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【小笠原和葉さん(ボディーワーカー)の“いのち”観】 – 「生」と「死」の境目はごくごくあいまいなもの –

2017.04.24

僧俗問わず、各ジャンルで活躍されている多彩な方々に、ご自身の“いのち”観をまっすぐにお聞きしていくこの連載。今回ご登場いただくのは、ボディーワーカーの小笠原和葉さんです。ボディーワークとは、こころとからだをひとつのつながったものとして考え、からだに働きかけることによって、心身を調整していくセラピー等を総称したことば。これからの時代、とてつもなく大きな役割を担っていくであろうその分野で大活躍されている小笠原さんですが、お仕事の一環で人体の解剖実習にご参加されたことから、ご自身の“いのち”観が思いっきり転換してしまったとのこと。現代日本に生きる私たちが、普段、いかに文化的なフィルターを通して「生」や「死」を見ているのか……。そのことにはっと気づかせてくれるような、そんな貴重なお話をお聞かせくださいました。どうぞ最後までじっくりとお読みくださいませ。

小笠原和葉(おがさわら・かずは)

ボディーワーカー/意識・感情システム研究家。 東海大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻課程修了。 学生時代から悩まされていたアトピーをヨガで克服したことをきっかけに、ココロとカラダの研究をはじめ、エンジニアからボディーワーカーに転身。施術と並行して意識やカラダを含んだその人の全体性を、一つのシステムとして捉え解決するメソッド「プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド(PBM)」を構築。海外からも受講者が訪れる人気講座となっている。 著書に『理系ボディーワーカーが教える“安心” システム感情片付け術』(日貿出版=刊)がある。

http://pbm-institute.jp

解剖実習に参加して「いのち観」に大きな変化が

――人は死んだらどうなると思いますか? どこへ行くと思いますか?

どうなるのかとか、どこへ行くのかとかはわからないというか、なかなか言語化はできないところなんですけれど……。ただ、最近、自分の中で、「生」と「死」を含めた「いのち」というものに対する感懐が大きく変わってしまったことは実感していますね。

――なにか特別なきっかけがあったのでしょうか?

今年の初めに、アメリカのアリゾナまで解剖実習を受けに行ったんです。冷凍されたご献体に、自分で直接メスを入れて、人間の身体の中をじっくり観察させていただくという……。5日間、朝から夕方まで立ちっぱなしで、そういう体験をみっちりとさせていただいて。

――それは強烈で刺激的な体験でしたね。

実習中はとにかく忙しくて、スケジュールをこなすことで精一杯だったんですけれど、日本に帰ってきたあとに、「ああ、いのちの感触が変わってしまったんだな」と強く思った出来事があって。具体的に言うと、新幹線の電光掲示板に流れてきたニュースで、ある会社の会長さんの訃報を目にしたんですね。そのときに、これまでの人生、いろんな人の訃報に触れてきたときに感じていたものとはまったく違う印象を持っている自分に気づいたんです。

――まったく違う印象?

うまくことばにできないんですけれど……。なんというか、死から先のイメージが、それまでのように、ぼんやりしたものではなくなっていたんですね。日本だと、人が亡くなったら、すぐに遺体を隠すじゃないですか。遺体は「見ちゃいけないもの/見せちゃいけないもの」みたいな扱いになっている。お葬式でも、遺体との対面は一瞬ですよね。しかも、医療従事者でもない限り、私たちの死の経験って、たいてい、すごく近しい人のものになるわけで、そこには強い悲しみというフィルターがかかっているんですよね。だから、生(なま)の、「死」という現象そのものをフラットに眺める機会って、実はほとんどないと言ってもよくて。

――確かにそうかもしれません。

ご献体との間にあたたかい交流の感覚があった

人間は、ある日生まれて、生きて生きて生きて生きて、そしてある日死ぬ。そこから先のことはよくわかりません、分厚いカーテンに覆われているので……というのが日本に住んでいる人の一般的な思いだと思うんですよ。「生」と「死」との間に明確な線引きがある。私自身、解剖実習に行く前はそんな印象を持っていました。でも、実習本番を迎えて、いざ、ご献体と対面してみたら、「生」と「死」の境なんて、ほんとうはごくあいまいで、ほんの薄皮一枚程度のものなのかもしれない……と思ったんです。というのは、ご献体との間に、なにか不思議な、あたたかい交流の感覚があって。

――へえ……!

社会的なつながりの中でしか感じられない種類のリラックスというのが、人間にはあるんですね。具体的に言うと、腹側、おなか側の迷走神経が活性しているときにそれを感じられるんです。ご献体と対面している間、それが、私にはずっと感じられていて。

――不思議ですね。相手はすでにお亡くなりになっているのに。

ねえ。だから「肉体は乗り物で、魂が旅立ったらただの抜け殻」みたいなことをよく言われるけれど、私にはまったくそうは思えなかったんですね。

――その方が、まだそこに「いる」感じがした?

そうですね。ご献体とはそれが初対面で、その方とは、もちろん、生前にお会いしたことはなかったんですけれど、いまこの瞬間、私たちは確実に交流しているな、って。どんなに細かく解剖されて、ほとんど原型をとどめないようなかたちになっても、その交流の感じというのは、途切れることなく、ずっとあったんですよね。

文化的な意味づけを取っ払ったところにほんとうの「生」と「死」がある

――「生」と「死」との間の境目が、どんどんあいまいになってきそうですね。

もちろん、一度「死」の側に行ってしまったら、「生」の側に戻ってくることはできないけれど、それでも、その境界はごくごく薄いものだったんだな、と思いましたね。生きている私と、死んでいるこの方と、いったいなにが違うんだろう。体液が動いているか止まっているか、違いがあるとしたら究極的にはそれだけじゃないか、みたいな。

――強い実感を伴ってそう思われたのですね……。それはものすごい体験をされましたね。死生観、ひいては人生観が変わってしまって当然かもしれない。

ほんとうに。そもそも人間の遺体を見ること自体あまりないことだし、ご献体は当然素っ裸だし、さらに、解剖実習とは言え、それを細かく切っていくなんて……。そういう、日常生活の中で「禁忌」とされていることを5日間、思いっきりやってしまったので。私たちが、いかに、普段、文化的な意味づけが過剰にされたフレームの中でしか、「生」や「死」に触れていないか、そのことを強く実感しました。むき出しの「死」と向き合うということは、そのまま、倫理観というか、死生観、人生観が根底から問い直されるような体験でしたね。

――小笠原さん、貴重なお話をありがとうございました。

※こちらの連載はTemple Webとの連動企画です。「小笠原和葉さんとの対話/科学とスピリチュアルのはざまから見たいのちの話」もあわせておたのしみくださいませ!

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