私はおじいちゃんが大好きだったので「おじいちゃんの家に住む」という感覚でした。
子どもの頃の大島さんは、先代住職(お祖父さま)と一緒に木魚を叩いて毎朝のお勤めをしていたそう。すっかり“お寺の子”になったようでしたが、大学進学時にお父さまから「お寺か歯医者、どちらかを継いでくれないか」と言われたときの返事は「NO」でした。どちらの道も選ばず、学習院大学法学部に進学。ところが、就活準備が始まる頃に「歯医者」の道が改めてちらつき始めます。
進路についてすごく悩んでいろんな友人に相談をしました。すると、仲の良い友人のひとりが弁護士、もうひとりは公認会計士を目指すというのを聞いて、私はやっぱり歯医者になろうかなと。父がずっと歯医者をやっている姿を見ていたので、跡を継ごうという思いが出てきたのだと思います。
ふたたび受験勉強をして日本歯科大学に入学。「合計10年間も学生をやっていまいた」と大島さんは笑いますが、20歳の方向転換には強い意志と努力が必要とされたはずです。歯科医の国家資格を取得し、研修医を終えて大学病院で働きはじめたとき、大島さんの前にふたたび人生の岐路が現れました。
体調を悪くした父から「歯医者だけでなく、お寺も継いでほしい」と言われたのです。勤務先の病院に「修行に行きたいので3週間の有給休暇をください」と言って、最初の修行に入りました。
休暇の理由として「修行」というのはかなりなレアケースですが、幸い上司は快く許してくれたそう。しかし、道場への入行は全部で4回。有給で対応するには限界があります。大島さんは病院を退職し、お父さんの診療所で働きつつ修行を続けることにしました。
「歯医者もお寺も継ぎたくない!」と言い切った18歳の大島さんが、10年後にその両方を継ぐ選択をするなんて。誰よりも、大島さん本人がいちばん思いもよらないことだったと思います。
修行道場で目覚めた仏教の面白さ
多忙な病院を離れて修行に入り、初めて体系的に仏教を学ぶ機会を得た大島さん。静かな道場で聞くお釈迦さまの教えに深く心を揺さぶられたそう。
今でも覚えているんですけど、教室の一番前の席にかじりついて、先生が「四法印」について説明されるのを聞いて。お釈迦さまはなんと理路整然と整理して説明をされたのだろう。この世の現象を理論的に説明しようとするとたしかにその通りになるだろうと思って、すごい感動したんです。
仏教の面白さに目覚めた大島さんは、「もっと仏教を学びたい」と大正大学大学院仏教学研究科に入学し、今は修士論文を執筆中。お釈迦さまだけでなく、浄土宗の宗祖・法然上人のことについてもアツく語ってくださいました。
法然上人も好きなんですよ。いやもう、この日本仏教のなかでやっぱりスゴい人ですよ。学問を修め、厳しい修行をしたうえで、なおかつ一般大衆を救う方向に向かわれたのですから。「経典のここに書かれているから、こうなのです」とエビデンスをしっかり整理して理論的に説かれているところもスゴいと思います。
「エビデンス」という言葉が飛び出すあたりがやっぱりお医者さま!医学の世界には、「evidence-based medicine(EBM:根拠に基づく医療)」という言葉がありますが、それにならって言えば法然上人の仏教は「evidence-based Buddhism」になるのかもしれません。
祖父が目指した「お檀家さん中心のお寺づくり」
大島さんにとって「歯医者の師匠は父、お坊さんの師匠は祖父」。先代住職は「元教師で厳格な一面もありながら、孫には優しいおじいさん」だったと大島さんは言います。昨年、95歳で往生されました。
祖父は私に教えるのがとても好きだったので、子どものころからお寺のことをたくさん教えてもらいました。お檀家さんとの接し方、お寺の運営の仕方、お釈迦さまや法然上人の話。ここ10年ほどは、私も大学で仏教学を学んでいましたので、祖父がしてくれる仏教の話をよく聞いていました。
先代住職に教わったことのなかで、大島さんが一番大切にしているのは「お檀家さんを中心にするお寺づくり」という考え方。東京大空襲で焼けてしまった本堂を再建するときにも、先代住職は「お檀家さんを中心に」というコンセプトを明確に打ち出しました。
浄土宗では「僧侶は本堂の内陣(ご本尊の正面)の真ん中に座る」と決まっています。しかし、祖父は「お坊さんは脇でいい。お檀家さんがご本尊の真ん前まで来てお焼香ができるように」と、僧侶の位置を脇にズラしました。お坊さんが偉そうにするのではなく、お檀家さん中心のお寺にしようという祖父のアイデアです。
本堂に身を置いていると、先代住職の思いがじんわりと伝わってくるよう。仏教を学びつづけ、書を愛し、自らの思い描くお寺づくりに邁進したという先代住職は「人生をかけてお坊さんであることを楽しんでいらっしゃったのではないか」とも思いました。
宗教の役割は、生死を超えて人を幸せにすること
そんな先代住職のあり方は、孫である大島さんにもいつしか受け継がれているようです。歯科医院のほうは同じく歯科医の弟さんに任せてお寺に軸足を置くようになった今、「お坊さんは私の天職」だと感じていると言います。
極端な話ですが、夜眠れない人に薬を与えればその人は眠れるようにはなります。でも、眠れない原因となっている悲しみや苦しみを癒すことはできません。そこが医学の限界で、その先にあるのが宗教だと思います。私には歯医者よりもお寺のほうが面白いし、やりたいことがたくさんあるんですよ。
「歯医者は患者さんが痛みを訴えるところを触るのですごく緊張する」と言う大島さん。しかし、大切な家族を亡くしたばかりの遺族のなかへ入っていって葬儀を執り行うという意味では、お坊さんは「心の痛みに触れる」仕事をします。「人の痛みに触れる」という意味では、どちらも共通するところがあるのではないでしょうか?
大島さんは、「医学も宗教も目的は“人を癒す”ということだと思う」と言いながら、ふと先日亡くなられたお檀家さんのおばあちゃんの葬儀のことを話してくれました。
そのおばあちゃんは生前、私がお参りに行くたびに「ありがとう、ありがとう」と手や袈裟を掴んで離さなくて。その話をご遺族にするとみなさん泣かれるんですよ。「そんなにお寺さんが好きだったんですね。ちょっと救われました」と。「きっと、一緒にお経を唱えて極楽に往生したのでしょう」と話すと、悲しいお葬式がちょっと晴れやかになって、少し悲しみをやわらげられたのかなと。
大島さんは「宗教は人を幸せにするためにある」と言います。たとえば、もし子どもが「なぜ、お父さんは死んでしまったの?」と問うてきたとき、医学的な回答は「心臓が止まったから」です。でも、その答えではその子の問いを解決することはできません。
「人の命は思い通りにならなくて、誰もが自分の死を決めることはできないんだよ」と話すのがお坊さんですよね。医学は生きている人を対象に原因を追及して改善・解決を求めますが、宗教は生死を超えた人を対象にします。「死んでも無にはならないよ」と説いて、死の恐怖をやわらげて安心感をもたらそうとします。
医学と仏教、それぞれの可能性を見てきた大島さんの、お寺づくりのビジョンは「健康を守るお寺」。歯科医ならではのお寺づくりのアイデアで、龍興院を地域コミュニティの中心にしていこうと考えています。
お口から極楽まで!地域とお檀家さんの健康を守るお寺へ
墨田区は都内でも高齢化が進む地域。自然と、お寺に集まるのもご高齢の方が多くなってきました。「お檀家さんの健康を守る」ことをテーマにしたお寺づくりが、今後の龍興院の目指す方向性です。
「健康」をキーワードにしたのは、地域との関係性をていねいに重ねたいという大島さんの意志のあらわれです。仏教で人をしあわせにするには「葬儀」という点でつながるのではなく、日常的なおつきあいのなかでお互いに知りあい、時間をかけて仏教を共有していく必要があるからです。
たとえば、「四法印」や「四聖諦」など、仏教のコアコンテンツは何の準備もない人に伝えることは難しいもの。「えー、諸法無我と言いまして」と始めても、おそらくお檀家さんのおばあちゃんたちには受けません。大島さんは「虫歯」や「入れ歯」をネタにしながら、ゆっくりと法話の流れを作るようにしているそうです。
お子さんがいるときは「虫歯菌は3歳くらいまでに定着するんですよ」とか。年配の方が多いときは入れ歯ネタですね。「入れ歯安定剤を使わずに、歯医者さんで治したほうがアゴの骨のためにいいんですよ」とか言いながら、仏教の話に持っていきますね。
“歯ネタの法話”が聞けるなんて龍興院だけかも…! でも、考えてみると、兼業しているからこそできる法話というものがそれぞれの職業ごとにあるにちがいありません。法話のバリエーションが広がるほどに、仏教の語られ方も豊かになっていきそうです。
兼業して良かったと思うのは、お寺に対して客観的な視点を持てたことです。お寺とおつきあいのあるお檀家さんは熱心な方が多いもの。お寺側は、熱心ではないない方がお寺をどう見ているのかという視点を失いがちだと思うんですね。
これはお坊さんに限ったことではないと思うのですが、自分の環境を外側から見る視点を持つことは難しいものです。たとえば、家族、自分の住む町、職場、業界、あるいは日本という国。俯瞰して客観的に見るには、自分のなかに他者を持つ必要があります。
兼業しているお坊さんにインタビューをしていると、みなさんに共通する風通しの良さのようなものを感じています。もしかすると、その秘密はふたつの世界を抱える生き方にあるのかもしれません。