お寺づくりの担い手にせまるインタビュー

おてらびと物語 〜安心のお寺を創る〜

悩み溢れる新宿のよろず駆け込み寺でありたい – 淨音寺 住職 髙山一正さん(東京都新宿区)

2016.08.30

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小さい頃から死が隣り合わせの日常。育まれた死生観が僧侶となる決意につながった

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西新宿の高層ビル群を抜けていくと、再開発されたエリアにお寺がある。40階建ての高層棟が面する道は通勤経路でもあり、一日に何千人、いや何万人が通るだろうか。そして、そのうちの何人が低層棟にあるお寺に気づくだろうか。人生の境遇において何かの縁ができた時、その人の心はお寺の存在に初めて気づくのかもしれない。そして、気づいた人を温かく包み込む、そんな優しさを持つお寺が淨音寺である。

私には何か特別なことができるわけではありません。ただ、せっかく出会えたご縁に感謝し、一緒に悩み、寄り添いたいという思いは強く持っています。

淨音寺を預かる住職、髙山一正(たかやまいっしょう)さんからは、お坊さんらしい温かい優しさ、そして時には過剰ではないかと思うほどの謙虚さが空気で伝わってくる。

「得も言われぬ温かさ」

淨音寺と髙山さんを形容するとすれば、この言葉が当てはまるだろうか。お寺に漂う柔らかなお香の香りの中で、髙山さんと一緒にお茶をすすり、話を聞いてもらうだけで、心の何か凝り固まったものが多少なりとも氷解していくように感じる。

そんな髙山さんもお坊さんになることをすんなり受け入れていたわけではない。小学生の頃に学校から帰ると、お寺に白黒の幕がかかり、泣いている人がいた。この葬儀の光景を幾度も目の当たりにし、自分も悲しい気持ちを引きずった。淨音寺の門徒(浄土真宗の檀家を言う)からは「跡継ぎは安心ね」と言われ、半ば将来が決められていることに内心では反発していた。あえて理系大学に進学し、お寺とは一見関係がなさそうな経営工学を専攻した。しかし、就職活動に際していつの間にか「この業種だったらお寺にこう還元できるな」と自然に発想している自分がいた。
そんな折、住職で父親でもある正克(しょうこく)さんの背中が気になり始めた。電話一本の連絡で門徒の家におもむく日々の姿を見ている中で、お寺は何か大事なものを守っているのだと気づくようになった。お寺の営みが他人事から自分事に着実に変化しつつあった。

法要後に談笑する先代住職・髙山正克さんと髙山一正さん
法要後に談笑する先代住職・髙山正克さんと髙山一正さん

淨音寺の歴代住職は先代まで38歳、58歳、65歳と短命でした。自分なりの死生観といいますか、私もいつまで生きられるか分からないと小さい頃から感じてきました。岐路に立たされた時、私が仏道に進むことを決心したのは、初代、二代、先代の存在が決め手となりました。我が身だけの決心ではないと感じます。

そして、髙山さんは就職活動をきっぱりとやめ、正克さんの背中を見ながら僧侶として住職としてのあり方を学んだ。3年後に正克さんが他界した2010年、24歳で髙山さんは第4代の住職に就任した。

遺族になって初めて気付いた、人々が葬儀に求めていること

正克さんの葬儀では、髙山さんは喪主となる母を支えた。一般的に住職が亡くなると、他のお寺の住職や僧侶に葬儀の導師をお願いし、お願いした側は僧侶であっても遺族となる。いわば葬儀をお寺にお願いした門徒と同じ立場になるのだ。

僧侶を招いてお勤めしていただく側となったことで見えてきたことがたくさんありました。読経の響き方、父の名前を読み上げられる時の心境、法話の大切さ等、門徒さんが葬儀でお寺に望んでいるであろうことに色々と気づかされました。自分が遺族となったことで、受け手の心理に想像が至るようになったのだと思います。

僧侶にとっては多くの葬儀のうちの一つであっても、遺族にしてみれば大切な人のかけがえのない一度きりの葬儀。この視座の違いがお寺・僧侶と、生活者の間に、大きなすれ違いを生みがちになる。髙山さんはすれ違いが起きないよう、「分かった気にならないよう、分からないということを前提に対応するようにしている」と言う。時には受け手の状況を想像するあまり、聞くことができず臆病になってしまうこともあるが、遺族の思いに対してはできる限り傾聴することを心がけている。
遺族との心を通わせる大切な場として、淨音寺では都内のお寺では少なくなってきている臨終勤行(りんじゅうごんぎょう:通夜・葬儀に先立つ、死者の枕元での読経で「枕経(まくらぎょう)」とも呼ばれる)を大事に営んでいる。

臨終勤行は場所がどこであっても24時間駆けつけるようにしています。ご自宅ではなく、お寺での葬儀が増え、結果としてお寺での臨終勤行も増えています。臨終勤行は本当に近いご家族だけで思いや気持ちを共有できる貴重な時間ですので、故人のお話をうかがって法名(浄土真宗の戒名)に反映しています。

法名の意味を説明する資料
法名の意味を説明する資料

髙山さんは、法名の意味を資料として、遺族にお渡ししている。法名の意味の伝達は多くは口頭で行なわれることが多く、しっかりと紙面に落として伝えているお寺は全国的には多くない。故人の法名に込められた確かな意味や願いを、家族の中で世代を超えて相続していくためにも、法名が紙面に書かれていることはとても価値がある。実際、遺族からの評判も良く、髙山さんは確かな手ごたえを感じている。

参列者が思い思いの気持ちを共有する、参加型の法事を目指したい

茶畑の説教所で撮影された貴重な一枚
茶畑の説教所で撮影された貴重な一枚

淨音寺のルーツは、明治期の終わりに設立された「東京淀橋説教所」にある。当時の新宿には茶畑が多くあり、当時の淨音寺は「茶畑の説教所」と親しまれた。

説教所というルーツを継承しながら、仏教の考え方や浄土真宗の教えを大事に伝えていく場所にしていきたいと思います。そのために参列者が法事を形式的に勤めるだけではなく、それぞれが我が事として捉えてもらえるように全員参加型の法事を目指し、その中身と場づくりを熟成させていきたいと考えています。

法事では開式に際して式次第を説明し、一緒に読経する。その後に法話をするところまでは一般的な流れだが、淨音寺では法事の後に参列者が今の気持ちを共有することを大切にしている。

「あっという間にこの日を迎えた。まだ悲しみは消えません」
「あの時はごめんなさいと、お母さんに伝えたいです」
「果物が大好きだったね。今日もお供えしたよ」

参列者の全てが気持ちを吐露するわけではないが、口を開く人も少なくはない。法要の年数が浅い場合にはうまく気持ちを整理できない方も多いが、年数が経つと自分なりに故人との関係やその死を意味づけできる方も増えてくる。

法事はもともとグリーフケア(悲嘆の癒し)の役割も担っていたように思います。法事を通して「ここでは安心して大切な方のことを話してもよい」という場に育てていきたいです。参列者によっては、気持ちを口に出され、自分の言葉を聞くことによって、ご自身が思いもしなかった気づきに出会われる方もいらっしゃると思います。

そして、淨音寺では、新宿という地域特性を活かし、夜間の法事にも積極的に取り組もうとしている。

大切な方を亡くされたことを縁として、お一人であってもお参りしたい方もいらっしゃいます。そのせっかくのお声を大事にし、仕事をお持ちの方がとても多い地域でもありますので、ご希望に合わせて夜間でもご法事をお勤めさせていただきたいと考えております。

悩みに溢れる新宿で、よろず相談できる駆け込み寺になりたい

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新宿駅は乗降客数が日本一。見方を変えれば人々の悩みが集積されている場所とも言える。髙山さんは悩みが堆積した新宿にあるお寺だからこそ、できることがあると考えている。

あらゆる悩みの受け皿にはなりきれませんが、新宿という地だからこそ、ともに悩む人がいるよ、安心して話せる場所があるよ、仏教にはこういう考え方があるよと、伝えたいと思っています。ひとりで悩みを抱えている方が、お寺にお越しいただければ私も一緒に悩みます。ご縁をいただければ、その結ばれたご縁をどこまでも大事にしていきたいです。

即効性を求める声や、それに応えようとする手段に溢れた時代や地域だからこそ、ゆっくり相手の話に聞き入ることを大切にしたいと髙山さんは言う。

現代においても、かつての駆け込み寺のように、よろず相談できる窓口としてお寺が果たせる役割があると感じます。実際に悩みを家庭や職場では言えない、カウンセリングに行くのもハードルが高いという声を耳にします。そんな中で、本堂の温かな空間でしがらみのない僧侶を相手にすると、気持ちを話しやすくなるようです。思わず出たご自身の言葉によって自らの内面を知る方もいらっしゃいます。安心して話せる場をお寺でつくっていきたいと思います。

「ここに行けば話を聞いてくれる」という場を目指す髙山さんには、「実は自分も駄目なのだ」という思いがある。従って、自分自身だけで悩み解決しようという気持ちは全くないと言う。

ご縁をいただいた方には、精一杯尽力します。私が答えられることは答えますが、答えられないことは答えられません。淨音寺が結んできたご縁によって、その分野に長けている方や適切と考えられる公共機関の窓口とお繋ぎしたいと思います。とりあえず淨音寺に行けば話を聞いてくれる、と安心していただけるように努力します。

髙山さんには、淨音寺が命を考える場として発展していきたいという願いがある。淨音寺では死にまつわる様々なワークショップを開催したり、お寺でのヨガでも髙山さんが必ず法話をするようにし、命というテーマを通して自らに向き合う場づくりを重視している。
最近は「お寺の本堂で話をするとホッとするね」「お寺は何か安心するね」という言葉を何度も耳にするようになった。お寺という場が本来的に持つ、自らと向き合うことで生きる活力を人々に取り戻させていく力を、髙山さんは感じている。
淨音寺が人々の悩みを受け止めることを重ねていく先に、よろず相談できる現代の駆け込み寺として、「新宿に淨音寺あり」と言われる日が待っているのかもしれない。

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お寺画像
東京都新宿区
髙龍山 淨音寺
都心で追悼の気持ちに寄り添うお寺

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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