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【阿純章さん(僧侶)の“いのち”観/前編】 – 「わからない」からこそ「問い続ける」 –

2018.07.20

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僧俗問わず、各ジャンルで活躍されている多彩な方々に、ご自身の“いのち”観をまっすぐにお聞きしていくこの連載。今回ご登場いただいたのは、天台宗僧侶の阿純章さん。「死」の世界を問う前に、「生」の世界の存在自体を疑わなくてはいけないのではないでしょうか? と、かなり深いところから誠実に問い直してくださいました。前編、後編に分けてお届けします。

阿純章(おか・じゅんしょう)

天台宗圓融寺住職/円融寺幼稚園園長 1969年東京都生まれ。早稲田大学、同大学院にて中国仏教を研究。北京大学に中国政府奨学金留学生として留学。帰国後、大学講師を経て、現在はお寺での活動を中心に、誰でも気軽に集える坐禅会をはじめ、子どもから大人まで仏教に親しめる各種イベント、セミナーを開催。仏教伝道協会、朝日カルチャーセンター、早稲田エクステンションセンターで講師も勤める。著書に『迷子のすすめ』(春秋社)。

私たち、ほんとうに生きているの?

−−単刀直入にお聞きします。人は死んだらどうなると思いますか?

その質問に対するお答えになるかどうかはわかりませんが、私、「死」という現象について考えるときにいつも思うことがあるんですよ。「死ってなんだろう?」とか、「死んだらどうなるんだろう?」とか、「死後の世界はあるのか?」とか、いろいろありますけれど、そういうのって、すべて、私たちが「生」の世界にいる、ということを前提にした問いですよね。「死」の対極に「生」があって、その世界に、私たちは生きている、と。でも、それってほんとうなのかな? 私たちって、ほんとうに生きているのかな? それは絶対にわからないことなんじゃないのかな? って。

−−なるほど。確かにそうですね……。

バートランド・ラッセルというイギリスの学者が「世界五分前仮説」という面白い論を提唱しています。もし、五分前に世界が生まれたとして、それを誰も反証することができないだろう、っていう。まあ、一分前でも、一秒前でもいいんですけれど。過去があったということって、決して証明できないんですよね。もちろん未来も同じです。その存在を証明することはできない。となると、いま、この瞬間に自分が生きていることすら証明できなくなってきて、そうなるとなおさら死んだあとのことなんかわからないだろう、と。……すみません、随分ひねくれた見解を語ってしまいました(笑)。

なんだ、迷子でいてもいいんだ!

−−確かに、そういう風に大前提から解体していくと、最後にはなにも言えなくなってしまいますよね。

はい。結局、「なにもわからない」というのが結論になってしまうんです。でも、だからと言って、「わからない」という答えを提出して終わりというわけにはいかないのが難しいところなんですけれど(笑)。「わからない」。だからこそ「問い続ける」。そうやって未知の世界を冒険していくというか……。

−−「未知」を「既知」に変えていくのではなく、「未知」を「未知」のままに、その世界を冒険していく、と。阿さんは『迷子のすすめ』(春秋社)というタイトルの本も出されていますね。

「なんだ、迷子でいてもいいんだ!」っていう、自分自身の発見をタイトルにしたんです(笑)。無理に答えを出すことはない、迷いながらも、自分なりに進んでいこう、って。

−−問い続けるって、ある意味ハードな道ですけれど、そこにしか「答え」はないのですよね……。それが仏教者のあるべき姿勢なのかもしれない。なんだか励まされる思いがします。……と、長くなってしまったので、続きは後編でお伺いします!

後編を読む

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小出遥子

小出遥子

1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。

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