如蓮華在水 ‐ 妙恩寺 住職 山澤英伸さん(静岡県浜松市東区)

2016.10.04

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kotoba.yamazawa

書:山澤英伸

 

現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただくこの連載。第6回目にご登場くださったのは、静岡県浜松市の日蓮宗・妙恩寺住職の山澤英伸さんです。

山澤さんが選ばれたのは「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」ということば。蓮は水の中にしか咲きません。「水」というのは、いま、私たちが生きるこの現実の世界のメタファーです。ならば、私たちがするべきは……。

連日のように心が暗くなってしまうようなニュースが飛び込んでくる現代。しかし、まずはこの世のあり様をしっかりと認め切ってしまわないと、理想の世界の萌芽を見出すこともできないのでしょう。大変示唆に富んだお話です。

山澤さんご本人の手による、アーティスティックな「書」とともに味わってくださいませ。

蓮を浮かべる「水」に注目して……

山澤 英伸 (やまざわ えいしん)

一般大学卒業後に仏門に入る。身延山僧道実修を経て日蓮宗布教研修所、荒行堂の修行を修める。布教専修師(言説)・修法師(祈祷)・声明師(法要)の資格を持ち、多種の布教方法を修得している。妙恩寺五十五世住職

「如蓮華在水」とは『法華経』の中に出てくることばです。直訳すれば「水の中に在る蓮の花のごとく」という意味になります。このことばを聞いて、みなさんは、どのようなイメージをお持ちになるでしょうか? おそらく、うつくしい蓮の花の姿を中央に置いた、一枚の写真のような光景を思い浮かべられた方が多いことでしょう。しかし、今回は、どちらかと言えば、その蓮の花を浮かべる「水」の方に注目して、この五文字のことばを味わってみたいと思います。

都合の良いところと悪いところとが混じり合っているのが「世界」

ひとくちに「水」と言っても、そこに定まった特性があるわけではありません。澄んだ水もあれば、濁った水もある。丸い器に注げば丸くなるし、四角い器に注げば四角くなる。やわらかな触感を手の平に伝えてくれるかと思えば、岩をも押し流してしまうほどの力強さをも持っている……。

つまり、私たちにとって都合の良い側面と、そうでない側面とが混じり合って同居している、ということですね。これは、そのまま、私たちがいま生きる、この現実の世界と同じであるということができるのではないでしょうか。

浄土は、この世を離れたところには出現しない

かならずしも綺麗なものばかりで溢れているわけではないこの世界のあり様を、理想論に逃げることなく、とにかくまっすぐに見つめることが大切なのだ、と日蓮宗では教えます。私たちが生きる場所は、まさしく「ここ」以外にはないのだ、と。その事実を完全に受けいれたときに、はじめて、まったく同じこの場所に、蓮の花咲くうつくしい浄土が出現する機縁が訪れてくれるということです。

蓮は、水の中にしか咲きません。浄土は、この世を離れたところには、決してあらわれてはくれないのです。どんなにこの世が汚濁にまみれた嫌な場所に思えたとしても、事実、私たちは「ここ」に生きています。生きている、ということは、生かされている、ということです。この場所に養分を与えられて、私たちは、いま、このいのちを生きているのです。

事実を事実としてはっきり認めたときに、うつくしい蓮の萌芽が見えてきます。「如蓮華在水」の五文字を胸に、地に足を付けたところから、この世を浄土に変えていきましょう。

お寺画像
静岡県浜松市東区
長光山 妙恩寺
徳川家康公ゆかりの日蓮宗寺院

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小出遥子

小出遥子

1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。

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