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自衛官から僧侶への大きな転身、そして荒行へ [後編] – 佐々木宏介さん(大阪府堺市 妙法寺 住職)

2018.06.22

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(前編はコチラ)

はじまりは『戦艦大和のすべて』

いよいよ、佐々木宏介住職(大阪府・日蓮宗・堺 妙法寺)が、日蓮宗大荒行へと臨む決意についてお聞きしていきます。

子どもの頃によく読んだ本が2冊ありました。1冊は山本有三の『路傍の石』。小学校低学年の頃、常に枕元に置き暗記するほど読み込んだこともあり、主人公吾一少年の人間像、心理描写が、そのまま私の性格形成にも大きな影響があったと感じます。
もう1冊はたしか『戦艦大和のすべて』という子ども向け文庫。連合艦隊司令長官、山本五十六(やまもといそろく)の座右の銘として「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」という言葉が紹介されており印象に残っていました。

海上自衛隊入隊直後、広島県江田島の幹部候補生学校で、「不自惜身命」を座右の銘にした山本五十六元帥はじめ数々の先人、先輩が、その言葉どおりに国のために散華された(戦争の中で亡くなった)ことを学びました。自分の家族、国家を守るために身命を惜しまずという生き方は、戦後教育で育った私にとって、とてつもないカルチャーショックでした。その後、この価値観は他の多くの同輩と同様、幹部自衛官として多くの部下の命を預かる職責を担うようになった私自身の価値観にもなっていました。

自衛隊としての勤務を終え、僧侶になってから佐々木さんは「不自惜身命」という言葉に再会します。

自衛官を退官し、小僧修行に入ってすぐ「不自惜身命」は法華経というお経の中にある言葉だったと知りました。
文字どおり命を投げ出さなければいけない事態を覚悟した人たちがようやく用いた「不自惜身命」という極めて重い言葉が、お寺の世界では、軽々に用いられていることが多いことに違和感を覚えました。

自衛隊における「不自惜身命」と、お寺の世界での「不自惜身命」の扱われ方の違いに違和感を感じながら、日蓮宗には荒行という修行があると知ります。お寺の世界において「不自惜身命」を体現できる場ともいえます。

これは素晴らしいことだと思いました。消防士、警察官、海上保安官のように不断の努力・訓練によって練度を維持されている職業の方は、いざという時に確実・迅速に職責を果たしてくださいます。
常に対象国や災害と向き合う自衛官にとっても訓練は日常的なものですが、僧侶にとっての修行は、現代において日常生活と切り離された特別なものになり過ぎてしまっていると感じます。
苦行は修行の単なる1つの形に過ぎませんが、宗派を問わず僧侶は常に道を求める修行中の状態に身を置いてこそ、仏道修行の本質を理解し人々にお伝えできるのではないでしょうか。

素晴らしい先輩・友人・後輩僧侶に見えつつも、現代の僧侶は、寺檀制度・世襲制という法人形態の影響を免れないからこそ、苦行に限らず何らかの形で「行を修める」という意識を日常的に持ち、あるいは行に身を投じ、その価値観を以て積極的に市井と交わることが、その職責上、求められているのではと感じています。

荒行の中と外をつなぐもの

荒行中は修行状態を維持できたとしても、お寺に戻ってきたら「日常に逆戻り」とはならないのでしょうか?

荒行堂の中心、私どもが中堂と呼ぶ本堂正面に、修行僧が100日間お経を上げ続ける約2メートルの鬼子母尊神様のお像が祀られています。全修行僧がひたすら一心にお経をあげ続けることにより、睡眠時間・栄養不足という条件を考慮しつつも、お像が命を宿し、生身の尊神様として我々修行僧を時に懲らしめたり励ましたりしてくださるという強烈な実感があります。
行中の100日間は結界外の何倍も信賞必罰(しんしょうひつばつ:功績ある者は必ず賞し、罪過ある者は必ず罰すること)の現象が起こり、誰もそれを免れません。
それは、私のように信心のなかった人間でも怖いと感じるほどでした。荒行を終えてお寺に戻ってくると、その現象は荒行堂の中だけのことだったと振り返るばかりでしたが、『一部経』を日常的に読み始め、さらに今回3回目の荒行を終えた後は「いや違う、外でも起こっているんだな。」と強く実感するようになりました。

聞くほどに不思議な話ですが、お経の力によって「常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)」を実感するに至ったというエピソード(インタビュー前編を参照)からも、3回目の荒行は大きな「変化」だったことがわかります。

(荒行中に起きる不思議な現象について)僧侶によっては「まやかしだ」という人も勿論いますが…..と前置きした上で、こう続けられました。

でもそれは私自身が体験したことですし、荒行後もお経の力、お題目の力(祈りの力)の存在を信じざるを得ないような出来事が続きました。世の中に生きている人は皆それぞれ役割がありますが、私のような頭の固い人間に気付かせるために自衛官としての前半生があり、そして家内と出会って僧侶としての後半生があるのだと、今は思えます。

修行とは、他人から見られていない “97%の時間” をどう過ごすか

最後に、佐々木住職にとっての「修行とは?」の解に迫るようなお話をしていただきました。

10年前に急逝した父親は、「お天道様はいつも見ている」という言葉が口癖でした。他人は他人、自分は自分。決して他者の評価を期待せず、やるべきこと、さらには照れず奢らず善行を黙々と行う父を、間近に見て育った頃は不器用な生き方だと思っていました。
しかし、自衛官時代の十数年、まがりなりにも職責を果たす支えになったのは、父から受け継いだ、他人をあてにせず「お天道様はいつも見ている」下で黙々と取り組むという価値観だったと、今では強く感謝しています。

荒行中は、神仏、戦地で飢えに喘ぎつつ国のために散華された英霊、鬼籍に入った父に対して恥ずかしくないよう、直面すること全てが修行だと捉え、一瞬一瞬を過ごします。
他人から見られていない “97%の時間をどう過ごすか”ということが、結界の内外を問わず私にとっての「修行とは何か?」という命題に対する解です。

他人に見られていない時間こそ、どのように過ごすか。普段から「しっかり取り組もう」「損をして徳を積もう」と考えている人は、行中もしっかり過ごすこと、損をして徳を積むことを怠りません。結界内で行にしっかり取り組めば、結界外でも恥ずかしがらずにしっかりと布教を行え、真剣に取り組んだだけ神仏から「おかげ、余慶の功徳」をいただける。私共の行いや選択は、他と無関係のように見えてその実、一瞬一瞬、全てが神仏や他者、あるいは将来、あるいは来世の自分ともつながっている。「お天道様はいつも見ている」という父の言葉の真意を感じるようになりました。

今回、佐々木住職の生い立ちや性格をお聞きしてみると、荒行に挑み続けられる理由はわかりましたが、厳しい修行は決して誰もが真似できるものではありません。しかし、荒行の中で佐々木住職が心がけていたことは特別なものではなく、修行をしていない私たちにも通じる普遍的なことでした。 脳の機能が省エネモードに移行して余計なことを考えなくなった、云わば野生に近い人間が信じる「大切なこと」は真に迫っています。

貴重なお話でした。佐々木住職の体験や思いを、もっと多くの人にむけて語っていただきたいと強く願います。

堺 妙法寺 (日蓮宗)
住所 大阪府堺市堺区中之町東4丁目1-3
電話 072-232-6719
ホームページ / Facebookページ

↓ 妙法寺が制作した動画 「日蓮宗大荒行」(ショートバージョン)

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遠藤卓也

遠藤卓也

立教大学卒。2003年に『お寺の音楽会 誰そ彼』を立ち上げ、主催・運営。IT企業に勤務した後、2012年より未来の住職塾事務局を担当。現在は一般社団法人お寺の未来にて、まいてら編集長を務める他、お寺のHP・パンフレット制作や『お寺の広報セミナー』講師として活動する。

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