わたしの “いのち”観

死を想って生きること

【星野文紘さん(山伏)の“いのち観”】 – 「生」も「死」も日常の中にある –

2017.06.29

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僧俗問わず、各ジャンルで活躍されている多彩な方々に、ご自身の“いのち”観をまっすぐにお聞きしていくこの連載。第六回目となる今回ご登場いただいたのは、羽黒修験の山伏でいらっしゃる星野文紘さん。長年の厳しい山岳修行によって形成された揺るぎのない「いのち観」は、意外にも(?)非常に素朴で、あたたかみの感じられるものでした。私は、この星野さんのお話の中に、日本人の「いのち観」の原点を見るような気がしています。じっくりとお読みいただけますとさいわいです。

星野文紘(ほしの・ふみひろ)

羽黒山伏。山伏名:尚文。 1600年代からつづく山形県出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の宿坊「大聖坊」の三男として、1946年に生まれる。 2007年、出羽三山の最高の修行である「冬の峰百日行」の松聖をつとめ、 2008年より「松例祭」の羽黒権現役である所司前をつとめる。 出羽三山神社責任役員理事。出羽三山祝部総代。 出羽三山や全国の修験の山でも山伏修行を実施。 全国各地で山伏の知恵を活かすべく生き方のトーク活動を「羽黒山伏の辻説法」として展開している。 著書に『感じるままに生きなさい―山伏の流儀』(さくら舎)がある。

人間は肉体のいのちと魂のいのちを持っている

――人は死んだらどうなると思いますか? 死後、どこか向かう場所があると思いますか?

まず、ひとつ押さえておきたいのは、人間は、肉体と魂、そのふたつのいのちを持っているというところだね。その上で言うと、肉体は死んだら土に還るし、魂は山におさまるだろうな。

――山というのは?

その土地ごとに、「葉山」だとか、「羽山」だとか、あるいは「端山」だとか、「里山」だとか呼ばれている山があるだろう? ああいう山だね。死んだ人の魂は、まずはそういった山に33年間おさまるんだ。そうして、33年経って、生きている間に犯した過ちが浄化されたら、今度は、たとえば富士山だとか、まあ、俺の住んでいる山形で言えば、月山だとか、鳥海山だとかの高い山に、神さまとなっておさまるんだな。

――神さまとなって。

そうして春になったら自分の家の田んぼに降りてきて、「田の神」として、収穫の時期まで見守ってくれるんだ。冬になったら、また山に戻って行く。それを毎年繰り返していくんだ。

――いまお話しいただいているのは、修験道で伝えられている考え方でしょうか?

修験道というか、もっと素朴な山岳信仰の考え方だろうな。でも、俺自身、これはほんとうのことだと感じているよ。知識なんか関係ないよ。自分が感じたことがそのまま正解なんだ。

死は日常の流れの中にある

――星野さんご自身は、死を怖いものだとは思いませんか?

それはまったく思わないね。だって、死なんかぜんぜん特別なことじゃないもの。生きることもそうだが、死も日常の流れの中にあるんだよ。そうだろう?

――詳しくお聞かせいただけますか?

人間のいのちっていうのはさ、やっぱり、食べることとともにあると思うんだよ。食べものがいのちの元になっている。だから、人間、食べられなくなったら死ぬしかないんだよ。

――肉体を維持するのに、食べるという行為は必須ですものね。

そう。単純な話なんだよ。食べることというのは日常生活のいちばんの基本だろう? 食べて、生をつないでいく。そういう意味で、生きることも死ぬことも日常なんだ。食べているうちは死なない。食べられなくなったら死ぬ。なにも特別な話じゃない。それを変に複雑に捉えてしまうから、天寿をまっとうする前に自らいのちを絶つ人たちが出てきてしまうんじゃないかなあ。俺はそう思うね。

死に向かう人々への緩和ケアを

――ご自身の死に対するビジョンのようなものはありますか?

俺は山伏だからさ、山伏として生きて、山伏として死んでいきたいね。だから、最後の瞬間は、いつも通り、法螺貝をバァーーーッと吹いて終わりたいと思っているよ。それが望みだね。

――あくまで、日常の中で最後を迎えたい、と……。

あと、これは俺の死の話じゃないけれど、いまやりたいと思っているのは、死を迎えつつある人たちの緩和ケアだね。

――緩和ケアですか。

そう。いまはその役割をお医者さんや看護師さんたちが引き受けているけれど、本来、俺たちみたいなのがやるべきことだと思うんだよね。具体的には、まず、じっくり話を聞いてあげることだね。これは大事なことだと思うよ。そのときにはさ、俺の死生観や宗教観なんか話さなくていいの。これから死ぬ人に、「あんたは死んで山におさまるんだよ」なんて言っても仕方ないからさ。ただ寄り添って、話を聞いてあげること。

――なるほど。

話していく中でさ、太古からいままで、数えきれないぐらいの人が亡くなったんだから、まあ、自分もきっと大丈夫なんだろうな、特別なことでもないんだろうな、ぐらい思ってもらえればいいんじゃないかってね。俺ももう70過ぎて、いつまでも山を駆けずり回っているわけにも行かなくなってきたから、これから少しずつそういう活動をはじめたいと思っているよ。

――星野さん、貴重なお話をありがとうございました。

こちらの連載はTemple Webとの連動企画です。「星野文紘さんとの対話/いのちは「感じる」こととともにある」もあわせておたのしみくださいませ!

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小出遥子

小出遥子

1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。

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