はたらくお坊さんにインタビュー

坊主めくり、アゲイン 〜二足のわらじ編〜

クリエイティブなことほど他力的? イラストレーター×お坊さん – 瑞泉寺 住職 中川龍学さん(京都市中京区)

2017.01.12

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中川龍学さんは、イラストレーターと僧侶という二足のわらじを履くお坊さん。近年は、新聞や雑誌の連載小説の挿絵、小説の装画、絵本なども多数手がけておられます。どんな世界でもふっと気持ちになじむ絵で表現して、忘れがたい印象をさりげなく残していく、中川さん作品のファンだというお坊さんも少なくありません。

中川さんとお話していると、絵の話がいつしか仏さまの話につながったり、仏教の思想とクリエイティブな仕事に共通するポイントが見えたり。「なーんだ、絵も仏さまも、別々のことじゃないんだ」と、ぱあっと視野がひらく感じがしてきます。広告業界を経験し、絵を描きながら、僧侶として仏教してきた中川さんの見ている世界が垣間見えるとほんとワクワクするんですよね。

もしかしたら、仏教に自分なりの職業観や人生観を仏教にクロスさせてみる方が、この世に生きる言葉で仏教を語り合えるんじゃないか――そんな仮説を立てて、この「二足のわらじ編」をはじめたきっかけも、実は中川さんとの出会いにあります。6年ぶり、もう3回目のインタビューですから、今回はちょっぴり深めにぐいぐい参ります! 
※1回目は2009年の『坊主めくり』、2回目は2011年『龍潭譚(りゅうたんだん)』プロジェクトにて

中川龍学(なかがわ・りゅうがく)

1966年生。仏教大学文学部にて『当麻曼荼羅』など仏教美術を学んだのち、1990年株式会社リクルート入社し、求人広告制作部のコピーライターに。1996年『アトリエこぼうず』を立ち上げて独立、お寺をアトリエに僧侶+イラストレーター生活をはじめる。2012年晋山、瑞泉寺22世住職に。ドイツの美術出版社TASCHEN発行の『ILLUSTRATION NOW!』に選出・掲載され、英国発の雑誌『MONOCLE』の表紙や挿画を手がけるなど、海外での評価も高い。近年は、『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ(汐文社)』のような絵本の一方で、『繪草子 龍潭譚(自費出版)』『絵本化鳥』『朱日記』(ともに国書刊行会)など、泉鏡花作品の絵本化や、京極夏彦『えほん遠野物語(汐文社)』など、怪異絵本も好んで作画している。近著は、立川志の輔著、お笑い絵本『しちふくじん』(岩崎書店)。

アトリエこぼうず

人間のどうしようもなさを戒めるお寺に生まれて

中川さんがご住職を務める慈舟山瑞泉寺は、京都の繁華街・三条木屋町を下ってすぐにあります。お昼間に木屋町を歩けば、開いた門の向こうに手入れの行き届いた明るい境内が広がるのに気がつくはず。でも、木屋町がにぎわう夜には、閉門しているお寺に気づかず通り過ぎる人も多いかもしれません。

夜の街・木屋町で、ひっそりと歴史を守ってきた瑞泉寺。

この地は、江戸時代までは鴨川の中州にあたり、1595年(文禄4年)には、太閤秀吉公の甥・関白秀次公の一族39名が公開処刑されるという凄惨な事件が起きた場所。御一族の遺骸を埋めた穴に築いた塚の上に、秀次公の御首を収めた「石櫃」が据えられた、と伝わります。瑞泉寺は、秀次公と御一族の菩提を弔うためにこの塚の跡に建てられたお寺。境内には、今も石櫃が奉安されています。

秀次公とご一族が葬られた当時の塚(『秀次公縁起』から瑞泉寺Webサイトより

現在、瑞泉寺境内にある秀次公のお墓。石櫃も奉安されています。

境内にはお寺の歴史を伝える資料を展示している休憩所もあります。

秀次公が切腹に至った理由には諸説があります。だけど、いかなる罪があったにせよ、まだ幼い4人の若君と1人の姫君、34人ものまだ若い側室が、むごたらしく殺されてもよいとする、どんな理由があったのでしょうか。中川さんはこの事件を「人間のおろかさが引き起こした悲劇だ」と言います。

このお寺は、人間のどうしようもない部分を戒めるためにある気がしています。だから、なんとしても、次の時代につなげていかなければいけないと思っています。ここにお寺が、このかたちで残り続けることがやっぱりすごく大事だと思うので。

中川さんは、お寺の跡継ぎとして小学校3年生のときに得度。高校2年生の春から本山・禅林寺(永観堂)で修行し、大学では仏教美術を学びました。子どもの頃から絵が好きで、マンガ家志望だったという中川さんでしたが、卒業後は株式会社リクルートに就職。求人広告制作部でコピーライターとして働くことになりました。

他のことは何もできなくても、絵だけは自信がありました。でも「他に何もできないから絵だけは自信がある」と思い込んでいる自分がイヤだったし、絵以外のことでまっとうに生きてみたかったんです。それに、サラリーマンでやっていけるならその方がいいとも思っていたんですよね、人間として。

逃げようとして逃げられなかった「絵」と「お寺」

リクルート時代は、休日も返上で働いて「身も心も疲れ果てた」という中川さん。一時は絵を描くことからも離れていましたが、「外部発注するより早いから」と自らのコピーに必要なイラストを描きはじめたそう。やがて、社内の同僚からイラストの依頼が増えたことに手応えを感じて、イラストレーターとして独立することに。ちょうど30歳のときでした。

イラストレーター「中川学」さんのWebサイト「kobouzu.net

絵以外にも、何か自分に取り柄があるだろうと思ったけど結局ダメだった。僕にとって絵とお寺は、逃げようと思っても逃げられなくてふたつ残っているものなんですよね。もう、この年齢になったら、阿弥陀さんに言われた役目だと理解してやっていかなきゃしょうがないなあと思っています。

ご住職になった今は、イラストの仕事は「以前の半分くらいにセーブしている」そう。それでもなお、「僕は、お坊さんとしては失格なまま」と中川さんは言います。ずいぶん厳しい自己評価のように思うのですが、なぜそう考えておられるのでしょう?

本来、すべての生産的な業務から身を引いたものが、お釈迦さまが認めたお坊さん。働いてもいけないし、結婚してもいけないんですね。常に俗を厭い真理を探究する者だと思う。お寺に生まれて、しょうがなしにお坊さんになっている僕らは、だから押し掛けお坊さんですよね。ところが、「そういうお坊さんもいていいですよ」と言ってくれるのが浄土仏教的な教えだと思うんです。阿弥陀さんが、「お前がやれ」と言ってくださっていると勝手に思って、お坊さんをやっているわけじゃないですか?

中川さんがこういうことを言うのを聞くたびに、私は「中川さん本当にお坊さんだなあ」思います。お坊さんとしての自らを問い続けるという姿勢こそが、お坊さんがお坊さんたるゆえんではないのかな、と。

絵とマンガ、広告と宗教の意外な関係

中川さんが触れられたように、「お釈迦さまの仏教」と日本で広まった浄土仏教は、かなりアプローチが異なります。仏教を学びはじめた頃は、中川さんも浄土仏教の教えに戸惑いを覚えることがあったようです。

お釈迦さまのように、瞑想をして、悟りを開いて大きなものとつながることはイメージできたんです。でも「南無阿弥陀佛とお念仏をしたら救われる」って物語じみているし、都合のいいこと言ってるなぁと思って(笑)。たぶん、今の人の多くが同じように思うんじゃないかな?

そんな中川さんが「あ、そっか。わかった!」と思えたのは、大学に入って宗学*を学ぶようになってからのこと(*宗派の教え。中川さんの場合は、西山上人証空にはじまる西山禅林寺派)。

うまく言えないんですけど、「自力じゃなくて他力だよ」というのは、「人間の驕慢みたいなものが、ホントのものを見えなくしちゃっている」ということを言っているんだとわかってきて……南無阿弥陀佛もあるんだろうな、と。

人間、かたちをともなわない“真実”を理解するのは難しいもの。「だからこそ便宜的にであっても阿弥陀佛に心を定めていくのが近道だと考えられたものではないか」と中川さんは考えたのです。この理解を裏打ちしたのはマンガを描いてきた経験でした。

マンガを描くときは、まずターゲットを設定して、そこに合わせて絵柄を考えます。同じように考えていくと、浄土宗はまずターゲットを庶民にセグメントしたわけですよね。貴族や武家ではなく、社会の一番下のランクにいる庶民に照準を合わせたときに、「文字も読めない人たちにどう伝えればいいのか」を考えてかたちづくられていった宗派だと考えると、すごく腑に落ちて。

さらに、広告の仕事をするなかで「広告の技法はキリスト教の宣教手法のみが独立してできたもの」という歴史を知った中川さん。「相手に何をどう伝えれば効果的か」を考えるという意味では、広告と宗教には共通点があることにも気がついたそう。

興味を持っていた絵とマンガ、そして広告が、僕の中にある小さな窓口でしたから、それらを手がかりに世の中を理解していくしかなかったんですね。広告を学んでいるときも「あ、これは仏教でいうところのあれのことか」と当てはめたり、仏教を学んでいるときには「広告技法でいうあれのことか」とか。自分なりに世の中をつかんでいったというか。みんな、そうしていることだと思うけど。

自分の興味や関心を手がかりに仏教を理解されてきたからこそ、中川さんが語る仏教の言葉には血が通っていて、温度や手触りのあるものとしてこちらに届いてくるのではないかと、私はいつも思っているのです。

イラストレーターの仕事は仏教的なものだと思う

なまめかしい女性、妖怪、もののけ、子どもたち。近年の中川さんの絵は、どんな絵からも仏さまの匂いがにじんでいるような気がします。中川さんは「それは杉本さんがそういう風に見るからじゃないですか?」と笑っておられましたが、やはり、イラストのお仕事をするうえでも、ご自身の世界観に仏教があることは大きいのではないでしょうか?


いずれも中川さんの絵だとわかる。でも、並べると「こんなに絵柄が違うのか」と驚きます。

泉鏡花「朱日記」より。静かに見ているとふっと動くような気配があります。

イラストレーションはあくまで発注仕事。絵を使って伝えなきゃいけないコトを伝えたい相手に届ける役割です。絵で「自分」を表現するのとは違う。どっちかっていうと「自分」は捨ててった方がいい絵になる。“民藝(民衆的工芸)”の芸術論に近いものだと思うんです。

民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦、河井寛次郎らが提唱した生活文化運動。無名の職人が日々繰り返す手仕事の中からたまたま生み出される、日常の道具や工芸品が持つ美しさに、東洋的な美のあり方を見出しました。その対極にあるのが、自己の確立を前提として「自分」を表現しようとする西洋的な美のあり方。中川さんは、自らの作品を東洋的なあり方に位置づけてもいます。

柳宗悦さんは、民藝運動の根底には念仏の世界観があると考えていて、『南無阿弥陀佛』という本も書いています。念仏は、「念仏をしたから悟りを開ける」というんじゃなくて、他力によってすでに救われていると気づく感動なんです。同じように美は自分で捻くり出すんじゃなくて、どっかからもたらされる。イラストレーションも役割に徹して夢中に描いてると自然と美しい絵になってるときがあって、そこが似てるような。無理やり「自分」を出そうとすると、とても見苦しいものになるように思います。

この本で、柳宗悦は、南無阿弥陀佛という六文字の発見を「人間が考えた宗教思想の一つの極致」と述べています。こんなにきらきらしたお念仏の本、他にありません。背景に置いたのは、中川さんの作品『龍潭譚』のある一頁。

そうは言っても、中川さんの絵には固有の画風があり、絵を見れば「あ、中川さんの絵だ」とわかります。それに、出版社や作家さんは「中川さんの絵がほしい」と考えて依頼されているのではないでしょうか。

そうですね。最近は無理なく描いているとあの絵になるんですよね。ただ、僕の絵にも幅があるし、「違う絵柄がほしい」と言われたらそれを出すと思います。お題に対して描ける絵柄を描いているだけで、「どの絵が一番好き」とかはないんです。「自分」は勝手にそこに乗ってきちゃうものなので。非常に浄土教的な仕事をしているなあと思うし、修行なんですよ、言ってみれば(笑)。

他力的に描くほうが絶対に面白い

「作品を創る」ことは、「自分の個性を表現する」こととイコールだと受けとめる人も多いのではないでしょうか。実際に、若いアーティストと話していると、「発注仕事は自分が出せないからイヤだ」なんて言われることも少なくありません。でも、中川さんは「自分を捨てていった方がいい絵になる」と言われました。もう少し詳しく「自分を捨てる」ことについて伺ってみましょう。

「お寺を掃除しているときに、いいアイデアを思いつくんですよねえ」と中川さん。

たとえば、最初に完璧な下書きを描いてそれをなぞっていっても、絶対にその下書き以上のものはできないんですよね。場面でも何でもいいからまず描いてみる。画面に現れたものを見ると次の一手がわかるんですよ。画面に現れてくるものを見て次の何かがひらめく。そうすると自分が驚くので、面白くなっていって、見たことない絵になっていきます。たぶん、自分で自力を捨てるってことなんですね。きっと、クリエイティブなことは他力的なんですよ(笑)。

このやり方では、どんなベテランのイラストレーターであっても、〆切までに依頼に沿うイラストが完成しない可能性があります。予定通りに進まない恐怖感にさいなまれながらも、中川さんは「絶対に面白いものになる」と“他力的”に描くことを選んでいるのです。だけど、こうして完成させた作品が、「思ったとおりに」受けとめられるかどうかはまた別の話ではないでしょうか?

そうですね。世の中にほうりだしたとたんに、受け取った人はまったく違う受け取り方をしているもので(笑)。最初はそれにすごい戸惑ったんですけど、投げちゃったらそれはもう受け取った人のものだから。純粋に自分がいいと思える絵を描いて、受け取った人のなかで育ってくれる作品をつくりたいと思います。

中川さんにとっての「絵」を、自分が一番大切にしている「何か」に置き換えてみると、「他力に生きる」ことのヒントが見えてきそうです。私もこれから「他力的に書く」ことを念頭に置きながら仕事していこうかな……なんて思っています。

インタビューの最後に、「二足のわらじを履く良さ」をあらためて質問してみました。

ふたつ仕事を持つのはお薦めです。ひとつだけ、これしかないという生き方だと、逃げ場所がなくなるからしんどいと思う。ふたつあったら、常にどちらかの仕事から逃げているわけだから、逃げ場所があるんです(笑)。

たしかに、「仕事だけ」「家庭だけ」「子どもだけ」と、「○○だけ」に集中してしまうとどこか息詰ることがあるように思います。ほどよく自分に逃げ場所を持たせながら、目の前の仕事には真剣に取り組む。これもまた、自分を「他力的にする」ひとつのやり方なのかもしれません。

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杉本恭子

杉本恭子

大阪生まれ。同志社大学卒業。学生時代は非日常空間で紡がれる関係性に興味を持ち、コミュニケーション論を専攻。卒業後は、書籍・雑誌の編集からウェブメディア制作まで幅広く携わる。現在はフリーライターとして、インタビューを中心とした取材・執筆活動を行う。

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