わたしの “いのち”観

死を想って生きること

【小竹めぐみさん(保育士起業家)の“いのち”観】 – 「死」とは……? まだ、“わからない ” ままでいい –

2017.05.28

シェアする

  • Facebook
  • Twitter
  • Google+
  • はてなブックマーク
  • Pocket

僧俗問わず、各ジャンルで活躍されている多彩な方々に、ご自身の“いのち”観をまっすぐにお聞きしていくこの連載。今回ご登場いただくのは、保育士企業家として活躍される小竹めぐみさん。パートナーの小笠原舞さんとともに、「こども×◯◯」を軸としたコラボ事業(多様な分野の企業との共同事業)をメインに、この時代にこそ必要なモノ・コト・ヒトを生み出し、こどもや家族がより良く生きられる環境づくりを続けています。そのほかにも、自主事業として、こどもと大人が同時に主役となって育ち合う「おやこ保育園」や、園舎を持たないインターネット保育園「ほうかご保育園」などのユニークな事業活動を通して、総じて「こどもたちにとって本当にいい未来」を探求し続けている、大変素敵な方です。こどもたちはいつだって「いま」を生きていますが、小竹さんご自身も、まさしく「いまを生きる人」。小竹さんの「死生観」は、まさしくそんな彼女ならではの視点から語られました。いま、いのちが与えられていることのかけがえのなさにハッと気づかせてもらえるようなお話です。どうぞじっくりとお読みくださいませ。

小竹めぐみ(こたけ・めぐみ)

1982年生まれ。合同会社こどもみらい探求社共同代表。NPO法人オトナノセナカ創設者。 保育士をする傍ら、家族の多様性を学ぶため世界の家々を巡る女1人旅を重ねる。 特に砂漠とアマゾン川の暮らしに活動のヒントを得て、2006年より、講演会等を通して【違いこそがギフトである】と発信を始める。 幼稚園・保育園などで勤務した後、現合同会社こどもみらい探求社共同代表・小笠原舞との出会いから、こどもがよりよく育つための“環境づくり”を生業にしようと決意し、独立。 多様な分野の企業・地域とのコラボレーションを重ねながら「そのまんま大きくなってね」と、こどもたちに言える社会の土壌をつくり続けている。人の持つ凸凹を大切にしながら、日々の変化を楽しみに暮らしている。

考えの世界に閉じこもるより、いま吹いている風の心地よさを感じていたい

――人は死んだらどうなると思いますか? どこか、向かう場所があると思いますか?

うーん……。正直、「わからない」ですね。というか、そういったことを考えることに「興味がない」というのが、私にとって、いちばん誠実な答えになりますかね。

――「興味がない」ですか。

これまでの人生、そういったことに興味を持っていた時期もありました。でも、いまの私は、そこを考えることにまったくわくわくしないんですね。頭の中でそれに関する考えをめぐらせているよりは、この瞬間に吹いている風の心地よさに気づいていたいと思ってしまいます(笑)。

――なるほど。大事なことですよね。

こういったことって、いくら考えたところで答えが出るものではないですからね。死んでしまったら、いま感じているのと同じようには、目の前の食べ物のおいしさとか、好きな人のぬくもりとかを感じられなくなってしまうんだろうな、は思いますけれど。「死んだらどうなると思いますか」という質問に回答しようとすると、どうしてもこういう答え方になってしまいますね。

「死」という現象を評価することはできない

――確かに、「こうなるんです」と答えられるものではないのかもしれませんね。生きている限り、「死」は、自分では決して体験できないものなので。

そうですね。それに、「こうなるんじゃないですかね?」と言うことすらできないですよね、ほんとうは。だって、わからないから。でも、死ぬときには確実にわかると思うので(笑)。わかるときにはわかるし、わからない世界を見ようとしても……という考えです。

――小竹さんは、「死」を怖いものだとは思いませんか?

怖い、怖くない以前に、「死」という現象自体を評価できるものだと思っていません。かたちを持って生まれたものは、いずれそのかたちを失う。それは、逃れようのないこと。そして、人間の選択の範囲外のことですからね。死ぬこと、終わることは、自分でコントロールできる領域ではない気がするので。

「生きていたい」という気持ちのベースにあるものを大切に

――そこに良いも悪いもない、と。

もちろん、近しい人を亡くしたことにショックを受けたり、悲しみを感じたりすることはあるんですけど、「死」それ自体をネガティブなものとして見てはいないですね。自然の摂理の中で起こることなので。ひとりの人が、生まれて、生きて、人生を終えていった、以上。……というか。どんな人生もそれでひとつのかたちとして完結している。そこに点数なんか付けられないし、付ける必要もないんじゃないかな、と思っています。

――おっしゃる通りですね。では、ご自身の「死」、ひいては「生」については、どのように感じていらっしゃいますか?

私としては、単純に「生きる」ということが好きです。「生きている」というのはほんとうにすごいことだな、と日々感じながら暮らしています。だから、いまは、シンプルに「生きていたい」という気持ちがありますね。でも、生きていればなんでもいいのかと聞かれると、決してそうとは言えなくて。いま、この人と一緒にいたいとか、いま、これをおいしく食べたいとか、そういう風に、「生きていたい」という気持ちのベースには、かならず、いまの自分の暮らしの要素のひとつひとつがある。そこを大切に感じていきたいと思っています。

――小竹さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

※こちらの連載はTemple Webとの連動企画です。「小竹めぐみさんとの対話/いのちは凸凹(でこぼこ)だからこそ愛おしい」もあわせておたのしみくださいませ!

シェアする

  • Facebook
  • Twitter
  • Google+
  • はてなブックマーク
  • Pocket
小出遥子

小出遥子

1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。

facebook twitter Homepage

他にこのような記事も読まれています

お寺さがし

お寺でできること、色々あります。 あなたの目的にあったお寺を見つけよう

TOPへ戻る