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	<title>薬王山 本休寺 &#8211; まいてら</title>
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	<description>安心の寺院・僧侶紹介。あなたにピッタリの探し方</description>
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		<title>顔の見えるつながりと、手間暇の価値─『古くて新しい仕事』を通して語る、これからの生き方</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/furukute_atarashii_shigoto/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[まいてら 編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 Aug 2025 06:40:02 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　島田潤一郎しまだじゆんいちろうさんの著書『古くて新しい仕事』（新潮文庫）は、静かだが深い感動を呼び起こす一冊です。 　本書に心を打たれた本休寺ほんきゆうじ住職・岩田親靜いわたしんじようさんとまいてら編集部・井出悦郎いで [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto-1024x768.jpg" alt="古くて新しい仕事" width="640" height="480" class="aligncenter size-large wp-image-38159" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto-768x576.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto-1536x1152.jpg 1536w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto.jpg 1920w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<p><em>　</em><ruby>島田潤一郎<rt>しまだじゆんいちろう</rt></ruby>さんの著書『古くて新しい仕事』（新潮文庫）は、静かだが深い感動を呼び起こす一冊です。<br />
<em>　</em>本書に心を打たれた<ruby>本休寺<rt>ほんきゆうじ</rt></ruby>住職・<ruby>岩田親靜<rt>いわたしんじよう</rt></ruby>さんとまいてら編集部・<ruby>井出悦郎<rt>いでえつろう</rt></ruby>が語り合ったのは、現代社会の中で見えづらくなっている「大切なこと」。お寺の役割、暮らしの価値、そして“続ける”ことの意味——。本書が投げかける問いを軸に、二人の思索が交差します。</p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田親靜（いわたしんじょう）</p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ。26歳の時に、本休寺の住職に就任。30歳で結婚。現在、三人の子供の親。末娘の寝かしつけ時に、寝てしまい。朝3時頃に起きることが多い。趣味は読書。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/02/prof_ide2.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">井出悦郎（いでえつろう）</p><p class="c_profile__txt-a">1979年生まれ。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、まいてらを運営する一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める。東京大学文学部卒。<br />著書に<a href="https://amzn.to/3Hnyp79" rel="noopener" target="_blank">『これからの供養のかたち』（祥伝社新書）</a></p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/column/etsuro_ide/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>井出悦郎の記事一覧</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<h2 class="c_header_post-b">「揺らぎながらも、問い続ける」人間らしさ</h2>
<p>(岩田)　現状認識が甘い本ではまったくなく、作者の島田さんは現状をちゃんと分かっていて、その上で、今自分に何ができるかを考えています。私たちはどうしても目先の利益にとらわれがちですが、島田さんの本はそれを超えて、あなたは何をしたいのかという問いかけをしてくれます。</p>
<p>(井出)　私はこの本を読んだ時、生きる上での恐れに対して安心感を与えてくれると感じました。島田さんは誠実に失敗を語り、「完璧さ」より「正直さ」を大切にしています。ご自身の迷いや弱さを包み隠さず書いていることが安心感につながっているのだと思います。</p>
<p>(岩田)　生きる上では良いことも悪いことも起こり、私たちは一喜一憂しながら歩いていきますが、ぶれない生き方をしたいと思うことがあります。島田さんはぶれないわけではなく、自分のぶれも感じながら、立ち止まって考え、自分の求めているものはなんだろうと立ち返ってきます。この本はビジネス書や哲学書とは異なる味わい深さがあります。</p>
<p>(井出)　年齢を重ねていくと、人生は思い通りにいかないと知ります。その際に、自分なりの歩みを肯定することで、自分の人生を受け止めていくことになります。本書は、人生へのあきらめとかではなく、「これでいいのだ」と自分の人生を肯定できる読後感がありますね。</p>
<h2 class="c_header_post-b">数よりも「顔の見えるつながり」を大切にする</h2>
<p>(井出)　島田さんが、全国の100軒の書店を実際に訪ね、顔の見えるつながりを大切にしているという点にとても共感を覚えました。</p>
<p>(岩田)　人間関係の上限とも言われるダンバー数は150くらいと言われますが、書店とのつながりというのは私も共感します。私の預かるお寺は千葉にありますが、檀家さんは東京や埼玉にもいらっしゃいます。点在する檀家さんのご自宅を毎年一軒ずつ回るのですが、ダンバー数は一つの限界を教えてくれます。大変ならば回ってくれる僧侶を雇えばよいのかもしれませんが、檀家さんが何を求めているのかを自分が感じることが大切です。直接的な関係をしっかり保てれば、仮に私が道を間違った時にも「住職、間違ってるよ」と言ってくれる檀家さんがいるはずです。手触り感のある100のつながりというのは、とても共感します。</p>
<p>(井出)　SNS的な「フォロワーの数」に目がいきがちですが、つながりの強さという点では、対面で築く信頼に勝るものはありませんよね。デジタル社会に生きる私たちにとって、「人とのつながりの本質」を見つめ直すきっかけになりますし、新型コロナ禍を経て、改めて人とのつながりを考えさせられる内容です。</p>
<h2 class="c_header_post-b">「手間暇」の価値を見直す（＝時間をかけることの意味）</h2>
<p>(井出)　つながりを大切にされる島田さんのやり方は、とても手間暇がかかりますよね。でも、タイパやコスパが喧伝される世の中において、手間暇こそ幸せの源ではないかと。手間暇をかけずに、楽してやったことは身体記憶に刻まれないので、記憶・思い出として残っていきません。記憶・思い出に残らないものに幸せを感じることはできず、幸せというライフパフォーマンスで言えば、手間暇こそ幸せに不可欠なものではないかと思うのです。</p>
<p>(岩田)　まいてら寺院はどのお寺もそうだと思うのですが、次の世代にお寺を必ずつないでいくことを強く意識しています。自分が住職の代において、手間暇をかけて大切にお寺を運営したいという思いがあります。手間暇をかけて努力し、できる限りお寺の信頼という価値を積み増して次世代にバトンを渡せるかが問われます。<br />
<em>　</em>人口減少社会を迎える中で、檀家さんは減っていくかもしれませんが、手間暇をかけ、縁ある人々とともにあり続ける努力は鍛えることができます。長い年月の中で手間暇をかけて有縁の人と関わり続けるからこそ、ある時にお布施を頂戴し、そのお布施によってお寺が続いていくことができます。急変する時代だからこそ、組織やコミュニティが長く続いていくために手間暇の価値を見直すべきではないでしょうか。</p>
<p>(井出)　本書を通じて、まいてらでも大切にしてきた「つながり」や「丁寧さ」の価値を、改めて見つめ直すことができました。<br />
<em>　</em>数や効率が重視される社会の中で揺らぎながらも、大切にしている軸をぶらさないこと。人と人とが顔を合わせて信頼を育むこと。そして、タイパ・コスパ重視の時代に、あえて“手間暇をかける”という選択肢の尊さ。<br />
<em>　</em>本書は、変化が激しい時代において、自分なりの人生を歩むヒントがたくさん詰まっていると思います。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2025/08/furukute_atarahii_shigoto.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">新潮文庫</div><div class="c_tera__title-a">古くて新しい仕事</div><div class="c_tera__txt-b">今日、だれのために、なにをするか。仕事の出発点は、いつもそこだ。</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://amzn.to/41ZUJhI" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">書籍紹介</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Sun, 31 Aug 2025 06:40:02 +0000</gnf:modified>
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		<title>コロナ禍に始めたオンライン読書会。多様な考えに触れ、僧侶も気づきを得る（本休寺住職・岩田親靜）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/honkyuji22_20210628/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[岩田 親靜]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Jun 2021 20:49:22 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　読書は人を豊かにしてくれますが、自分が読んだ本について語り合う読書会に参加することで、その豊かさはさらに広がりを持ちます。自ら読書会を主宰されている本休寺の岩田親靜住職（千葉県・日蓮宗）に、読書と読書会の魅力について語 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/199835983_309152794262358_3917638131419829229_n.jpg" alt="" width="519" height="435" class="aligncenter size-full wp-image-28149" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/199835983_309152794262358_3917638131419829229_n.jpg 519w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/199835983_309152794262358_3917638131419829229_n-300x251.jpg 300w" sizes="(max-width: 519px) 100vw, 519px" /></p>
<p>　読書は人を豊かにしてくれますが、自分が読んだ本について語り合う読書会に参加することで、その豊かさはさらに広がりを持ちます。自ら読書会を主宰されている本休寺の岩田親靜住職（千葉県・日蓮宗）に、読書と読書会の魅力について語っていただきました。</p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ。26歳の時に、本休寺の住職に就任。30歳で結婚。現在、三人の子供の親。末娘の寝かしつけ時に、寝てしまい。朝3時頃に起きることが多い。趣味は読書。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<h2 class="c_header_post-b">読書会を通じて見えてくる「自分が知らなかった自分」</h2>
<p>　もっぱら読書を趣味としている人間です。仏教書はもちろんですが、思想書、ビジネス書、絵本、小説、タレント本まで、さまざまなジャンルのものを横断的に読むようにしています。</p>
<p>　コロナ禍によって思うように外に出られなくなりました。室内にいながらできることとして、オンラインの読書会を始めたのです。</p>
<p>　読書会では、まず参加者全員が自分の好きな本を1冊選んでその魅力を語り、それに対して「なぜその本を選んだか？」「その本のどこに魅せられたか？」などと、いろいろな質問を投げかけられます。</p>
<p>　本来、読書は孤独な営みですが、投げかけにより対話（ダイアローグ）が生まれます。一人で行っていた読書が他者の視点が入ることで、より多角的な視野を生み、多様性を理解するきっかけになります。そして、自分について知ることにつながります。</p>
<p>「この本は、こんな読み方もあったんだ」<br />
「実は私は、無意識のうちにこんな性格を持っていたんだ」<br />
「あの人の考え方は素敵だな」</p>
<p>…などと、自分以外の誰かと語り合うことで、自分が知らなかった自分、自分とは違った考え方に触れることができます。多様性を感じることが、自分を冷静に見つめ直すことにつながるのです。</p>
<p>たとえば最近の読書会で私は、お笑い芸人ウーマンラッシュアワー村本大輔さんの『おれは無関心なあなたを傷つけたい』を取り上げました。彼はとにかく現場に行くことにこだわる。目で見て、肌で触れたものだけを言葉にし、笑いにしている。宗祖である<ruby>日蓮聖人<rt>にちれんしようにん</rt></ruby>も天災や人災を経験し『<ruby>立正安国論<rt>りつしようあんこくろん</rt></ruby>』を書かれています。弱きもの、声の小さい人々に寄り添う姿勢に近いものを感じました。</p>
<p><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/201909805_916212672287231_5921049012025660607_n.jpg" alt="" width="509" height="402" class="aligncenter size-full wp-image-28150" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/201909805_916212672287231_5921049012025660607_n.jpg 509w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/201909805_916212672287231_5921049012025660607_n-300x237.jpg 300w" sizes="(max-width: 509px) 100vw, 509px" /></p>
<h2 class="c_header_post-b">「自分自身に問う」その入り口としての読書会</h2>
<p>　お<ruby>釈迦<rt>しやか</rt></ruby>様は「<ruby>正見<rt>しようけん</rt></ruby>」の大切さを説かれています。字の通り、正しく物事を見る、ということです。</p>
<p>　正しく物事を見る。これがなかなか難しいのです。なぜなら、あらゆるものは移り変わっていきますし、人間は自我意識からは離れなれないからです。正しく見ていたつもりのものが実は歪んでいたり、自分自身が偏っていたり、そしてその歪みや偏りに気づいてないこともしばしば。</p>
<p>　だからこそ、正見へと促す入り口として、自らを冷静に見つめる方法としても読書会は運用できるのではないかと思っています。家事や仕事や人間関係などに振り回されがちな毎日ですが、読書や読書会をきっかけに、じっと立ち止まり、深く考え、広い視野で物事を見ることができます。</p>
<p>　自分の目で見る、自分の頭で考える、これが大切なのです。私は日蓮宗の僧侶ですが「お<ruby>題目<rt>だいもく</rt></ruby>を唱えましょう」よりもまず先に「自分自身に問うこと」を説くお坊さんでありたいと思います。自分自身がどうありたいか、どのように生きていくべきなのかを考えなければならないからです。その答えは、あなた自身の中にしかありません。読書会はその答えへ促す一つの方法になりえるのではないかと考えています。</p>
<p>　コロナ禍でなかなか思うように外出ができない日々はこれからも続いていくでしょう。どうぞ興味のある本を手に取り、ページをめくってみて下さい。そしてそこで知ったこと感じたことを、誰かに話してみてください。読書と読書会が、あなたの世界をひとまわり大きくしてくれると思っています。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_01_eyecatch-1.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Mon, 08 Dec 2025 07:23:10 +0000</gnf:modified>
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		<item>
		<title>戒名は人柄で決まる？意味・戒名料など、戒名の基本【教えて！お坊さん：戒名①】</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/kaimyo1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[玉川 将人]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Jun 2021 23:09:45 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　お仏壇やお墓で必ずといっていいほど目にする戒名かいみようですが、 「どうして必要なのか」「どのように文字が決まるのか」 「戒名の位によって何が変わるのか」 「戒名とは人柄で決まるのか？」など、 　わからないことばかり。 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>お仏壇やお墓で必ずといっていいほど目にする<ruby>戒名<rt>かいみよう</rt></ruby>ですが、</p>
<p>「どうして必要なのか」「どのように文字が決まるのか」<br />
「戒名の位によって何が変わるのか」<br />
「戒名とは人柄で決まるのか？」など、</p>
<p><em>　</em>わからないことばかり。</p>
<p><em>　</em>世間では、戒名不要論や戒名料をめぐるモヤモヤも耳にします。</p>
<p><em>　</em>多くの人が感じているこうした疑問を、お坊さんたちに聞いてみました。宗派をこえ、さまざまな現役のお坊さんの声を直接お届けできる「まいてら」ならではの、「戒名のキホン」をお伝えします。</p>
<h2 class="c_header_post-b">戒名は何を表すの？ &#8211; 人柄や生き方との関係</h2>
<p><em>　</em>戒名には、その人のパーソナリティや人生観がギュッと凝縮されています。生きている人にとっては、過去の自分をふり返り、未来を生きる指針となり、まさに戒名は人生（生き様）のコピーライティングと言えます。<br />
<em>　</em>亡くなった人に授けられる名前だと思われがちな戒名ですが、本来は師匠から出家者につけられる名前のことで、生きているうちに授かるものです。</p>
<p><em>　</em>いまでも生前の戒名授与を行う<a href="https://mytera.jp/tera/housenji32/monk/" rel="noopener" target="_blank"><ruby>宝泉寺<rt>ほうせんじ</rt></ruby>の<ruby>伊藤信道<rt>いとうしんどう</rt></ruby>住職</a>（愛知県・浄土宗西山禅林寺派）は「戒名は生きる<ruby>杖<rt>つえ</rt></ruby>」だとします。「戒名には、師匠から仏弟子への『こうした気持ちでがんばっていきなさい』という願いが込められています。その人を表す文字を使いもしますが、ご夫婦それぞれにいつまでも仲良くしてほしいという想いから『友』の字を授けたり、忍耐力に欠けた人に『忍』の字を授けたこともありました。こうすることで、生き方が戒名に近づき、その人の杖となって人生を支えてくれるんですよ」</p>
<figure id="attachment_27957" aria-describedby="caption-attachment-27957" style="width: 576px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187-576x1024.jpg" alt="伊藤さんが授けた「忍」の入った戒名の位牌" width="576" height="1024" class="size-large wp-image-27957" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187-576x1024.jpg 576w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187-169x300.jpg 169w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187-768x1365.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187-864x1536.jpg 864w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/1ba5c835b887676f4e684deb4cc58187.jpg 1080w" sizes="auto, (max-width: 576px) 100vw, 576px" /><figcaption id="caption-attachment-27957" class="wp-caption-text">伊藤さんが授けた「忍」の入った戒名の位牌</figcaption></figure>
<p>「お戒名は未来」と表現するのは<a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" rel="noopener" target="_blank"><ruby>本休寺<rt>ほんきゆうじ</rt></ruby>の<ruby>岩田親靜<rt>いわたしんじよう</rt></ruby>住職</a>（千葉県・日蓮宗）。「生前戒名は、その後の人生をよりよく生きるためのもの。死後戒名は死者と生者をつなぎ、遺された家族や子孫の未来を支えてくれるもの。数世代先の人でも、戒名の文字を見て『ご先祖様はこんな人だったのかな』と想いを馳せることができます」<br />
<em>　</em>故人にとっては、その人の記憶を数文字に凝縮してくれる戒名が、後世とのつながりのきっかけとなってくれるのです。</p>
<figure id="attachment_27958" aria-describedby="caption-attachment-27958" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f-1024x576.jpg" alt="歴代住職のお墓の横に立つ永代供養墓" width="640" height="360" class="size-large wp-image-27958" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f-1024x576.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f-300x169.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f-768x432.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f-1536x864.jpg 1536w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/b0c0a7d3949da412fae98a05a0b3d73f.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-27958" class="wp-caption-text">歴代住職のお墓の横に立つ永代供養墓。埋葬された人たちの戒名を刻んだ石板が並ぶ</figcaption></figure>
<p><em>　</em>まいてらでは、2019年に「<a href="https://mytera.jp/paper/syukatsusai2019_report/" rel="noopener" target="_blank">100人で考える生前戒名ワークショップ</a>」を開催しましたが、「戒名を授かることで名字という家の縛りから解放される」という点に参加者の多くがうなずいていました。また、両親からもらった名前に自分の生き様や人柄を統合して、「本当の名前」にしてくれるのが戒名であるという点についても、納得されている方が多くいらっしゃいました。</p>
<p><em>　</em>生きる指針。亡き人とのつながり。そして自分自身を表す本当の名前。こうした点が、これまであまり語られることのなかった戒名の魅力や奥深さといえます。</p>
<p><strong>※戒名や葬儀のご相談を承っている寺院は<a href="https://mytera.jp/list/sougi/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a></strong></p>
<h2 class="c_header_post-b">戒名の仕組みを知る &#8211; 院号(院殿号)・道号・戒名・位号の違い</h2>
<p><em>　</em>ここで、戒名の基本についておさえておきましょう。</p>
<p><strong>【戒名の歴史と意味】</strong><br />
<em>　</em>戒名とは、師匠が出家者に授ける名前のこと。仏教にはお坊さんが守るべき「戒律」という決まりがあり、出家の際にこれを守る誓いを立てることから「戒名」と呼ばれます。</p>
<p><em>　</em>戒名の始まりは、お釈迦様の生きていた古代インドとする説もありますが、現代日本の戒名の起源は中国に見られます。中国で死者につけられていた名前である「<ruby>諱<rt>いみな</rt></ruby>」が原型で、日本ではこれが戒名となって定着します。「名づけの文化」は日本でも古くからあり、昔の武将などは、必ず幼名や童名（<ruby>源義経<rt>みなもとのよしつね</rt></ruby>の「<ruby>牛若丸<rt>うしわかまる</rt></ruby>」や<ruby>徳川家康<rt>とくがわいえやす</rt></ruby>の「<ruby>竹千代<rt>たけちよ</rt></ruby>」など）から、次々と新しい名前を名乗っていきました。人が成長する過程ごとにつけられる名前、その延長に死者への戒名があるとも考えられているのです。</p>
<figure id="attachment_27959" aria-describedby="caption-attachment-27959" style="width: 966px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/531074ef20c5d83ad2e6d2a73a2a75d4.jpg" alt="得度式（お坊さんになるための儀式）の様子" width="966" height="596" class="size-full wp-image-27959" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/531074ef20c5d83ad2e6d2a73a2a75d4.jpg 966w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/531074ef20c5d83ad2e6d2a73a2a75d4-300x185.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/531074ef20c5d83ad2e6d2a73a2a75d4-768x474.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 966px) 100vw, 966px" /><figcaption id="caption-attachment-27959" class="wp-caption-text">得度式（お坊さんになるための儀式）の様子。師匠から弟子へ、戒名が授けられる</figcaption></figure>
<p><strong>【戒名の基本構成】</strong><br />
　戒名とは本来２字で表されます。「空海」「最澄」「親鸞」「日蓮」…。作家の<ruby>瀬戸内晴美<rt>せとうちはるみ</rt></ruby>さんは出家して「寂聴」という戒名を授かっています。しかし死後戒名では、この2字に、院号（<ruby>院殿号<rt>いんでんごう</rt></ruby>）、<ruby>道号<rt>どうごう</rt></ruby>、<ruby>位号<rt>いごう</rt></ruby>といった称号が加わります。</p>
<p>　<strong>◯◯院　△△　◇◇　居士（大姉）<br />
　 院号 　 道号　戒名　　位号</strong></p>
<p><strong>・院号（院殿号）</strong>：お寺に大きな貢献をした人に授けられる称号で、もとは寺院を建立した皇族や武士を<ruby>顕彰<rt>けんしよう</rt></ruby>するものでした。院殿号は主に武士に授けられ、例えば徳川家康の戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」です。現代における院号は、バブル期以降に庶民化しました。</p>
<p><strong>・道号</strong>：戒名の上に付けられる2字のことです。かつての中国では本名の他に「<ruby>字<rt>あざな</rt></ruby>」をつける慣習があり、これが転じて現在の道号となっていったとされています。</p>
<p><strong>・戒名</strong>：その人自身を表す仏教徒としての名前です。生前に用いていた名前を1文字使う、経本の中の文字を使うなど、さまざまなつけ方があります。浄土真宗では<ruby>法名<rt>ほうみよう</rt></ruby>、日蓮宗では<ruby>法号<rt>ほうごう</rt></ruby>と言います。</p>
<p><strong>・位号</strong>：戒名における階級です。お寺や社会への貢献度に応じてつけられます。<ruby>居士<rt>こじ</rt></ruby>／<ruby>大姉<rt>だいし</rt></ruby>、<ruby>信士<rt>しんじ</rt></ruby>／<ruby>信女<rt>しんによ</rt></ruby>、子どもには、<ruby>童子<rt>どうじ</rt></ruby>／<ruby>童女<rt>どうじよ</rt></ruby>、<ruby>孩子<rt>がいし</rt></ruby>／<ruby>孩女<rt>がいによ</rt></ruby>、<ruby>嬰子<rt>えいじ</rt></ruby>／<ruby>嬰女<rt>えいによ</rt></ruby>などがあります。</p>
<h2 class="c_header_post-b">戒名とは本来どんなものか &#8211; 宗派を超えて共有される考え方や違い</h2>
<p><em>　</em>実際の現場で、お坊さんたちはどのように戒名をつけているのでしょうか？<br />
<em>　</em>特に気になるのが道号と戒名の違い。ともに「その人を表す文字」があてられるそうですが、いったい何が違うのでしょうか。お坊さんたちが口を揃えたのは、「戒名はその人の個性や内面性、道号はその人が生きてきた環境や社会性を表す」というもの。個人と社会をひとつにして、仏としての名前を授かるのだそうです。</p>
<p>　<a href="https://mytera.jp/tera/jyutokuji53/monk/" rel="noopener" target="_blank"><ruby>壽徳寺<rt>じゆとくじ</rt></ruby>の<ruby>松村妙仁<rt>まつむらみようにん</rt></ruby>住職</a>（福島県・真言宗豊山派）は「戒名には『優』や『厳』など、お人柄や雰囲気にあった文字をあてます。一方で、道号は生前の功績や特技、生活環境などを表すことが多いですね。たとえば、会社の創業者の人には『興』の文字、山々に囲まれた生活環境の人には『峰』という文字などをつけたことがあります」と教えてくれました。</p>
<p>「道号には宇宙観を込める」と話すのは<a href="https://mytera.jp/tera/shitennouji21/monk/" rel="noopener" target="_blank"><ruby>四天王寺<rt>してんのうじ</rt></ruby>の<ruby>倉島隆行<rt>くらしまりゆうぎよう</rt></ruby>住職</a>（三重県・曹洞宗）。宇宙観とは、山や川や海などその人を囲む自然環境のこと。「夜空に浮かぶきれいな月を道号にしたことがあります。その日は私の父の葬儀とお檀家さんの通夜が重なったのですが、お通夜の会場まで車を走らせていると、きれいな月が浮かんでいました。父とその方が同じ月を見上げてこの世界を旅立たれたのだあと、そのご縁をありがたく思えたのです」</p>
<p><em>　</em>宗派によっては、道号や戒名に開祖や高僧の一字を入れます。浄土宗西山禅林寺派の戒名には「<ruby>空<rt>くう</rt></ruby>」、浄土宗鎮西派では「<ruby>誉<rt>よ</rt></ruby>」の文字が入り、「空」は浄土宗の開祖である法然上人の戒名「<ruby>源空<rt>げんくう</rt></ruby>」に、「誉」は浄土宗第5祖の<ruby>定慧<rt>じようえ</rt></ruby>の「<ruby>良誉<rt>りようよ</rt></ruby>」にちなんでいるのだそうです。また日蓮宗では、日蓮上人の「日」の字を用います。</p>
<figure id="attachment_27960" aria-describedby="caption-attachment-27960" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/c0426c944968ed90488ea4ed2605c85d-1024x768.jpg" alt="五重相伝" width="640" height="480" class="size-large wp-image-27960" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/c0426c944968ed90488ea4ed2605c85d-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/c0426c944968ed90488ea4ed2605c85d-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/c0426c944968ed90488ea4ed2605c85d-768x576.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/c0426c944968ed90488ea4ed2605c85d.jpg 1125w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-27960" class="wp-caption-text"><ruby>五重相伝<rt>ごじゅうそうでん</rt></ruby>と呼ばれる儀式。参加する檀家ひとりひとりに生前戒名が授けられる</figcaption></figure>
<p>「戒名は人から人へ、師匠から弟子へ授けるのが大原則。戒名の中で師匠と弟子が一体になるのですよ」と伊藤住職。</p>
<h2 class="c_header_post-b">戒名の格差は存在する？ &#8211; 戒名と供養内容との関係</h2>
<p><em>　</em>戒名には、位号や院号などの複数の要素がありますが、すべてのお坊さんが「供養の内容に違いはない」と答えてくれました。</p>
<p><em>　</em>そして、もしご先祖様がいい戒名をもらっていたら、それに合わせないといけないのでしょうか。伊藤住職は、お寺として居士大姉を勧めることはないと話します。「お寺としては、信士信女で十分ですよとお伝えしています。ただその上で、ご先祖様の戒名に合わせて居士や大姉にしようかと迷われる方はいますね。そこはもう、ご家族のお気持ちです」</p>
<p><em>　</em>また浄土真宗では戒名ではなく「<ruby>法名<rt>ほうみよう</rt></ruby>」と呼び、すべて「<ruby>釋<rt>しやく</rt></ruby>◯◯」の2字で表されます。格差・階級のない、まさに平等の精神。阿弥陀如来さまの働きである『法』を信じる人はどんな人でも救われるという真宗の教えが表れています。ちなみに法名の2字の前につく「釋」は、お釋迦様（釋尊）の弟子という意味です」と、<a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/monk/" rel="noopener" target="_blank"><ruby>教西寺<rt>きようさいじ</rt></ruby>の<ruby>三宅教道<rt>みやけきようどう</rt></ruby>住職</a>（愛知県・浄土真宗本願寺派）。「でもその人を表すには2字では足りないことも…」と、真宗僧侶ならではの本音もあるようです。</p>
<h2 class="c_header_post-b">戒名料は本来ない &#8211; お布施として理解すべき理由</h2>
<p><em>　</em>戒名の階級によって包むべき戒名料が変わるという話をよく耳にしますよね。しかし「戒名料なんて存在しない」と話すお坊さんは少なくありません。</p>
<p><em>　</em>本来の戒名は、元気なうちに<ruby>授戒会<rt>じゆかいえ</rt></ruby>などの法要に参加して、仏弟子となった証として授けられるもの。伊藤住職は「法要に対してのお布施はお寺に納めてもらいますが、戒名に対して支払われる費用はありません」と、自身の経験から話します。</p>
<p><em>　</em>では、なぜ「戒名料」という考え方が一人歩きしているのでしょうか。岩田住職は「あらゆるモノやサービスにも価格をつけてしまう現代人の価値観が大きく影響しているのではないか」と考えます。行き過ぎた資本主義が、お葬式から戒名までもを買い物すべき商品にしてしまったのかもしれません。</p>
<p><em>　</em>日頃のお寺との関わりの中で交わされていた戒名やお布施も、今の時代ではお葬式の中で突然遺族に迫ってきます。戒名の意味が分からないままただ高額なお布施を求められると、不信感を覚えてしまう気持ちも分かります。岩田住職は「お布施はあっても戒名料はあってはならない」と、その違いを次のように話します。</p>
<p>「お布施には包む人の心が反映されますが、それを戒名料と称してしまうと、戒名がたちまち『商品』に変わってしまいます。本来、戒名とは仏教の教えに沿って生きていくことの証。お金で買うものではなく、生き方に悩み苦しむ人と僧侶との対話や信頼関係によって成り立つものなんです」</p>
<p><em>　</em>実際の現場で伊藤住職は、あくまでも目安として地域の相場を伝え、その上でいくら包むべきかはお檀家さんに委ねます。「実際に経済的に困窮している人には『無理しなくていいよ』とお伝えしますよ。ましてやいくら包んでくださいと請求することなんてありえない」とのこと。</p>
<p><em>　</em>また、岩田住職も「戒名には階級だけでなく文字数の違いもありますし、お檀家さんのお寺や社会への貢献度など、さまざまな要因を加味して授けます。その上でお布施の目安をお伝えすることもありますが、それは目安でしかなく、定価ではないのです」と、お布施の金額はご家族の『心』が決めるものとします。中には、お気持ちから相場以上のお布施を包んで下さるケースもあるのだとか。</p>
<p><em>　</em>そしてお二人とも、「金額によって供養の内容が変わることはありません」と、同じ想いを口にしました。</p>
<p>※戒名料について詳しくはこちらの記事「<a href="https://mytera.jp/paper/kaimyo2/" rel="noopener" target="_blank">戒名料についてお坊さんがホンネの覆面座談会</a>」をご覧ください</p>
<h2 class="c_header_post-b">自分で戒名をつけてよい？ &#8211; 自由度とお寺への相談のバランス</h2>
<p><em>　</em>戒名を自分でつけた人は、過去に何人もいます。有名なところでは、作家の山田風太郎の「風々院風々風々居士」、落語家の７代目<ruby>立川談志<rt>たてかわだんし</rt></ruby>の「立川雲黒斎家元勝手居士」など。<br />
<em>　</em>とはいえ、戒名はあくまでも、仏門に入る時に師匠から弟子に授けられるもの。「自分で作った戒名は戒名とは呼べないのでは」というのが、お坊さんたちの共通見解です。</p>
<p><em>　</em>ただし、どのような戒名にしたいかを伝えることはできますし、お坊さんの側も家族の声に耳を傾け、想いをくみとりながら、戒名を考えていきます。</p>
<p><em>　</em>三宅住職は、臨終後すぐに行われるお勤めのあと、約１時間かけて家族と話し込み、その場で法名を一緒に考えるのだとか。「あるご門徒さんのお葬式では、ご家族のさまざまなエピソードの中から、『自由』『お洒落』『イケメン』『優しい』『ニコニコ』などの言葉が出てきました。いつも安心や楽しさをもたらしてくださる方だったようなので、『楽』という文字を授けて、法名としました」</p>
<figure id="attachment_27961" aria-describedby="caption-attachment-27961" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215-1024x722.png" alt="法名の由来" width="640" height="451" class="size-large wp-image-27961" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215-1024x722.png 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215-300x212.png 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215-768x542.png 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215-1536x1083.png 1536w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/85e4e660048cf1bfee118d3334d50215.png 1560w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-27961" class="wp-caption-text">教西寺では法名の由来や生前の様子を住職と坊守の2人でお通夜までに１枚の紙にまとめ、葬儀式場で家族や参列者に手ずから配る（ご家族の許可を経て掲載）</figcaption></figure>
<p>「その人らしい法名ができると、ご家族の中にも納得感が生まれ、みんなが思う故人様像が共有できるんです」と三宅さん。こうした時間そのものが遺族のグリーフケアにもなりそうです。</p>
<p>「ご不幸があったお檀家さんのお家には、ご逝去からお通夜の日まで、可能な限り毎日欠かさず足を運びます。ご家族と接する数だけ信頼関係が深まり、おひとりおひとりのお話の中から戒名の文字が浮かび上がってきます」と岩田住職。できあがった戒名も、あわただしい葬儀会館ではなく、自宅でゆっくりと見てもらっているそうです。</p>
<p><em>　</em>松村住職も、故人様への言葉に耳を傾けることを大切にします。その後、戒名とにらめっこする時間はなんと6時間。「どの文字がその人らしいか、声にした時の語感や響きなど、あれこれ考えます。パソコンに向かって、筆書きして、お経本を開き、お檀家さんと長年親しくしていた母に相談し、また考えて……そして必ず一晩置きますね」お坊さんたちはこれほどの熟考を経て、戒名を決めていくのです。</p>
<figure id="attachment_27962" aria-describedby="caption-attachment-27962" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174-1024x768.jpg" alt="境内にある歴代住職のお墓" width="640" height="480" class="size-large wp-image-27962" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174-768x576.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174-1536x1152.jpg 1536w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2021/06/6b50f442db3fbcbca229425dcae99174.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-27962" class="wp-caption-text">境内にある歴代住職のお墓。江戸時代を生きた歴代住職の生き様が偲ばれる</figcaption></figure>
<p><em>　</em>お位牌やお墓に刻まれた戒名を、改めて1文字1文字じっと見てみると、とても美しい文字の組み合わせでできていることに気づきます。膨大な数の漢字から選ばれた数文字に、その人自身の生き様、家族の想い、そして師匠であるお坊さんからの願いが凝縮されているのです。</p>
<p><em>　</em>戒名は、世俗を離れて仏へと歩みを進めはじめた人への名前。亡き祖父母や両親が、仏となって私たちのことを見守ってくれている。そう思うと、戒名ってありがたいものだなあとしみじみ感じられますね。</p>
<p><strong>※戒名や葬儀のご相談を承っている寺院は<a href="https://mytera.jp/list/sougi/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a></strong></p>
<p><strong>【記事に登場したお坊さん】</strong><br />
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2016/11/0032_02_prof.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">伊藤信道（いとうしんどう）</p><p class="c_profile__txt-a">宝泉寺住職。1955年（昭和30年）津島市生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。大学では陸上競技部。アーユス仏教国際協力ネットワークや名古屋NGOセンター創立に関わる。浄土宗西山禅林寺派の僧侶育成機関「宗学院」講師も勤める。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/housenji32/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>宝泉寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div></p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田親靜（いわたしんじょう）</p><p class="c_profile__txt-a">本休寺住職。1972年生まれ。26歳の時に住職就任。30歳で結婚。現在、三人の子供の親。末娘の寝かしつけ時に、寝てしまい。朝3時頃に起きることが多い。趣味は読書。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/07/ae8371d0ad81151bb9e7d2776dc5ffa1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">松村妙仁（まつむらみょうにん）</p><p class="c_profile__txt-a">壽徳寺住職。大学進学で上京。卒業後、音楽教室運営やコンサート・イベント企画運営会社に就職。先代住職であった父の死や東日本大震災をきっかけに、福島に戻ることを決意し、仏門へ。2015年11月、壽徳寺住職拝命。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/jyutokuji53/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>壽徳寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/06/0021_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">倉島隆行(くらしまりゅうぎょう)</p><p class="c_profile__txt-a">四天王寺住職。大本山永平寺で修行後、欧州等へ参禅修行に向かう。その後、伊勢皇學館大学に結集された伊勢国際宗教フォーラム世話人としてダライ・ラマ１４世を招聘するなど、様々な宗教の垣根を超えて諸宗教対話に尽力している。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/shitennouji21/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>四天王寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/05/18_04_03-14-43-01_edited-2-280x280.png" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">三宅教道（みやけきょうどう）</p><p class="c_profile__txt-a">教西寺住職。あなたのお話をお聞かせください。話すだけで心が軽くなる方もいらっしゃいます。気楽に世間話、ぐち悩み、ご相談をしていただけます。年齢・性別・社会的立場等関係なく、どなたにも来ていただけるようにしたいと考えています。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/kyosaiji37/event/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>教西寺ページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2022/10/tamagawa_2amend.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">玉川将人（執筆）</p><p class="c_profile__txt-a">1981年生まれ。5年間で約500件の葬儀を担当した１級葬祭ディレクター。現在は仏壇墓石の素心（兵庫県）に勤務し、日本初の仏壇店メディア『こころね』も運営。仏教や弔いに特化したフリーライターとしても活動。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/column/writer_masato_tamagawa/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>玉川将人執筆のまいてら記事</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/02/prof_ide2.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">井出悦郎（編集・監修：まいてら代表）</p><p class="c_profile__txt-a">1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、まいてらを運営する一般社団法人お寺の未来を創業。寺院の経営支援と現場取材を10年以上継続し、全国の住職との協働や対話を通じて、供養や法事の実践知を継続的に体系化してきた。著書に『<a href="https://amzn.to/3DQmHAa" rel="noopener" target="_blank">これからの供養のかたち</a>』（祥伝社新書）</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="ttps://mytera.jp/column/etsuro_ide/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>井出悦郎執筆のまいてら記事</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
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		<gnf:modified>Mon, 08 Dec 2025 12:53:16 +0000</gnf:modified>
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		<title>新型コロナ禍で、7月盆の棚経を終えて思うこと。お盆の風習を守っていきたい（本休寺 住職・岩田親靜）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/honkyuji0022_20200725/</link>
					<comments>https://mytera.jp/paper/honkyuji0022_20200725/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[岩田 親靜]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Jul 2020 23:29:43 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　新型コロナ禍での７月お盆の棚経たなぎようが終わりました。このお盆棚経で、変わったことと変わらなかったことを考えてみたいと思います。 　まず、お盆の棚経が始まる前に、伺う日時調整の電話をしますが、一軒だけ千葉市在住のお檀 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ。26歳の時に、本休寺の住職に就任。30歳で結婚。現在、三人の子供の親。末娘の寝かしつけ時に、寝てしまい。朝3時頃に起きることが多い。趣味は読書。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<p><em>　</em>新型コロナ禍での７月お盆の<ruby>棚経<rt>たなぎよう</rt></ruby>が終わりました。このお盆棚経で、変わったことと変わらなかったことを考えてみたいと思います。</p>
<p><em>　</em>まず、お盆の棚経が始まる前に、伺う日時調整の電話をしますが、一軒だけ千葉市在住のお檀家さんで旦那さんが東京に通勤しているため今回はお断りしたいという話がありました。通勤電車で通っているので、万が一があったらという理由でした。</p>
<p><em>　</em>7月13日に、7月盆の棚経がスタート。一軒平均15分程度のお参りになります。<br />
<em>　</em>私なりの感染防止対策としては、マスク着用で仏具は持参、消毒薬を車の出入りで使用します。マスク越しでしゃべるし、ソーシャルディスタンスを守ります。お茶をお出しいただくこともあるものの、残念ですがお茶はいただかないようにします。もちろん棚経中に店舗での飲食は行いません。こうすることで感染リスクを減らします。ゼロにはできませんが・・・。</p>
<figure id="attachment_23489" aria-describedby="caption-attachment-23489" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/07/110331974_3222568761194912_6507803548248365390_n-1024x768.jpg" alt="" width="640" height="480" class="size-large wp-image-23489" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/07/110331974_3222568761194912_6507803548248365390_n-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/07/110331974_3222568761194912_6507803548248365390_n-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/07/110331974_3222568761194912_6507803548248365390_n-768x576.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/07/110331974_3222568761194912_6507803548248365390_n.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-23489" class="wp-caption-text">今年は感染防止対策のため、手持ちの仏具と薬用ハンドジェルをセットにして各家を回る</figcaption></figure>
<p><em>　</em>お檀家さんの顔を見てお話しすることを大切にする棚経が、お茶もできないし、立ち話になるのはとても残念です。でも、少しでも「体調はいかがですか？」と聞いたり、近状報告ができるだけでも違います。<br />
<em>　</em>お檀家さんの中でコロナ禍の棚経に大丈夫？という感想をお持ちになり示された方は一軒ありましたが、それ以外の10軒以上で、ペットボトルではなく、普通のお茶を支度されている方がほとんどでした。多少は気にされているものの棚経で罹患するとは考えていない、せっかくの機会だから住職と話したいという雰囲気でした。三日間のうち一日は昼食（お弁当）まで手配されている家もあり・・・。お檀家さん宅での飲食は控えているため、とても申し訳なかったですが・・・。</p>
<p><em>　</em>私がお預かりしているお寺では、千葉市の中心エリアと東京は年一回しか回れないのと（地元の檀家さんは年4回）、件数も少ないので<ruby>懇<rt>ねんご</rt></ruby>ろにお経も読むことを心がけています。ソーシャルディスタンスはありますが、祈りとコミュニケーションは密にしたいと感じました。</p>
<p><em>　</em>例年とは違う棚経でも相談ごとはあり、親族・友人の葬儀が続き、亡くなってからのドタバタを見て、今のうちから葬儀社を決めたいのだが、住職どうしたら、良い？という話があったりしました。具体的には書けませんが、実際に会う機会がないとなかなか話せないテーマですし、今後のことについて話し合うことになりました。</p>
<h2 class="c_header_post-b">お盆は、一人ひとり・一軒一軒の思いの集合体が支える「信頼の行事」</h2>
<p><em>　</em>7月のお盆棚経は気をつかいましたが、結局のところは問題なく回ることができました。8月のお盆に向けて考えるのは、急速に増えていく罹患者数との兼ね合いで今後どうするべきか悩んでいます。</p>
<p><em>　</em>従来通り、一軒一軒に伺うことができれば問題ないのですが、もし伺えない状況になった場合、檀家さん一軒一軒に電話をかけてお話をするとか、お寺で法要を行い、本堂の外で手を合わせていただくなどの方法を取るしかないのだろうかと悩んでいます。</p>
<p><em>　</em>お盆という風習は、宗教儀礼であるとともにコミュニケーションの重要な機会です。プライバシー保護が叫ばれる中で、自宅の奥へ他者を招き入れる。僧侶がお檀家さんやご信者さんの仏壇を伺う営みは、長年の信頼により成り立っている行為です。私は出来うる限りの感染対策を行いながら、この風習を守っていきたいと考えています。<br />
<em>　</em>お寺とは何でしょうか？一見すると建物（ハード）と考える方が多いかもしれません。その実質は檀家さん・信者さんの一人ひとり、一軒一軒の思いの集合体（ソフト）だと考えてます。お盆をはじめとした各家のお経回りは「信頼の行事」だと思います。</p>
<p><em>　</em>新型コロナ禍の中で感じるのは、つながりや共感の大切さだと思います。ソーシャルディスタンスはこれからも続きますが、心の距離をつくらない継続的で具体的な努力が必要だと感じます。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_01_eyecatch-1.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Sat, 26 Jun 2021 22:27:04 +0000</gnf:modified>
	</item>
		<item>
		<title>コロナ禍で変わることと変わらないこと（本休寺 住職・岩田親靜）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/honkyuji0022_20200528/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[岩田 親靜]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 27 May 2020 07:22:27 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　withコロナ、afterコロナという言葉やコロナ禍という言葉が飛びかっています。個人的にはオンライン疲れも起こしつつ読書、読経どきよう、掃除の生活を行っています。そんな中でこれからのお寺はどうなっていくのだろうという [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ　二松学舎大学文学部中国文学科卒業　立正大学大学院博士課程満期退学　2008年　本休寺住職に就任。日蓮宗声明師。現代宗教研究所嘱託。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<p><em>　</em>withコロナ、afterコロナという言葉やコロナ禍という言葉が飛びかっています。個人的にはオンライン疲れも起こしつつ読書、<ruby>読経<rt>どきよう</rt></ruby>、掃除の生活を行っています。そんな中でこれからのお寺はどうなっていくのだろうという暗中模索をしています。</p>
<h2 class="c_header_post-b">変わる時代</h2>
<p><em>　</em>コロナ以前、本休寺は子育てサークル『ぴよこの会』、子ども会、茶話会、写経、リトミック(２クラス)、ヨガ、テンプルモーニング<ruby>題目講<rt>だいもくこう</rt></ruby>と支度、掃除も含め月に１５日ほど稼働していました。本休寺以外にもう一つ運営をお預かりしているお寺でも写経とテンプルモーニングを行い、結構忙しく動いていました。それが今、法事・葬儀の<ruby>供養<rt>くよう</rt></ruby>だけになり、本を読んだり、オンライン会議がやたら増えてきました。解除に向けて自己研鑽をするのは、悪くないですが、これからどうするべきなのか？という問題はまだ答えは見えません。</p>
<figure id="attachment_22369" aria-describedby="caption-attachment-22369" style="width: 1000px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/03/b94001f7fc0b0e751bba14f2b5e33106.jpg" alt="" width="1000" height="750" class="size-full wp-image-22369" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/03/b94001f7fc0b0e751bba14f2b5e33106.jpg 1000w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/03/b94001f7fc0b0e751bba14f2b5e33106-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/03/b94001f7fc0b0e751bba14f2b5e33106-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /><figcaption id="caption-attachment-22369" class="wp-caption-text">コロナの前はにぎわっていた本休寺の本堂</figcaption></figure>
<h2 class="c_header_post-b">変わらない人間</h2>
<p><em>　</em>一方で、生老病死の事実は変わりません。人によっては、コロナで死というものが、日常にあり、病という変化が突如訪れる感覚が現れてきているので、変化したと感じるかもしれません。でも、人は生まれれば、誠に残念ながら亡くなります。意識しようがしまいが・・。仏教はこれが前提です。</p>
<h2 class="c_header_post-b">ではどういきるのか？</h2>
<p><em>　</em>コロナ禍の中でも、人は亡くなります。そこに善悪はありませんし、老少不定はこの世の習いでありますから、若い方の場合もあります。</p>
<p><em>　</em>ところで、話は変わりますが・・浄土はどこにあるのか？人は死んだらどうなるのか？という問題をどう考えていますか？どこか特定のところに赴くのか？<ruby>輪廻転生 <rt>りんねてんしょう</rt></ruby>するのか？はたまた死は終わりなのか？</p>
<p><em>　</em>簡単にいうなら死んでみなければわかりませんし、わかったように言うのはうそではないかと思ってきました。</p>
<p><em>　</em>宗派仏教なら<ruby>祖師 <rt>そし</rt></ruby>がこう言った、○○教ならこう言ってると法事や葬儀では話しをするケースもあります。でもそれって本当なの？と考えたりもします。</p>
<p><em>　</em>革新的な取り組みで有名な<ruby>神宮寺<rt>じんぐうじ</rt></ruby>（長野県）の住職・高橋<ruby>卓志<rt>たくし</rt></ruby>氏は『生き方のコツ 死に方の選択』（集英社文庫）の135～136頁で以下のように述べています。</p>
<blockquote><p>宗教がもつ教学や哲学は、人間の「生」と「死」のやりとりや葛藤から生み出され、それぞれの「いのち」をどう生きるのかという、精神的な指標を示すものであると思います。また一方、恐怖と不安をともなった「死」を目の前にしたとき、死の向こう側にある「希望」を死に逝く者がどう納得するか、つまりどのように死を受容するかという方法を説くものでもあるとぼくは考えています。再生や輪廻、天国や極楽・浄土などの存在をさまざまな宗教者や経典が語っているのは、「死」への恐怖やたった一人で死に逝く寂しさを解消する方法論(方便)なのだと思います。だから、それらが実際にあろうとなかろうと、そんなことは問題ではないのです。</p></blockquote>
<p><em>　</em>実は私もこう感じていて、言えなかった言葉を言語化してくれた気がしたのです。</p>
<p><em>　</em>その上で、私にとってしっくりくるのは、浄土は人の心の中にあるという考えです。</p>
<p><em>　</em>私という存在は、あくまで仮の<ruby>因縁<rt>いんねん</rt></ruby>により生じている。その存在は亡くなりますが、私の生き方は、善きにせよ悪きせよ残された人々に影響を与えるでしょう。自分の良き部分や理想的社会を浄らかな国土すなわち浄土というならば、個々の心に浄土はあるし、それは次世代に一分なりとバトンタッチされる。心の中にある浄土の受け渡しであり、次世代は引き継ぎの上、理想的社会を実現しようとする。</p>
<p><em>　</em>日蓮聖人の浄土観をかつて田村<ruby>芳郎<rt>よしろう</rt></ruby>博士は『日蓮　殉教の<ruby>如来使 <rt>によらいし</rt></ruby>』（128頁）で、「ある浄土（絶対浄土）となる浄土（<ruby>淨仏国土 <rt>じようぶつこくど</rt></ruby>）とゆく浄土（<ruby>来世浄土 <rt>らいせじようど</rt></ruby>）の三種浄土」と表現しました。ある浄土とは「ただいま、ここにおいて感得される浄土である。」（61頁）なる浄土とは、「現実改革を通しての浄土の具現化を意図する」（61頁）ものと表現しており、個人的には心の浄土とそのバトンタッチは、いささか矮小化していますが、この部分で似ているかと感じていました。</p>
<p><em>　</em>ただ難しいのはゆく浄土、すなわち死後の世界、他の世界としての浄土です。</p>
<h2 class="c_header_post-b">ただ会いたいという思い</h2>
<p><em>　</em>浄土を心の問題と捉え、故人の生き方の良い部分を受け取り、悪しき部分を反面教師とするという話をし、今を一生懸命に生きるこれが供養の精神とお話する時があります。</p>
<p><em>　</em>そんな話をしつつ輪廻転生や浄土の話もします。今まで話をしてきたように、個人的には浄土の有無はもの凄く重要な問題かと言えば、理性的に考えるならば、重要な問題ではありません。今を生きる。丁寧に生きることが大事であり、法事や供養は、私はあくまで関わりやつながりの中にあることを知り、実感し丁寧に生きる確認のためと考えてきました。</p>
<p><em>　</em>しかし、一方でこれだけで納得して生きて行けるでしょうか？</p>
<p><em>　</em>不慮の死、急死、納得いかない死と出会った時、再び会いたい。生まれ変わっても会いたいと思わないでしょうか？</p>
<p><em>　</em>自分は葬儀を導師として行い、火葬炉の前でお題目を唱えてきました。泣き崩れたり、お棺にしがみついている方々にも出会ってきました。再会できないなんて思いたくないというのは、本音です。幻想かもしれないが、再会を願いたいし、自分もまた、縁ある人に再び会いたいと願わざるを得ません。</p>
<p><em>　</em>浄土があって欲しい、ないと納得しがたいという部分があるのです。</p>
<p><em>　</em>さらに言うなら、僧侶という業の深い人生、死にかかわり、布施で生き、倫理的に生きるということを自らにかすあり方を生きている自分は、なんだかんだで過去の因縁を受けてるのでは？と感じています。僧侶が悪いというのではなく、巡り合わせの問題としてです。</p>
<p><em>　</em>私にとって来世は、ある。だからこそ今を丁寧に生きる。それによって生まれ変わったら僧侶にならないで生きるというのは理想です。</p>
<p><em>　</em>ここまで読まれた方は、覚悟が足りない。それでよいのか？とお思いになるかたもいるでしょう。でも揺らぎながら、考えながら、嘘なく今を生きるというのは、実は苦しみと向き会うということだと思います。自己の脆弱性を見つめ、問い続ける覚悟を持ち続けることこそが、今の自分の仏教なんだと感じています。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_01_eyecatch-1.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Mon, 18 Jan 2021 00:58:44 +0000</gnf:modified>
	</item>
		<item>
		<title>【お坊さんの書棚①】外に出られない日はどう過ごす？『バムとケロのにちようび』 島田ゆか 作（本休寺・岩田親靜住職）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/books_honkyuji_0022/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[まいてら住職]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Apr 2020 00:50:29 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　僧侶ならではの視点で、おすすめの本をご紹介していくミニコーナーです。実は、本を例に挙げて法話をすることも多いお坊さんたち。お子さまからお年寄りまで、ぜひ気軽に手にとってみてください。 外に出られない日はどう過ごす？ 　 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>僧侶ならではの視点で、おすすめの本をご紹介していくミニコーナーです。実は、本を例に挙げて法話をすることも多いお坊さんたち。お子さまからお年寄りまで、ぜひ気軽に手にとってみてください。<br />
<img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/04/IMG_0802-1024x768.jpg" alt="" width="640" height="480" class="aligncenter size-large wp-image-21145" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/04/IMG_0802-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/04/IMG_0802-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/04/IMG_0802-768x576.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/04/IMG_0802.jpg 1975w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<h2 class="c_header_post-b">外に出られない日はどう過ごす？</h2>
<p><em>　</em>外に出られない日はどう過ごすと良いでしょうか？<br />
<em>　</em>『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4894230429/ref=nosim?tag=myterajp-22" rel="noopener noreferrer" target="_blank">バムとケロのにちようび</a>』は真面目で面倒見がよい犬のバムくん、わがままなカエルのケロちゃんが雨の日に繰り広げるドタバタ劇です。ケロちゃんの後始末に奔走しながらも、決して怒らないバムくん、普通ならつまらない雨の一日をどのように楽しむのか？<br />
<em>　</em>なにげに料理、掃除、洗濯もしながら、ケロちゃんとともに楽しんでいるバムくん。凄腕のスーパー主夫としか言いようがありません。最後に出てくる本棚……あ、私の部屋も<ruby>積読<rt>つんどく</rt></ruby>で<ruby>魔窟<rt>まくつ</rt></ruby>になっている……ちょっと反省しますが……。</p>
<p><em>　</em>ここに描かれているのは、「共にいる」「共にある」楽しみだと思います。<br />
<em>　</em>日々、子供と一緒にいるとカッときたり、怒ったりしてしまうことがあります。また、なぜ<ruby>解<rt>わか</rt></ruby>ってもらえないんだと悩むこともあるでしょう。</p>
<p><strong>「わたしには子がある。私には財があると思って愚かな人は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。」</strong>（ダンマパダ『真理のことば』より）</p>
<p><em>　</em>お釈迦様もこのように述べています。</p>
<p><em>　</em>共にいる、共にあるためには、相手を尊重することが必要であり、冷静であることが求められています。バムくんは驚きはしますが、怒らない。あたふたするけど、一緒に楽しめることを見つけています。なかなか出来ませんが、大人のふるまいですね。</p>
<p><em>　</em>子供に振り回されて、日常のイライラが増えているお母さん、お父さんも多いかもしれません。ちょっと視点をかえて日常を眺めてみませんか？</p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ　二松学舎大学文学部中国文学科卒業　立正大学大学院博士課程満期退学　2008年　本休寺住職に就任。日蓮宗声明師。現代宗教研究所研究員。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
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		<gnf:modified>Sat, 28 Nov 2020 07:38:15 +0000</gnf:modified>
	</item>
		<item>
		<title>十如是 ‐ 本休寺 住職 岩田親靜さん（千葉県千葉市）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/kotoba_honkyuji_0022-3/</link>
					<comments>https://mytera.jp/paper/kotoba_honkyuji_0022-3/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[まいてら住職]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Jan 2020 23:57:37 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　前回に続き、日蓮にちれん 宗本休寺ほんきゆうじ （千葉県千葉市）住職・岩田親靜しんじよう さんが選んだのは「十如是じゆうによぜ 」。法華経ほけきよう では数少ない、「悟りの本質」を示すことばだそうです。 ブッダは世界を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/01/7118458bae075060a99e088edeeaf002-1024x576.jpg" alt="" width="640" height="360" class="aligncenter size-large wp-image-19463" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/01/7118458bae075060a99e088edeeaf002-1024x576.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/01/7118458bae075060a99e088edeeaf002-300x169.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2020/01/7118458bae075060a99e088edeeaf002-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<p><em>　</em><a href="https://mytera.jp/paper/kotoba_honkyuji_0022-2/">前回</a>に続き、<ruby>日蓮<rt>にちれん</rt> </ruby>宗<ruby>本休寺<rt>ほんきゆうじ</rt> </ruby>（千葉県千葉市）住職・岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby>さんが選んだのは「<ruby>十如是<rt>じゆうによぜ</rt> </ruby>」。<ruby>法華経<rt>ほけきよう</rt> </ruby>では数少ない、「悟りの本質」を示すことばだそうです。</p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ　二松学舎大学文学部中国文学科卒業　立正大学大学院博士課程満期退学　2008年　本休寺住職に就任。日蓮宗声明師。現代宗教研究所研究員。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<h2 class="c_header_post-b">ブッダは世界をどのように見ているのか？</h2>
<p><em>　</em>われわれ日蓮宗の教えは、『<ruby>妙法蓮華経 <rt>みようほうれんげきよう</rt> </ruby>』（法華経）に<ruby>拠<rt>よ</rt> </ruby>っています。法華経は<ruby>菩薩<rt>ぼさつ</rt> </ruby>としてのおこないを重視していて、悟りの本質を示すところは少ないです。その数少ない悟りの本質に触れている部分が、「十如是」です。</p>
<p>「十如是」は、簡単に言うと「成仏した人物＝ブッダは、世界をどのように見ているのか？」ということを示しています。<br />
<em>　</em>ここでは、ものごとを、相（外観）、性（性質）、体（本体）、力（能力）、作（作用）、因（直接的原因）、縁（間接的原因）、果（結果）、報（果によって生じる影響）そして<ruby>本末究竟等<rt>ほんまつくきようとう</rt> </ruby>（本と末、「相」から「報」までが関連していること）という、10個の如是（かくのごとき）ことがらとしてあらわします。</p>
<p><em>　</em>われわれはどうしても自分の都合でものを見てしまうので、ありのままにものごとを認識することが困難です。ものごとの一つの面、方向にとらわれてしまい、正しく見ることは簡単ではありません。<br />
<em>　</em>それゆえに、仏教では<ruby>涅槃<rt>ねはん</rt> </ruby>にいたるための8つの徳目すなわち「<ruby>八正道<rt>はつしようどう</rt> </ruby>」の最初に、ものごとをありのままに見る「<ruby>正見 <rt>しようけん</rt> </ruby>」を<ruby>据<rt>す</rt> </ruby>えています。その正見の、具体的な姿を描いたのが「十如是」というわけです。</p>
<p><em>　</em>この十如是のなかでも異質であり、特に注目すべきは、関連を説く「如是本末究竟等」でしょう。<br />
『生物と無生物のあいだ』で知られる分子生物学者の福岡伸一氏は、著書『世界は分けてもわからない』のなかで「この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界に部分はない」と書いています。ものごとを分析して見ながらも、もう一度全体として見ることが必要であることを、現代の分子生物学者も指摘しているのです。</p>
<p><em>　</em>ちなみに、そもそも『妙法蓮華経』の発生はインドで、サンスクリット語で書かれていました。それを中国で漢訳したものが、現在われわれの読んでいる『妙法蓮華経』です。<br />
<em>　</em>実はインドの原典には「十如是」という記述はなく、ものごとを5つ（「なにであり、どのようにあり、どのようなものであり、どのような特徴をもち、どのような固有な性質をもつのか」）に分析していました。この分析を、訳者が9つに増やし、最後に統合（本末究竟等）を示したのです。訳者の仏教理解が強く反映されているわけですが、昔からこの『妙法蓮華経』が名訳として親しまれ、今にまで読み継がれています。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_01_eyecatch-1.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Sat, 26 Jun 2021 22:28:08 +0000</gnf:modified>
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		<title>二佛並坐 ‐ 本休寺 住職 岩田親靜さん（千葉県千葉市）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/kotoba_honkyuji_0022-2/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[まいてら住職]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Dec 2019 01:41:05 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　お寺ならではの、味わいや含蓄 がんちく ある「ことば」をお坊さんに教えてもらう本シリーズ。日蓮 にちれん 宗本休寺 ほんきゆうじ （千葉県千葉市）住職・岩田親靜しんじよう さんが今回紹介してくれるのは「二佛並坐にぶつび [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/77283423_450956642463606_7196392690005573632_n-1024x576.jpg" alt="" width="640" height="360" class="aligncenter size-large wp-image-19104" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/77283423_450956642463606_7196392690005573632_n-1024x576.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/77283423_450956642463606_7196392690005573632_n-300x169.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/77283423_450956642463606_7196392690005573632_n-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><br />
<em>　</em>お寺ならではの、味わいや<ruby>含蓄 <rt>がんちく</rt> </ruby>ある「ことば」をお坊さんに教えてもらう本シリーズ。<ruby>日蓮 <rt>にちれん</rt> </ruby>宗<ruby>本休寺 <rt>ほんきゆうじ</rt> </ruby>（千葉県千葉市）住職・岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby>さんが今回紹介してくれるのは「<ruby>二佛並坐<rt>にぶつびようざ</rt> </ruby>」。<ruby>佛像<rt>ぶつぞう</rt> </ruby>のかたちをあらわすこの言葉には、どんな意味がこめられているのでしょうか。</p>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田<ruby>親靜<rt>しんじよう</rt> </ruby></p><p class="c_profile__txt-a">1972年生まれ　二松学舎大学文学部中国文学科卒業　立正大学大学院博士課程満期退学　2008年　本休寺住職に就任。日蓮宗声明師。現代宗教研究所研究員。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/monk/" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>本休寺のページ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<h2 class="c_header_post-b">法華経の「ある場面」をあらわしているご本尊</h2>
<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/0022_03_honzon-1.jpg" alt="" width="840" height="560" class="aligncenter size-full wp-image-19105" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/0022_03_honzon-1.jpg 840w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/0022_03_honzon-1-300x200.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/0022_03_honzon-1-768x512.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/12/0022_03_honzon-1-600x400.jpg 600w" sizes="auto, (max-width: 840px) 100vw, 840px" /><br />
<em>　</em>日蓮宗の寺院でご本尊として安置されている佛像の多くが、このかたちをとっています。ただ見るだけでは、何を示しているのか、意図が伝わりづらいかたちかもしれません。</p>
<p><em>　</em>まんなかには、お<ruby>題目<rt>だいもく</rt> </ruby>、つまり「<ruby>南無<rt>なむ</rt> </ruby><ruby>妙法蓮華経<rt>みようほうれんげきよう</rt> </ruby>」が書かれた塔があります。向かって左が<ruby>釈迦佛<rt>しやかぶつ</rt> </ruby>（お釈迦様）、右が<ruby>多宝佛<rt>たほうぶつ</rt> </ruby>（「多くの宝を持つもの」の意。お釈迦様よりも前に悟りを開いた<ruby>過去仏<rt>かこぶつ</rt> </ruby>を指し、すなわち仏となった死者）です。</p>
<p><em>　</em>二佛並坐は、『<ruby>法華経<rt>ほけきよう</rt> </ruby>』に記された、ある場面をあらわしています。<br />
<em>　</em>まず、お釈迦様が説法をしていたところ、大地から巨大な宝塔が出現します。宝塔とは金、銀、<ruby>琉璃<rt>るり</rt> </ruby>、<ruby>琥珀<rt>こはく</rt> </ruby>、<ruby>赤真珠<rt>あかしんじゆ</rt> </ruby>、水晶の七宝で飾られた巨大な塔で、多宝佛の偉大さを表しています。<br />
<em>　</em>その宝塔の中から、今までお釈迦様（釈迦佛）が説いてきた教えを「その通りです」と証明する声が聞こえてきます。その声を聞いた釈迦佛は空中に浮遊し、宝塔を開くと、その中には多宝佛が座っていました。釈迦佛が宝塔の中へ入りますと、多宝佛は、これから弟子たちに自分の教えの真意を説かんとする釈迦佛に、席を半分譲ります。この場面で、釈迦佛と多宝佛が並んで坐って一体化します。</p>
<p><em>　</em>この場面は、何を示しているのでしょうか？<br />
<em>　</em>それは、過去の修行者たちの英知や努力の蓄積の上に、釈迦佛の悟りがあるということです。いま生きている我々も、先祖を含めた過去の人々の英知や努力の上で、現在の生活を営んでいます。過去からの流れの中で、いまを生きている。亡くなられた先祖と我々はつながっている。自分たちだけで生きているのではなく、死者も含めて多くの人々の関わりがあって生きている、そのことをこのご本尊は示しているんですね。</p>
<p><em>　</em>桜井和寿さんが歌詞したミスターチルドレンの「旅立ちの<ruby>唄<rt>うた</rt> </ruby>」という曲に、こんな一節があります。</p>
<p><strong><em>　</em><em>　</em>疲れ果てて足が止まるとき　少しだけ振り返ってよ<br />
<em>　</em><em>　</em>手の届かない場所で　背中を押してるから</strong><br />
<em>　</em><em>　</em>（中略）<br />
<strong><em>　</em><em>　</em>背中を押してるから　でも返事はいらないから</strong></p>
<p><em>　</em>存在を肯定し、背中を押してくれるものでありながら、返事を欲しない。それは我々にとっての先祖や死者にも当てはまるような気がします。<br />
<em>　</em>我々は生きていくことに否定的になりやすく、肯定観を持ちづらい時代を生きています。それゆえに、自分の存在のルーツを確認し、一人で生きているのではなく、先祖や死者も含めた多くの人々の縁の中で生かされていることを感じる必要があるのではないでしょうか。</p>
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		<gnf:modified>Fri, 24 Jul 2020 01:05:08 +0000</gnf:modified>
	</item>
		<item>
		<title>素朴なお寺は地域のよりどころ。「仏教のはてな」に答えてくれる探求者- 本休寺住職　岩田親靜さん（千葉県千葉市）</title>
		<link>https://mytera.jp/paper/oterabito_honkyuji_0022/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[井上 理津子]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Sep 2019 05:13:53 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[取材・文　井上理津子 &#160; 世襲ではなく、檀家から請われて住職に 日蓮宗薬王山やくおうさん 本休寺ほんきゅうじは、千葉市の郊外、緑区にある。最寄り駅は外房線の土気とけ駅。南口に出ると区画整備されたニュータウンが広 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">取材・文　井上理津子</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-large wp-image-17469" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_01-1024x768.jpg" alt="" width="640" height="480" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_01-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_01-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_01-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /></p>
<h2 class="c_header_post-b">世襲ではなく、檀家から請われて住職に</h2>
<p>日蓮宗<ruby>薬王山<rt>やくおうさん</rt></ruby> <ruby>本休寺<rt>ほんきゅうじ</rt></ruby>は、千葉市の郊外、緑区にある。最寄り駅は外房線の<ruby>土気<rt>とけ</rt></ruby>駅。南口に出ると区画整備されたニュータウンが広がるが、北口に出ると昔ながらの民家が並び、のどかな道を車で10分ほど走った先に姿を見せる。20台分くらいの駐車場の奥に本堂が立ち、その右手に庫裏がある。失礼ながら、よくある「田舎の素朴な寺」的なたたずまいだ。</p>
<p>ところが、本堂に入ると広い畳敷きで、心地のいいこと……。静寂そのものである。暑い日だったが、風が入ってくる。木と畳の匂いもして、懐かしい雰囲気だ。もっとも、シックな配色の空間の中で、<ruby>曼荼羅<rt>まんだら</rt></ruby>を中央に釈迦と<ruby>多宝如来<rt>たほうにょらい</rt></ruby>が<ruby>並坐<rt>びょうざ</rt></ruby>する本尊や、須弥壇しゅみだんの仏様、天蓋てんがいは金色。ずいぶん煌きらびやかだ。ふと「この対比は？」と頭にもたげた。</p>
<p>「仏教には、金色が大切なものというニュアンスがあるんです。ですから、大切という意味で仏様にも調度にも金が多用されるんですよ」</p>
<p>と、住職の岩田親靜いわたしんじょうさんが話してくれる。この日、岩田さんはいくつもの「仏教のはてな」を教えてくれることになるのだが、その事はじめだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17470" aria-describedby="caption-attachment-17470" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17470" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_02-1024x768.jpg" alt="" width="640" height="480" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_02-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_02-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_02-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-17470" class="wp-caption-text">「日蓮宗を開祖日蓮が興したのは鎌倉中期です」</figcaption></figure>
<p>&nbsp;</p>
<p>この本堂は、岩田さんが住職になる以前に、檀家の人たちの力で建てられたという。「ということは、お父様の代に？」と聞いたのは的を外れていて、世襲の寺ではなかった。専従の住職がおらず、他の寺の住職が「代務」していた時期から、年若い岩田さんが彼岸や盆に檀家を回るなどして手伝っていた。そして2、3年が経ったころ、檀家の人たちから「住職になってほしい」と請われたそうだ。</p>
<p>「地域の風習や人間関係、みなさんの思いなど未知のことだらけでしたが、わからないことは何でも教えてもらう、という姿勢でやってきました。筆頭総代（檀家代表）の小川一はじめさんという方に孫のようにかわいがっていただき、とりわけお世話になりました。その小川さんが亡くなる前、ご家族に『気がかりなのは、住職のことだけ』と言ってくださっていたそうです」</p>
<p>「本堂以外に朽ちかけた小屋と、簡素な建物が一つあるだけという状態で、私はこちらにご厄介になりましたが、おかげさまで。妻の協力もあって、じょじょにお訪ねいただく方も増え、今は本堂で写経やお経の会、ヨガ教室、子どものリトミック、お母さん方の交流、またお年寄りには終活関係の講演など、寺が集い学ぶ場になり、寺での葬儀を希望される方も増えてきました」</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17471" aria-describedby="caption-attachment-17471" style="width: 805px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-full wp-image-17471" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_03.jpg" alt="" width="805" height="566" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_03.jpg 805w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_03-300x211.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_03-768x540.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_03-400x280.jpg 400w" sizes="auto, (max-width: 805px) 100vw, 805px" /><figcaption id="caption-attachment-17471" class="wp-caption-text">住職として就任した当時の本休寺</figcaption></figure>
<p>住職になることを「ご厄介になる」と表現する人なのだ。わびしい外観の状態から起死回生をはかり、寺が「今」を生きる人のための場であると同時に「お別れ」の場になっている――とは、寺本来の姿を取り戻した稀有けうな例なのかもしれない。</p>
<p>岩田さんが他の仕事と兼職していないことに話が飛び、「逆に、世にはお寺に属さないフリーランス的なお坊さんもいらっしゃいますよね」と水を向けたとき、「もちろんです。僧侶は生きざま、住職は職業ですから」と核心をつく言葉をさらりと口にした。<br />
僧侶、そして住職としての岩田さんの来し方に耳を傾けたい。</p>
<h2 class="c_header_post-b">NBA開幕戦のチケットがきっかけ</h2>
<p>1972年生まれ。小中学生の頃、のちに身延山みのぶさん大学教授となる僧侶の父は仏教関係の出版社に勤務しており、都内の団地で育った。母、弟との4人家族。父が住職となり、一家が千葉市内の寺に移り住むのは高2のとき。「できれば、お坊さんになりたくない」が本音で、一般の私大の文学部に進んだ。バスケットボールのサークルに入り、曰く「普通の大学生」となったが、3年生のとき、父に「学生のうちに住職資格を取っておいてほしいから、信行道場しんぎょうどうじょうに入って」と頼まれた。信行道場とは、日蓮宗の僧侶となるための身延山での35日間の修行の場だ。</p>
<p>「実は、不純な動機から、私は2万5000円で人生を売ったんです（笑）」<br />
NBAの開幕戦が東京で行われた年で、2万5000円の観戦チケットを買ってくれるなら修行道場に入ると、子どもっぽい交換条件を出したのだとか。そうして入った信行道場が人生の岐路となるとは思いもせずに。</p>
<p>信行道場では、朝5時に起き、お題目だいもくを唱えながら道場へ移動しての読経どきょう、御廟ごびょうに行って読経。また道場に戻り、朝のお勤めをして説教を聞くことに始まり、掃除、座学、声明や作法など実務の勉強が夜まで続いた。<br />
「初めのうちは1日がとても長かったのですが、しだいに慣れました」。終盤に、バスで本山を巡る研修があり、そのときバスガイドに、バルセロナオリンピックで水泳の岩崎恭子選手が金メダルを獲ったと知らされたそうだ。<br />
「外の情報とまったく遮断されるのも初めての体験でした」</p>
<p>そんな35日間によって、「お坊さんという生き方もいい」と思ったのが、今に至る第一歩だという。<br />
「お経を読むとはどういうことかと自分に問うたからでしょうか。私は付け焼き刃の勉強で道場に入ったから、他の方々より知識も所作も劣っていたし、俄然、きちんと学びたくなった。何より、お釈迦さんの言葉に真摯に向き合うのはいいことだと思えたんです」</p>
<h2 class="c_header_post-b">立正大学に編入学して猛勉強。“甘ちゃん”の負い目に駆り立てられて</h2>
<p>一般の大学を卒業後、宗門の大学である立正りっしょう大学の仏教学部3年に入りなおし、猛勉強を開始する。仏教学と宗学しゅうがく（自宗の教義に関する研究・学問）の２専攻のうち、仏教学を選んだのは「信仰とは無関係に、仏教全般を哲学や歴史学を踏まえて客観的に学びたかったから」。</p>
<p>立正大学には、寺に住み込んで働きながら学ぶ苦学生が多く、「親に学費を出してもらっている自分は“甘ちゃん”だと負い目を感じた」という岩田さんは、その後、古河良晧こがりょうこうさんが住職の常圓寺じょうえんじ（目黒区）に1年間住み込み、スタッフとして働いてから、25歳で大学院に進み、日蓮聖人と日本仏教を専門とする高木豊教授の門下生となる。と同時に、縁あって「本休寺の“お経まわり”を手伝ってほしい」という依頼がきて、先に書いたように他の寺の住職が「代務」していたこの寺を、学業の傍ら手伝うようになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17472" aria-describedby="caption-attachment-17472" style="width: 767px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-full wp-image-17472" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_04.jpg" alt="" width="767" height="563" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_04.jpg 767w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_04-300x220.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 767px) 100vw, 767px" /><figcaption id="caption-attachment-17472" class="wp-caption-text">住職認定式の日に檀家の人たちと。岩田さんの左が筆頭総代の小川さん</figcaption></figure>
<p>&nbsp;</p>
<p>檀家の人たちから請われて住職に就任したのは、「寝食を忘れて没頭した」という修士論文「高弁こうべん撰『摧邪輪さいじゃりん』に対する一考察」を書き上げた年。その当時の本休寺は「住める状態でなかった」ため、しばらくは実家から通ったが、結婚した1998年に寺に住むようになり、20余年になる。</p>
<p>なお、筆頭総代の小川一さん、住み込み修行をした常圓寺住職の古河良晧さん、指導教授の高木豊さんをフルネームで記したのは、岩田さんの「3人の恩師」だからだ。古河住職は、のちの立正大学理事長。その当時、途上国支援やビハーラ活動（末期患者に対する苦痛緩和と癒しの支援活動）にいち早く取り組んでいた。高木教授は、日本仏教研究の碩学せきがく。岩田さんが修士論文のテーマに選んだ高弁（明恵＝みょうえ）の「摧邪輪」は、浄土宗の宗祖・法然が著した『選択本願念仏集』をまちがった見方だと反論した書だ。</p>
<h2 class="c_header_post-b">仏教の「なぜ？」を今の価値観に照らし、やさしく解く</h2>
<p>本休寺の檀家は約160軒。わずかに去った家もあるが、新しく檀家になる家もあり、その数は、20余年間ほぼ変わっていない。仏教離れが叫ばれる昨今、天晴れだ。<br />
「住職とは、いわば“社宅”を与えられた寺の経営者。この場所を守っていくのが仕事ですから」と岩田さんはこともなげ に言うが、境内を整備し、庫裏も拡張した。墓地に永代供養墓も新設した。寺では写経やヨガ、リトミックの教室などを行なっている。写経、ヨガの参加費は500円。リトミックは月２回で2500円。写経の参加費は経費分で、ヨガもリトミックも「講師から会場費をいただいていない」という。<br />
基本、寺の運営のほとんどすべてを檀家の護持会費と「気持ち」である布施で賄えているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17464" aria-describedby="caption-attachment-17464" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17464" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/09/oterabito_22_05amend.jpeg" alt="" width="640" height="480" /><figcaption id="caption-attachment-17464" class="wp-caption-text">現在の本休寺の外観。素朴で清潔感のあるたたずまい</figcaption></figure>
<p>&nbsp;</p>
<p>なぜ檀家が減らないのか、なぜ順風に運営できているのかと聞こうとしたら、<br />
「お経や祖師の言葉を信ずることが大切だという考え方がありますが、私自身はいったん『疑う』ことが大切だと思っています」<br />
と、変化球の言葉が返ってきた。どういうことですか？</p>
<p>「お経は、紀元前にお釈迦さんが話し、弟子が聞きとったという形で書かれたものです。私は、その教えも、その教えが説かれた背景も、今の価値観に照らすとどうなのかと考え、違和感が生じたら立ち止まるんですよ。わかりやすい例？　ブッダ（釈迦）が出家したのは、結果から見て他者を救うためだったと肯定されますが、私はブッダ自身が生老病死しょうろうびょうしの苦しみから逃れるためだったと思う。ひるがえって、今、サラリーマンが出家し、家族を捨てることが倫理的に正しいと言えるだろうかと。まず、『出家とは何か』を問わなければならないと思うんです」</p>
<p>「ブッダの言葉には元々、盲目的に『信じなさい』という意味合いはないのに、『ただ信じれば救われる』『すがりつけば救われる』という話に変わっていったんですね」</p>
<p>「老いたくない、死にたくない、病になりたくない……と生老病死の苦しみから逃れたい欲望が人間だれもにあるのが、世の理ことわり です。その欲望はなくせないが、減らすように心をコントロールすることはできますよ、というのが仏教の世界です」</p>
<p>なるほどなるほど、と思わず聞き入ってしまう。なんとなく抱いていた仏教というものへの小さな疑問が晴れていく爽快感。一拍おいて、岩田さんが「法要などで、こういった話もしますし、『これから読むお経はこういう意味です』と説明責任を果たしているんです」と言った。<br />
そうか、聞いた話のすべてが先ほどの質問の答えにつながっていたのだと腑に落ちる。加えて、大学院での研究テーマからも紐づいているとも。</p>
<p>岩田さんの「説明責任」は、お経関係にとどまらない。「合掌は『あなたのことを大切に思っています』との思いを体で示すこと」「お焼香は、元はインドで臭気を消すために行われた」などと所作の意味や、「自業自得という言葉は悪い意味で使われるが、仏教では良い意味も悪い意味もある。読経や仏道修行をすると、三世（さんぜ＝前世・現世・来世）にわたって良い報いが返ってくるとされる」と仏教の“そもそも論”、あるいは時事問題への仏教的捉え方の話にも及ぶという。場の空気を読みながら、ときには理詰め、ときには感性豊かなオリジナルの表現で。</p>
<p>法要にこのような話がもれなく付いてきたら、「この住職、おもしろいな」と親近感を持ち、「仏教っていいな」「お寺ってステキ」と興味を持つ人が増えること必至だ。岩田さんは、こうした「説明」を強みに、檀家らと真っ当な関係をつくり、支持を得てきたのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17465" aria-describedby="caption-attachment-17465" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17465" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_06-1024x768.jpg" alt="" width="640" height="480" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_06-1024x768.jpg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_06-300x225.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_06-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-17465" class="wp-caption-text">本堂向かって右側の窓には、「おてらおやつくらぶ（寺への「おそなえ」を経済的困難な家庭へ「おすそわけ」する活動）」のポスターが貼られている</figcaption></figure>
<h2 class="c_header_post-b">「もしもカード」――24時間営業で駆け回り、寄り添う</h2>
<p>「檀家さん全員に、この『もしもカード』を数枚ずつ配っているんです」<br />
と若草色のB5判のカードを見せてくれた。<br />
表面に、〈●●様の菩提寺は本休寺です〉とあり、本休寺の所在地と電話番号。裏面に〈︎亡くなった際はすぐに（いつでもどこからでもかまいません）電話してください〉とある。「妻の発案です。おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったとき、次世代のご家族が本休寺をご存じない場合もあるでしょ。ふだんから仏壇の近くに置いておいてください、離れて住む子どもさんにも渡しておいてくださいと。電話をもらうと、枕経まくらぎょうに駆けつけます。場合によっては信頼できる葬儀社を紹介し、打ち合わせにも立ち会ってアドバイスするなどご家族に寄り添います」</p>
<p>まさに24時間営業。「年に3日」は休日を取ることを檀家の皆さんと取り決めているが、「家族旅行で日光に行き、旅館に着いたら電話がかかってきたこともあった」という。「仕事が入った。帰るぞ」と、Uターンした。</p>
<p>「子どもたちも理解している、というか、もう慣れているので、ぶつくさ言いません」と妻の彩加あやかさんがほほえむ横で、岩田さんは「ボクは、家族にとっては“困ったちゃん”。家庭人として不適合者です。長く務めた日蓮宗の地区の役員を降り、宗門研究機関の研究員から嘱託に変わったとき、『これで、時間に余裕ができる』と言ったら、妻に『ムリムリ。あなたは探究心のかたまりだから、どうせ自分で勉強し始めるでしょ』と言われましたが、案の定……」<br />
書庫を見せてもらうと、仏教関係書が山のように詰まっていた。寺には、檀家に対する「共益性」と、広く社会に開く「公益性」が必要だと岩田さんは言う。近ごろは、寺での展開を視野に入れて、哲学カフェや私設図書館の見学にも精力的に回っているそうだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17466" aria-describedby="caption-attachment-17466" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17466" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_07-1024x768.jpeg" alt="" width="640" height="480" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_07-1024x768.jpeg 1024w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_07-300x225.jpeg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/08/oterabito_22_07-768x576.jpeg 768w" sizes="auto, (max-width: 640px) 100vw, 640px" /><figcaption id="caption-attachment-17466" class="wp-caption-text">妻の彩加さんと</figcaption></figure>
<p>&nbsp;</p>
<p>午後3時になり、本堂がにぎわいだした。幼児連れのママたちのオフ会が始まったのだ。この会の世話役は、彩加さん。10人の子どもたちが畳の上を走り回る中、ママたちが車座になってお茶を飲みながら話に興じている。「他の場では話しにくいプライベートなこともここでは話させてもらっています」と参加者の一人。<br />
「ダンナさんとのトラブルを相談されて、答えに詰まることもあるんですがね」と漏らしつつ、岩田さんが顔を出すと、子どもたちが待ってましたとばかり走り寄ってきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17467" aria-describedby="caption-attachment-17467" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17467" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/09/oterabito_22_08_2_amend.png" alt="" width="640" height="480" /><figcaption id="caption-attachment-17467" class="wp-caption-text">ママたちのオフ会。本堂が一気に活気づく</figcaption></figure>
<p>&nbsp;</p>
<figure id="attachment_17468" aria-describedby="caption-attachment-17468" style="width: 640px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" class="size-large wp-image-17468" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2019/09/oterabito_22_09_2amend.jpg" alt="" width="640" height="480" /><figcaption id="caption-attachment-17468" class="wp-caption-text">集まったお子さんたちと</figcaption></figure>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_00_main.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Fri, 24 Jul 2020 01:05:16 +0000</gnf:modified>
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		<title>常説法教化 ‐ 本休寺 住職 岩田親靜さん（千葉県千葉市緑区）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[まいてら 編集部]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Apr 2018 23:04:22 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[書：寧月 現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただくこの連載。第9回目にご登場くださったのは、千葉市緑区の日蓮宗・本休寺住職の岩田親靜さんです。 今回、岩 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2018/04/30707336_1544812575588287_7988434609857626112_n.jpg" alt="" width="1000" height="697" class="aligncenter size-full wp-image-12659" srcset="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2018/04/30707336_1544812575588287_7988434609857626112_n.jpg 1000w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2018/04/30707336_1544812575588287_7988434609857626112_n-300x209.jpg 300w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2018/04/30707336_1544812575588287_7988434609857626112_n-768x535.jpg 768w, https://mytera.jp/wp-content/uploads/2018/04/30707336_1544812575588287_7988434609857626112_n-400x280.jpg 400w" sizes="auto, (max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></p>
<div align="right">書：<a href="http://neigetsu.jp/ja/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">寧月</a></div>
<p>現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただくこの連載。第9回目にご登場くださったのは、千葉市緑区の日蓮宗・本休寺住職の岩田親靜さんです。</p>
<p>今回、岩田さんが選ばれたのは、法華経の中に出てくる「常説法教化(じょうせっぽうきょうけ)」ということばでした。ご自身のことを「不器用で、あちこちにぶつかりながら生きている人間」とおっしゃる岩田さん。今回のことばも、岩田さんがご自身の人生の中で何度も何度もその意味を問い直した上で、「現時点では、このように理解しています」という地点から、とても誠実にご解説くださいました。</p>
<p>書家の寧月さんのうつくしい作品とともに、ぜひ、じっくり味わってくださいませ。</p>
<h2 class="c_header_post-b">「お釈迦さまはいまも生きている」と言われても……</h2>
<div class="c_profile-c"><div class="c_profile__img"><div class="c_profile__imgcircle"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_02_prof-1.jpg" alt="" loading="lazy"  width="189" height="189"></div></div><div class="c_profile__info"><p class="c_profile__title-a">岩田親靜（いわた しんじょう）</p><p class="c_profile__txt-a">１９７２年生まれ　二松学舎大学文学部中国文学科卒業　立正大学大学院博士課程満期退学　２００８年　本休寺住職に就任。日蓮宗声明師。現代宗教研究所研究員。</p><p class="c_profile__txt-b"><a href="https://ameblo.jp/sin2056" target="_blank"><i class="icon icon_hp-a"></i>Iwata shinjyouのブログ</a></p></div><!-- /c_profile-b --></div>
<p>まいてら読者のみなさん、はじめまして。千葉市緑区の日蓮宗・本休寺住職の岩田親靜と申します。今回は、法華経如来寿量品第十六に出てくる「常説法教化（じょうせっぽうきょうけ）」ということばについて、私なりに解釈してみようと思います。</p>
<p>このことばは、「歴史上のお釈迦さまは仮に亡くなった姿を見せているが、本当は常に私たちのそばにいて、法を説き続けてくださっている」といった意味です。しかし、私としては、2500年前に80歳でお亡くなりになったと言われている方が、いまなお生きて、私たちに声を届けているという話を現代人に話してもなかなか納得してもらえないだろう。自分がもし説明を受ける立場ならやはり首を縦に振らないだろうと思うのです。</p>
<h2 class="c_header_post-b">亡くなるということがすべてではない</h2>
<p>では、どのようにこのことばを説明したら良いのか。私は、現時点では、お釈迦さまに限らず、これまでに亡くなった方は、さまざまなかたちで、いま生きている我々の身の上にはたらきかけ続けている。だから、亡くなるということがすべてではない、と。このようにお話をしています。</p>
<p>亡くなったら、当然、その方の肉体は消えてしまいます。しかし、その方の思いや生き方というのは、どのようなかたちであれ、残された方々に確実に引き継がれて、決して消えることはないのです。ご縁は確実につながっていきます。素晴らしい生き方をされた方は、そのまま、あるべき人間像のお手本として、生者のこころの中で生き続けるでしょう。逆に、あまり人に褒められるような人生を送ることができなかった方でも、反面教師として、残された方々の生き方に影響を与え続けるでしょう。そういう意味で、死者はほんとうの意味では消えることはないと言えるのではないでしょうか。</p>
<h2 class="c_header_post-b">自分に嘘はつかないように</h2>
<p>私は、お葬式やご法事の際にお経をよむとき、なるべくそこにはどのようなことが書いてあるのか、参列者に向けて、簡単に解説をさせていただいています。その際、自分に嘘があってはいけない。自分の腑に落ちていないことを、みなさんにお伝えするわけにはいかないと、そこに関しては、自身を厳しく戒めています。もちろん、私もまだまだ修行中の身ですので、なににおいても、絶対的に正しい解釈のようなものをお伝えすることはできません。しかし、せめて、自己矛盾がないように、現時点での自分のベストを尽くす努力をすることだけは怠らないようにしたいとは思っています。</p>
<p>今回解釈した「常説法教化」をはじめとして、仏教のことばには、非常に難解で、即座にその意味を理解することのできないものが数多くあります。しかし、理解できないからと言って諦めてしまうのではなく、ことあるごとに、その意味を、自分の人生の中で問い直し続けていく。そういう僧侶でありたいし、人間でありたいと願っています。</p>
<div class="c_tera-a"><div class="c_tera__img"><img decoding="async" src="https://mytera.jp/wp-content/uploads/2017/03/0022_01_eyecatch-1.jpg" alt="お寺画像" loading="lazy"  width="275" height="162"></div><div class="c_tera__info"><div class="c_tera__txt-a">千葉県千葉市緑区</div><div class="c_tera__title-a">薬王山 本休寺</div><div class="c_tera__txt-b">絆をはぐくむ 楽しいお寺</div><p class="c_tera__btn_group-a"><a href="https://mytera.jp/tera/honkyuji22/" class="c_btn-b c_btn_arrow-a c_bgcolor-a c_btn_size-b c_btn_fsize-b" target="_blank">寺院ページを見る</a></p></div></div>
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		<gnf:modified>Fri, 24 Jul 2020 01:05:23 +0000</gnf:modified>
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