まいてら編集部員たちの”お寺のある”日常

まいてら編集部日記

お寺の底力を感じた!『笑い仏をみなで福島にとどけよう』プロジェクトのご紹介

2017.06.06

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まいてら編集部の遠藤です。3月にこのコーナーでご紹介した「栄の中心でお釈迦さまを祝うお坊さん」こと、中村建岳さんからのご縁で、今回ご紹介する空石さん(ペンネーム)と知り合いました。

空石(くうせき)というお坊さんか仏師のようなペンネームですが、お坊さんではなく一般企業の会社員でありながら、ことお寺や仏像について強い情熱を持って日本全国のお寺を巡り歩いているような方です。まさに「お寺のある生活」を満喫していらっしゃる。

今回は空石さんにお願いして、数年前に取り組んでおられた『笑い仏をみなで福島にとどけよう』プロジェクトについてご寄稿いただきました。是非とも多くの方に知っていただきたい取り組みです。

【寄稿者プロフィール】 空石(くうせき)

1971年生まれ、東京生まれの関西人。幼いときから仏像に興味を持ち、知らない間に仏縁を結ぶ。2002年に高校の友人と、お寺でまちづくりを活性化させようという市民団体「MONKフォーラム」を結成。03年から06年まで、大阪・了徳院で月に1回「聖天カフェ」を実施。11年には西宮・大日寺で映画「GATE」上映会を開催。12年からは「『笑い仏をみなで福島にとどけよう』プロジェクト」に着手。今も福島との関わり方を考えている。日常は寺巡り。昨今は仏像より、ご住職のお話に興味を持つ。twitterアカウント名は「笑い仏」

MONKフォーラム

なぜお寺に向かうのか?

「なぜお寺に向かうのか」自らに問いかけても、一向にわからない。

出張で各地に行っても、まずは「そこにどんな寺があるのだろう」と考えてしまう。あまり知られていないお寺でも、勝手に謂われなどの”ご縁”を探し、気が付けば、山門をくぐってしまうのだ。スーツケースを引きずりながら、田舎道を30分。たどり着いたお寺で境内を独り占めして参拝ができるとき「やった!」と思ってしまう。これはもはや中毒なのだろう。

熱心な仏教徒でもないのに、なぜお寺に足が向かうのだろう。もっと身近にある、例えばUSJのような観光地でもいいのに…。
それでもお寺に通ってしまう理由はシンプル。ただただ、お寺が好きなのだ!
あえて言うならば、「お寺の底力」に”やられている”のかもしれない。お寺が育んできた歴史、文化、伝統、そして魅力的なご住職の方々など。スピードと量を至上価値とする現代社会とは対局の魅力がお寺にはあるのだと思う。

そんなこんなで、お寺と真剣にお付き合いさせていただいて、はや20年以上になる。時に片思い、ときに相思相愛で。

この度は、そんな「お寺の底力」を思い知らされたプロジェクトの1つを紹介させていただきたい。

東日本大震災のあとに

「3・11」が起きた直後、私は焦っていた。

「東北のために、なにかしなくちゃ…」

震災当時、私は神戸に住んでいた。1995年に死者6,000人を超す阪神淡路大震災が起こったあの時、神戸の人は、悲しみに包まれると同時に、全国から助けの手を差し伸べてもらった。

「阪神淡路大震災の恩返しをしよう…」

私の周りにいる勇猛果敢な友人たちは、仕事もそっちのけにし、手弁当で続々と東北に向かっていった。

「ほんまに、なにかせなアカン…」

だが、いくら考えても自分は何をすればよいのか、答えが出てこなかった。一人で行ったところで何ができるだろうか…。現地に行くよりも、寄付をする方が役立つだろう。色々と言い訳を考えながら、ボランティアの活躍をテレビで見ると、やりきれない気持ちになった。

仏師・山本竜門さんとの出会い

そんなときに、とてつもないご縁がつながった。2011年の暮れ、鳥取県倉吉への家族旅行の折り、観光拠点になっている白亜の蔵で、人生ではじめて仏師と出会った。山本竜門さんだった。

「滅多にここに来る方じゃないから、あなたたちはラッキーよ」

観光案内のご夫人からそう言われて、「はぁ」と苦笑い。ただ、お寺好きとして、純粋に仏師という人間に興味が湧いた。その場では簡単なあいさつを交わしただけであったが、後ほど手紙を出してみた。そして、何度かやりとりをしていると、思いもかけない申し出を受けたのである。

「私が彫って、大事にしている仏像があります。これを震災で苦しんでいる人を勇気づけるため、東北の方に届けたいがどうすればいいでしょうか。なにかいい方法はありますか」

私は2つ返事で引き受けた。
「任せてください!」
だが、返事してすぐに後悔した。いったいどうやって届ければよいものか…。

迷った時は、お寺に行こう!

迷ったらお寺に赴くのが私の性分。ロープウェーに乗って、神戸・摩耶山にある天上寺にお邪魔した。
天上寺の伊藤副住職はアイデアマン。いろいろなことを教えてくれる。その時は、こんな話をしてくれた。

「昔な、”回り仏”という風習があったのよ。檀家さんが自宅で、1年間石仏を預かる。そこにお参りに来た人を接待するんよ」

今は途絶えた風習だという。それを聞いてひらめいた。これだ!
仏さんを拝むのでなく、仏さんが自ら回る。つまり、預かった仏像が、東北を目指していく。それもただ回るのではなく、福島の実情を伝えながらお寺を回っていく。グッドアイデアだ。そのときは興奮しながらそう思った。

だが、帰り道でさっそく不安がもたげてきた。まず、どこのお寺を回ればよいものか。そもそも、費用はどうするのか。全く考えていなかった。

「ええい、でもとにかくやったろう!」
原発の放射能汚染に苦しむ福島県に持っていくという目的を決めた。そして、福島の放送局に勤める先輩に相談すると、福島の現状を伝える写真を撮ることを快諾してくれた。写真を貼り付けたボードが、仏像とともに各地をまわっていくことで、福島の現状を伝えていくというプランにした。

「笑い仏」のこと

全国を回った笑い仏。山本竜門さん作

おっと、仏像のことを忘れていた。この仏像は、鳥取県倉吉市で1000体以上の仏像を彫ってきた山本竜門さんが我が子のように大事にしていた作品。円空と木喰を2で割ったような作風で、微笑んでいる。私は『笑い仏』と名付けた。竜門さんによると、後背にも謂われがある。焼成に失敗した大皿をもらい受け、後背にしたのだという。

「仏教には役に立たないものはない、という教えがあります。この割れた大皿も福島のがれきと同様に、捨てられるものだが、”この世に存在するもので、役に立たないものはない”、という教えを後背に託しました」

竜門さんは、復興の祈りを込めて、『がれき後背仏』と呼んでいるが、本人の了承を得て『笑い仏』とさせていただいた。頑固な竜門さんだが、ここはあっさり認めてくれた。付け加えると、竜門さんは、奥ゆかしい方で当初は「私の名前は出さないでほしい」と頼まれた。まあ、そこはなるようにさせていただいたのだが、彼が売名行為でこの仏像を託されたのではないことは明記しておく。

どこのお寺を回るか?

さて、全国のお寺を回ろうにも、なんのツテもなかった。『笑い仏』を乗せて倉吉を出発したら、まずは自分たちの住んでいる関西か…。そう思いながら地図を眺め、特に考えもなく白羽の矢を立てたのは、姫路にある圓教寺だった。トム・クルーズ主演の映画『ラスト・サムライ」のロケが行われた古刹である。

恐る恐る圓教寺に電話をしてみた。いきなり「仏像を置かせてください」と言っても絶対怪しまれるだろう。
しかし単刀直入に伝えてみると、第一声から「いいですよ。お話を聞かせてください」と穏やかな声がかえってきた。

圓教寺へ向かうロープウェーの中、同志の仏友と頬をつねっていた。

「そうは言っても、企画にのってもらうのは厳しいやろなぁ…。なんて説明しようか」

緊張するわれわれを前に、圓教寺の金子執事の答えは単純明快だった。

「だから、電話で 置きます って言ったじゃないですか。」

飛び込みで一発OK!
こんなことは、普通のセールスでは絶対にあり得ない。でも、どうして?

「このお寺ではコンサートとか、いろいろやってますんでね。東北のことだし、手伝わせていただければと思っただけです。」

拍子抜けするような具合に、笑い仏第一の行脚寺が決定した。そして、約1か月の間、圓教寺の奥の院の特等席に安置していただいた。地元の神戸新聞からも取材を受け、次の行脚寺も続々と決まっていった。テレビやラジオからも私たちに出演依頼があり、「お寺が好きでよかった」としみじみ実感した。

まるで「蜘蛛の糸」のような偶然

この時点でも全体の計画は決まっていなかった。最終的に福島のどこに持っていくかは未定だったし、関西から東に行く際の費用負担の問題もあり、プロジェクトはこの先行き詰まる危険をはらんでいた。出発早々にエンスト気味で、ドライバーのやる気だけが充満していた有り様だった。

万事休すかと思った時、仏様が仕組んだとしか思えない出来事が起こった。私の仕事で「名古屋転勤」の内示が出たのだ。それは”降格”の意味合いに近い内示だったが、私にとっては願ったり叶ったり。これぞ「九死に一生を得た思い」であった。「なんでそんなにうれしいの?」と、皆に不思議がられたのだが。

笑い仏を関西から、第八の行脚寺となった三重県津市の大寺・観音寺に送り届け、『東海行脚』が再始動した。門前払いも多々あったが、そのたびに”見えない力”が助けてくれた。見かねた住職や知人が次のお寺を探してくれたりなど、様々な協力があり、まるで見えない線路が敷かれているようだった。

長野・長谷寺で感じられた『笑い仏』の変化

まいてら登録寺院、長野県長谷寺の岡澤住職と笑い仏

第十四の行脚寺、長野県長野市・長谷寺(まいてら登録寺院)を訪れた時の印象は強烈だった。長谷寺では、護摩焚きの法要の日に笑い仏を迎えてくれたので、お披露目の時は檀家さんをはじめ、多くのオーディエンスがおられた。炎が天上近くまで燃え上がる迫力満点の護摩供が終わると、檀家さんが笑い仏の前に続々と進み出た。

「触ってもいいのかねぇ?」

妙齢のご婦人に聞かれ、きょとんとしてしまった。そうか、触れてもらえばいいのだ。笑い仏は、触れたくなるほど、拝む人に”近づいて”いるのだ。そのご婦人の問いかけにしみじみと感動した。確かによく眺めると、笑い顔も出発したときより柔和になってきているような気がする。そのことを仏師の竜門さんに報告したら、「それはよかった」と大層喜んでおられた。

『笑い仏』の現在

3年半かけて、22のお寺とご縁を結ばせていただいた。行く先々で歓迎していただき、お寺を出発する際にはありがたい励ましの言葉もたくさんいただいた。移動は車だったが、移動中の笑い仏の台座は、器用な友人のお坊さんが手作業であつらえてくれた。移動費用を捻出させていただくための賽銭箱も。とにかく、お寺のご縁でむすばれた仏縁が、笑い仏の背中を福島にむけて押してくれたのだと思う。

現在、笑い仏は、福島県双葉郡富岡町下郡山下郡26にある浄林寺に安置されている。富岡町は2017年4月から避難地区指定が解除されたが、それまでは放射能汚染のため、宿泊できない地区とされていた。当然、今も住民が生活できる場所ではない。ただ泊まれるだけ。それでも、浄林寺の早川住職は毎日隣町から車を飛ばして、お寺の手入れを行っている。

「檀家さんは、故郷には帰れないけど、せめて1年に1度ご先祖様をお参りしたい、とおっしゃる。だから、8月のお施餓鬼のために、お寺をきれいにしておかないといけないのです」

富岡町にある、通行禁止の看板

早川住職に、全く人影のない富岡町を車で案内してもらった。この光景を見ると、復興というゴールははるか先のように思える。それでも浄林寺では、毎年8月6日に約100人を集めて施餓鬼法要を行う。私も『笑い仏』に会うために、毎年参加させていただいている。散り散りになった富岡町の住民を、お寺が1年に1度つなぎあわせている。

浄林寺の早坂住職

これこそがお寺の持つ縁の力であり、私は「お寺の底力」と呼んでいる。いくつものお寺にご協力いただき、お寺を支援する檀家さんの力添えも得て、福島への行脚を終えられたのだ。

私の中で、この旅はまだまだ続いている。個人的にこれまで縁もゆかりもなかった福島と仏縁を結んでしまったので、夏になると無性に福島のことが気になり始める。今年もまた熱いんやろかとか、あのご高齢の方が披露した踊りは今年も見られるやろか、とか。もう、仏縁に絡めとられている。
これも「お寺の底力」といえよう。また新たな仏縁はないかと、きょうもまた寺の門をくぐっている。(空石)

参考リンク:『笑い仏をみなで福島にとどけようプロジェクト』

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