【特別編】「書」を通して「縁」を表現 – 書デザイナー・寧月さんインタビュー(後編)

2016.12.02

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『まいてら新聞』の連載、『お坊さんと味わう「ことば」の世界』にご協力いただいている書デザイナー・寧月さんのインタビュー、後編です。なぜ寧月さんは「アーティスト」ではなく「デザイナー」なのか? 「百字文」とは? 書道と仏道の根本的な共通点って? などなど……。前編以上にディープな内容となっております。仏教に関心のある方なら、きっと、寧月さんのことばに、なにか大切なことをお感じいただけるのではないでしょうか。どうぞ最後までじっくりとおたのしみくださいませ!

前編はコチラ http://mytera.jp/paper/kotoba_special_neigetsu1/

寧月(ねいげつ)

1982年生まれ。東京大学教育学部卒業。“「和」はモダンである”をコンセプトに、現代に生きる人々の生活にfitする書作品を創作。旅館やカフェ、お寺などに提供している。大田区池上にて、古民家書塾花紅を運営中。泥んこ遊びが大好きな二児の母。

寧月 Official Website

「アーティスト」ではなく「デザイナー」

――寧月さんのお話には、「自分自身を探究していく」とか、「心をやすらかにしていく」とかいう表現が、ごくごく自然な流れで出てきますよね。書道には仏道と重なる部分が多くあるんだなあ、と、あらためて驚いています。今回、寧月さんには、「お坊さんと味わうことばの世界」という連載で書を担当していただいておりますが、ご自身は、以前から仏教とのご縁は深かったのですか?

いえいえ、池上本門寺の近くに住んでいるというぐらいで、仏教を専門的に学んだことはまったくなくて。仏教知識も、恥ずかしながら、ほとんどないですし。でも、寺子屋ブッダさんの「まちのお寺の学校NAVI」というウェブサイトの立ち上げに、ご縁があって関わらせていただいたりとか、近年は、お寺さんに依頼されて、書を何点か書かせていただいたりとか、ゆるくではあるけれど、仏教の周辺でお仕事をさせていただく機会はありましたね。あと、大学時代から仲良くしていただいている井出悦郎先輩が、この『まいてら』を運営する「お寺の未来」という法人を立ち上げられたりとか。仏縁と言えば、まあ、そのぐらいですかね。

――うーん……。それって、すべて、かなりの太さの仏縁だと思うのですが。その影響もあるのかな、寧月さんの作品の根底には、仏教に通じる精神が滔々と流れているように感じられるんです。今回の連載、「お坊さんと味わうことばの世界」には、現段階で二つの作品をご提供いただいていますけれど、これに限らず、寧月さんは、作品を生み出されるとき、どういったことをお感じになられながら書かれていらっしゃるのでしょうか。

そうですね……。大元のところからお話しをさせていただくと、私自身、自分をアーティストだとは思っていないんですね。アーティストっていうのは、もっと、こう、心の底から「書きたい!」っていうパッションに突き動かされて創作をするような人たちのことだと思っていて。でも、私って、正直なところ、自分から湧き上がるものがなにもないんですよ(笑)。「どうしてもこれを表現したい!」っていうような思いがぜんぜんなくて。でも、クライアントさんを前にしたときに、その方の心を読み取って、かたちにすることは好きだし、割と得意なのかなって。

――ああ、だから肩書きが「書デザイナー」なんですね!

そうなんです。私のやっていることはアートじゃなくてデザイン。私自身はアーティストじゃなくてデザイナー。そういう意識があって。いつだって相手ありきで、その方の表現したいことに、できるだけ寄り添った作品を書いていきたいと思っています。それに合わせて筆を変えたり、書体を変えたり……。根本的なことを言うと、私、もともと生き方がそちら寄りなんですね。「私はこう考えます」とはっきり主張するタイプというよりは、「あなたの考えを聞かせてください」というタイプの人間なんですよ。だから創作をするときも、おのずとそういうかたちになっていくんでしょうね。

座右の銘は「友思うゆえに我あり」?

――「縁」の中で生まれてくるものを大切にしていく、というスタイルなんですね。ご自身の生き方も、作品づくりも。

そうそう! 他者がいてこそ自分がいるっていう感覚は、根底にいつだってありますね。私、「我思うゆえに我あり」っていうことばは、自分には一生理解できないと思っているんですよ(笑)。でも、「友思うゆえに我あり」だったら、すんなりと理解できるな、って。私は、自分で自分を信じることはできないけれど、私の信じる友達が私を信じてくれるのであれば、私は自分を信じることができますっていう……。ほんとうにそういう感じで生きているんです。周りの人たちが自分を信じてくれる、そのことを通して自分を信じられるんだったら、それでいいじゃない、って思っていて。実際、そういう風にして、ここ数年生きているから。ぜんぜん自分を信じられなくなった時期もあったけれど、友達が信じてくれたことで、支えられて、私はいま、これだけたのしく生きさせてもらっているんだなあ、って。「友思うゆえに我あり」。これはすごく私らしいことばだなって、自分で思っています。

――お話をうかがえばうかがうほど、寧月さんって、やっぱり、ものすごく仏教的な方だなあ、と……。そういったお心でデザインされる書は、ほんとうにしあわせですね。

いえいえ、私もまだまだ勉強中です。でも、今回の「お坊さんと味わうことばの世界」のお仕事をいただけたことは、私としてもほんとうにありがたいな、と思っているんですよ。今回のお仕事って、「ことば」を書くのがメインでしょう。やっぱり、ことばを書くっていうことが書道なんだなあ、っていうのを、いま、あらためて感じているんです。ことばってすごく崇高なもの。それを表現していくのが書道の本質なんじゃないかって。私も、いままでは、結構、前衛的なアートみたいなものを書いてきたところもあるんです。でも、それは、寧月の創作第一段階だったのかなと思うんですね。これから寧月の創作第二段階が始まっていきそうだなって、そんな予感があって。

――第二段階ですか。

今後は、もっとことばの意味に重きを置いた作品を書いていけたらなって。仏教のことばに限らずに、本の中のことばとか、なにか自分がいいな、と思ったものを自分の文字にして、まずは寧月のサイト上でメッセージを付けて紹介していけたらいいな、と。これからは、もっと「書道」と「ことば」を結びつけたような作品を書いていきたいと思っています。

パンケーキのおいしいカフェ、uzna omom b oneで行われた百字文個展の様子
パンケーキのおいしいカフェ、uzna omom b oneで行われた百字文個展の様子

「百字文」を世界へ!

――作品を拝見するのがたのしみです! どんどん活躍の場が広がっていきますね。これ以外にも、なにか、寧月さんの今後の活動の展望はありますか?

いつか、のんびりとですが、「百字文(ひゃくじもん)」を広めていけたらいいな、と。もともと書道の世界には「千字文(せんじもん)」という古典テキストがあるんですね。6世紀に中国で作られたもので、千のすべて異なる漢字からできた漢詩なんですよ。皇帝が作らせて、日本でも、皇族から庶民まで、みんながそれを見ながら字を書いて漢字を覚えたっていうものなんですね。これ、内容もすごく素敵なんです。家族を敬うことの大切さとか、儒教的な内容がずらっと書いてあるんですけれど、私はそれをすごく気に入って。いまでも初めて千字書き切ったときの感動は忘れられないです。ただ、字も内容も難解で、平成の世を生きる書道初心者にはハードルが高すぎるんじゃないか、と思って。それで、一昨年ぐらいに、千字文の思想を受け継ぎつつ、いまを生きる私たちに近い内容の「百字文」を自分で作ったんですね。

――オリジナルで? すごいですね!

ただ、私には漢文の基礎教養がまったく足りなかったので、中国の友人に見てもらって、体裁を整えて、ちゃんと意味が通じる漢詩にして……。その「百字文」を使って、今年3月に個展を開いたんですね。そうしたらそこからご縁がつながって、いま、少しずつ海外に「百字文」が広まっていっているんです。イスラエルやハンガリーの方々が、実際に「百字文」を使って書道をしてくださっているんですよ。「百字文」を勉強すると漢字も覚えられるし、日本や東洋の思想も勉強できるし、ほんとうにありがたいです、みたいなことを言ってくださって。遠く離れた海外で、外国の方々が「百字文」を使って書道をたのしまれていて……。その様子を撮影した写真を見ただけで、私は、もう、涙が止まらなくて。(参考:http://neigetsu.jp/ja/archives/1842

――大変なことが起こっていますね。

ほんとうに。だから、私も、将来的に「百字文」をテキストとしてしっかりしたものにしていかなきゃな、って。いつか楷行草隷篆を揃えて、「五体百字文」を作って伝えていきたいと思っています。ただ、そのためには、私自身がもっともっと練習を積んでいかないといけない。それが私の人生のひとつのタスクですね。ライフワークとして、時間をかけてやっていきたいな、と。

イスラエルで行われた百字文ワークショップの様子
イスラエルで行われた百字文ワークショップの様子

書道は人間と宇宙をつなぐツール

――素晴らしいです。どうか頑張ってくださいね。応援します! それにしても、「書」の心は、万国共通なんですね。なんだか感動してしまいます。

書道っていうのは、人間存在の根本に迫っていく営みでもあるから。書道を無心になってやっていくと、宇宙と自分が分かちがたく結ばれているような感覚が、理屈を超えたところからやってくるんですよ。でも、これは決して特別な感覚じゃなくて、5時間ぐらい続けて書道をやっていたら、たぶん、誰でもこの感覚は味わえると思う。最初の1時間ぐらいまでは、「今日の夕飯何にしよう」とか、「さっきの人、腹立つなあ」とかね(笑)、そういう日常的ないろんな考えが浮かんでくるんだけれど、続けていると、だんだんそれが消えてくるんですよ。水を流すようにひたすら書いていると、なんていうのかな、自分が「もの」のようになってくるんですよね。ひとつの独立した生命体というよりは、なにか河の流れというか、大地そのものであるような感覚になってくる。

――すごい……。

大げさでもなんでもなく、我は宇宙であり、宇宙は我である、みたいな。「千字文」も、「天地玄黄」「宇宙洪荒」という漢詩から始まるんですよ。天地は黒く、黄色く、宇宙は混とんとしていて……というような描写が最初にあるんですね。宇宙と人間とをどう統合していくのかっていうのを探究していく、そのプロセスが描かれていて。そういう意味で、書道と仏道って、すごく近いのかな、と思うんです。書道の古典のほとんどは仏教につながる内容だから、書くうちに、自然と、お釈迦さまがおっしゃったようなことを体感している面はあるんだろうなって。仏教の行にも写経がありますけれど、あれはすごく良いと思いますね。でも、どうせなら、5時間以上……少なくとも3時間は書き続けて欲しいです(笑)。もちろん、トイレ休憩や水分補給を入れつつ、ですけれど。そうすれば、どんな人でも、きっとなにかさとるものはあると思うので。字はどんなに下手でもいいんです。とにかく、書くこと自体にたのしみやよころびはあるので、そこを味わっていただければ。

――うーん。最後、なにかものすごいことをお聞きしてしまった気がするんですけれど……(笑)。いや、ほんとうに、ありがたいお話でした。今後のご活躍がますますたのしみです! 本日はありがとうございました。

そんな寧月さんの書をたのしめる「お坊さんと味わうことばの世界」。連載はこれからも続きます。引き続き、応援、どうぞよろしくお願いいたします。

◆『お坊さんと味わう「ことば」の世界』は、毎回、現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただく連載です。これまでに6名のお坊さんにご登場いただいております。十人十色の「ことばの世界」、ぜひ、じっくり味わってくださいませ!
http://mytera.jp/column/kotoba/

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小出遥子

小出遥子

1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。

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