スポーツジムのトレーナー×お坊さん – 光傳寺 副住職 国子克樹さん(大阪府大阪市天王寺区)
2016.07.08
国子克樹さんは、ジムのトレーナーとして20年以上のキャリアを持つお坊さんです。お寺の事務仕事を「寺務」というけれど、「ジム」のお仕事と「お坊さん」のイメージは、ずいぶん遠い。だからこそ、本連載初となるインタビューはぜひ国子さんにお願いしたいと思いました。
国子さんが副住職を務められている光傳寺は、大阪地下鉄谷町線「四天王寺夕陽ケ丘前」から徒歩約10分。織田作之助の文学碑も残る口縄坂を下り、松屋町筋の下寺町(したでらまち)を北上してすぐのところ。
国子さんのインタビューの前に、この下寺町のことを少しお話しておきたいと思います。
大阪には「日本一の寺町」があるんやで!
大阪の下寺町は、25か寺もの寺院が並ぶ大きな寺町。一番北に「劇場型寺院」「日本一若者が集うお寺」として有名な應典院(大蓮寺の塔頭)さん、一番南には「お骨佛の寺」として知られる一心寺さん。いわば、日本仏教の最先端をゆくお寺が双璧をなしています。また、谷町筋をはさんで東側には、聖徳太子が建立した日本仏教の聖地・四天王寺の五重塔が見えます。
規模のみならず、その歴史性や現代的な意義からも、大阪の寺町は「日本一」だと思います。でも、初めて大阪の寺町を歩く人は「京都や奈良に比べると、大阪は現代的なお寺ばかり」と首を傾げるかもしれません。それもそのはず。実は、この寺町は第二次世界大戦時の大阪大空襲でほぼ焼失してしまったからなのです。
国子さんのお寺も空襲で被災。本堂や庫裏だけでなく、大切に守ってきたご本尊や過去帳までも失ってしまいました。戦後、国子さんのお祖父さま(先代住職)とお父さま(現住職)は、二代にわたってお寺の再建に奔走。約20年かけて新しい本堂を落慶されたそうです。
下寺町のお寺がそれぞれに経験した再建への厳しい道のりを思うと、今もズラリとお寺が並んでいることは奇跡的にすら思えます。私は大阪の寺町を歩くたび、「今もここにお寺がある」という事実にじわっと胸が熱くなります。
ちなみに、この下寺町で生まれ育つ人の多くは、仏教系の大学(宗派ごとにあり“宗門大学”と呼ばれる)に進学し、あるいは一般大学を卒業した後に僧侶資格を得て、お寺に戻って副住職になる人が多いそう。国子さんのように「一般の大学を卒業して、一般企業に就職」した人はやはり珍しいようです。
アメフト選手からジムのトレーナーに
国子 克樹さん プロフィール
1970年生。光傳寺 副住職。神戸大学理学部在学中はアメリカン・フットボール部で活躍。卒業後、京都大学大学院理学研究科、人間・環境学研究科へ進学、博士後期課程満期退学。スポーツ・ジム、専門学校講師、高校野球部のトレーナーなどを兼務したのち、京都メディカルクラブへ入社。トレーナー兼営業を務める。下寺町では、青年僧の会「三帰会」に所属、会長在任中は、地域のお寺が一体となるイベント等を企画・運営。
現在、国子さんがお勤めされているのは、「予防」をテーマにハイグレードな総合健康診断とその結果に基づくフィットネス指導などを行う、京都の複合医療サービス機関。主に、エグゼクティブを対象とした会員制の医療クラブを運営している会社です。
18年前、国子さんはこの会社が運営するスポーツ・ジムのトレーナーとして入社。約5年前からは営業を担当するようになったそうです。
そもそも、国子さんはどうしてトレーナーになったのでしょうか?
学生時代に、ジムでバイトをしたのがきっかけです。神戸大学の体育会のアメフト部の選手だったのですが、アメフト部は部活に熱心なあまり留年する者も多くて(笑)。5年生になると、先輩から梅田のトレーニングジムでトレーナーのバイトを引き継がれるんです。僕もまた5年生のときに、トレーナーのバイトを始めました。
最新のトレーニングマシンが揃うジムで、トレーニングプログラムの基礎を学び、国子さんは大きな衝撃を受けたそう。身体の鍛え方にはきちんとした理論と方法があり、適切なプログラムを提供すれば人の身体はちゃんと変化することを知って驚くとともに、そのおもしろさにも目覚めたのです。
京都大学の大学院に進学してからは、京都の小さなトレーニングジムを任されトレーナーをすることに。「腰が痛い人に効果的な腹筋の鍛え方は?」「曲がらなくなった膝が伸びるようにするには?」。ジム利用者の相談に応えるために、大学図書館で専門書にあたったり、インターネットで情報を探したりしました。
「先輩に引き継がれたアルバイト」が、ついに一生の仕事になるなんて! 25歳の国子さん自身も、思ってもみなかったのではないでしょうか。
「好きなことを仕事にしたほうがいい」と言われて
とはいえ、国子さんは最初から「トレーナーを一生の仕事にしよう」と思っていたわけではありません。学部を卒業して修士課程に進むとき、そして修士課程から博士後期課程に進むときにも、「就職するかどうかを悩んだ」と国子さんは振り返ります。
頭のどこかに「いつかはお寺を継ぐ」ことがあったから、在阪の企業に就職するか、理科の先生になろうと考えていました。修士課程を終えるときは「もう就職しなければ」と大阪府警を受験。実は、内定をいただいていたんです。
ところが、“トレーナーの師匠”と仰いでいた人に報告すると、「お前には警察官は無理だ」とダメ出しされてしまいます。なぜ、国子さんは「警察官は無理」だと思われたのでしょうか?
「明らかな駐車違反をしていた人に、『同乗者の気分が悪くなって病院に運んでいました』と説明されたらどうする?」と質問されて、「許します」と答えたら、「それやったら警察は無理やで」と言われましてね(笑)。「それに、お前はトレーナーの仕事好きやろ?」って。「ざっくり言うと、ほんまに好きなことをやったほうがいいし、お前はトレーナーに向いていると思う」とズバッと言われてしまったんです。
「自分でも薄々感じていたことの図星を突かれた」と感じた国子さんは、熟慮の末に大阪府警の内定を辞退。博士後期課程に進み、トレーナーの仕事を続けることになりました。
お寺の子には「おじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいる」
どこで何をしていても、「いつかはお寺を継がなければ」と思い続けていたという国子さん。あらかじめ、レールを敷かれているような人生に、不自由さを感じることはなかったのでしょうか。
大学受験のときに、家から一番遠い、北海道か沖縄の大学に行きたいと思いました。今思えば、あれは「継ぐのがいやだ」という気持ちの現れだったのかもしれません。大学の先輩が商社などに就職して海外に出て行くのをうらやましく思ったこともありますし。
その一方で「継ぐのはイヤだ!」と強く思うことはなかったそう。学校などでも「お寺の子」ということに引け目を感じた記憶も特にないと国子さんは言います。
お寺で生まれ育つというのは、「血のつながった祖父母以外に、おじいちゃんおばあちゃんがたくさんいて、育ててもらう」という感覚なんですね。今でも、お檀家さんが亡くなられると「またひとり、おばあちゃんが亡くなった感じがします」と、ふと言ってしまうんですよ。
「いつか継ぐ」という気持ちがはっきりした形になったのは、大学3年生のとき。忘れもしない、アメフト部の秋のリーグ戦で、大事な試合に負けて帰ってきた夜のことでした。お母さんが残した留守電メッセージを聞いて、実家に電話をすると叔父の死を知らされたのです。
「大事な試合が終わるまで知らせなかったけど、今夜がお通夜だからすぐ戻りなさい」と。叔父は、長年憧れていたハワイへの移住を目前にした事故死でした。息子に先立たれた祖母も、涙なんか見せたことがない強い父も、挨拶しながら泣いていて。「なぜこんなことになったのだろう」と呆然としながらも、そのときの僕にできることと言えば、夜通しお線香を絶やさないということだけでした。
悔やんでも、もう叔父さまには会えない。亡くなった人にできることは供養だけなのだ。それを深く実感するできごとのなかで、国子さんは初めて「お寺のことをしっかりしていかなあかんねんや」という強い思いを持ったそうです。
お坊さんとして、社会人を経験をしてよかった!
トレーナーとして、最適のプログラムを提供して運動してもらい、効果が出ることを喜んでもらうという体験が「仕事の原点にある」という国子さん。会社ではトレーナー経験のある営業担当として顧客に対して、お寺では、お坊さんそして副住職としてお檀家さんに対して、「何を提供できるか」を考え続けています。
たとえば、医療クラブの会員になっておられる経営者の方たちは、「お客さんの立場で」「利用者の立場で」と常に考えておられるんですよね。みなさんとお話をしていると、「お寺にとっての“顧客”はお檀家さんやな」「お葬式ではご遺族の立場になってということができているかな?」と、改めて振り返ることもあります。
また、トレーナー経験はお坊さんとしての所作にも良い影響をもたらしています。
お寺の法要では、作法をキレイに見せる身体の使い方を意識しています。たとえば、浄土宗では、立ってしゃがんで拝む「礼拝」という作法があるのですが、スポーツ業界から見ると「礼拝」はある種のスクワットみたいなものなんです(笑)。どこに力を入れて、身体の軸をどこに置けばきれいに礼拝できるのか、やっぱり考えますね。身体の構造上、「一番疲れない動き」が「一番効率的」なんです。
トレーナーとして、一人ひとりの身体に最適なプログラムを提供してきたことは、お坊さんとして一人ひとりの心に寄り添いながら、その人の心が楽になる仏教を提供したいという思いにもまっすぐ繋がっているようです。
たとえば、膝が痛いときに「膝関節の痛みをやわらげるのに、大腿四頭筋のなかの内側広筋をレッグエクステンションで鍛える必要がある」と言われてもピンときません。専門用語ではなく理解しやすい言葉で説明され、なおかつトレーナーへの信頼感があって初めて、人は身体を動かそうとします。
仏教の言葉も、知らない人にはピンとこない専門用語のようなものかもしれない。経典の言葉をそのまま言うのではなく、解釈を守りながらも、聴かれる側に入るように伝えるようにしないといけないと思うんです。
「お坊さんとしても、会社勤めをして良かったと思う」という国子さんですが、悩みの種は「時間が足りないこと」。通勤や移動の電車のなかでも、お寺でやってみたいことのアイデアを考えているそうです。
会社勤めをしていることは、仏教やお寺の入り口にはなりませんが、僕という個人の入り口の間口はひとつ増えたと思います。それは、お檀家さんとのおつきあいをするうえで、良かったと思うことのひとつですね。
職場や営業先で出会う人たちにも、素性を明かすと「いやあ、前からお坊さんじゃないかと思っていた」と言われるという国子さん。スーツを着ていても、ジャージを着ていても、いつも心はお坊さん。その心が自然と表に現れているのかもしれません。
「いつかは、お寺でトレーニング講座を開く」という構想もあるそう。心身のストレスを抱えている現代人にとって、心も身体もメンテナンスしてくれる“お坊さんトレーナー”はとても魅力的です。全国のお寺で人気のトレーナーになってしまうかも!? 私もいつか、国子さんによる仏教的トレーニングを受講してみたいと思います。