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はたらくお坊さんにインタビュー

坊主めくり、アゲイン 〜二足のわらじ編〜

禅OSに臨床心理アプリを走らせるお坊さん – 普門寺 副住職 吉村昇洋さん(広島県広島市中区)

2016.08.08

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吉村昇洋さん
NHK文化センター梅田教室にて。講演後の吉村昇洋さんにインタビューをさせていただきました

吉村昇洋さんは、広島市内中心部にある曹洞宗のお寺・普門寺の副住職さんです。永平寺で2年2ヶ月の修行の後、臨床心理士の資格を取得。現在は、臨床心理士として週2日病院に勤めながら、多彩な活動を展開されています。

私が吉村さんのことを知ったのは、「彼岸寺」の最長寿連載「禅僧の台所」から。ロジカルで無駄のない文章から「厳格なお坊さん」を(勝手に)想像していたのですが、お会いしてビックリ。クールな理系風イケメンなのに、そこはかとなく漂うお茶目感、そしてやたらと話の引き出しが多くて……ひとことで言うなら「めっちゃオモロいお兄さん」だったのです。

その後、吉村さんの著書「気にしなければ、ラクになる。(幻冬舎エデュケーション刊、「気にしない生き方(幻冬舎)新書」に改編)」では、「女子のお悩みをぶつけるインタビュアー役」をするご縁もいただくことになり。これまでお会いした時間の9割はインタビューしているという、ちょっと不思議な関係でもあります。

さて今回は、「禅OSに臨床心理士アプリが走る」という吉村さんをめくるインタビューをさせていただきますよ。

吉村昇洋(よしむら・しょうよう)

1977年広島生。普門寺副住職。1993年駒澤大学仏教学部卒、2002年同大学院人文科学研究科修士課程を修了し福井の永平寺に上山。2004年に乞暇後、永平寺史料全書編纂室を経て、広島の自坊に戻る。2010年広島国際大学大学院実践臨床心理学専攻専門職学位課程修了。近著に「禅に学ぶくらしの整え方」(オレンジページ)があるほか、「心が疲れたらお粥を食べなさい」(幻冬舎)や「週末禅僧ごはん」(主婦と生活社)など著書多数。

http://www.zen-fumonji.com/

寺院数日本一の宗派・曹洞宗には兼業僧侶が多い?

実は、曹洞宗は日本伝統仏教では最も寺院数の多い宗派。全国の7万7000カ寺のうち、約1万4500カ寺が曹洞宗です(宗教年鑑平成26年度版より)。しかし、一カ寺あたりの檀家数は他宗派に比べると多くなく、小規模寺院が多いのも曹洞宗寺院の特徴。つまり、兼業するお坊さんが最も多い宗派でもあります。

お坊さんたちの兼業職種もいろいろで、地元の役場の公務員や学校の先生など定番の兼業職のほか、宅配便の配達員やいわゆるガテン系のお仕事をするお坊さんもいらっしゃるそう。しかし、吉村さんが兼業するワケは経済的な理由ではありません。

吉村さんは、「(このご縁のなかにある)自分にしかできないことがあるのでは」と、「強い思いをもって臨床心理士の資格を取得した」と言います。少し時をさかのぼって、その「強い思い」が生じるまでのご縁をたどってまいりましょう。

お坊さんは生まれた瞬間から“進路問題”に直面する

普門寺の門前より境内をのぞむ。お庭はいつも美しく調えられています。
普門寺の門前より境内をのぞむ。お庭はいつも美しく調えられています。

吉村さんは、姉と妹の間に生まれた第二子にして長男。生まれた瞬間から、周囲からお寺を継ぐことを求められ、レールを敷かれた人生が始まった……というふうに、物心ついたときには感じ取っていたそうです。

直接誰かに「お寺を継ぎなさい」と言われたわけではありませんが、ずっとその外圧を感じていました。自分は一度として「僧侶(住職)になりたい」と決めてはいないのに、「あなたの将来は住職ですよ」と周囲に決められてしまう不自由さ、理不尽さですよね。こんなことがまかり通るのかと反発し続けました。

仏教と名のつくものはすべて避けて、「精神科医になりたい」と地元の進学校に進学。大学受験では、生物学を学べる国立大学を志望しつつも、「いちおう、滑り止めとして」曹洞宗の宗門校・駒澤大学も受けたそうです。ところが、ここで吉村さんの気持ちに変化が起きます。

国立大学にも合格したのですが、受かったらぽっかり穴が空いたというか…。目標を達成すると、ふと仏教の大学に行ってもいいかなと思ったんです。

ここが吉村さんらしいところだと思うのですが、あんなに避けていた仏教にふと興味を持つきっかけになったのは、高校3年生のときにたまたま手に取ったマンガ「孔雀王 退魔聖伝」(作・荻野真)。「仏教とは、なんとすそ野の広い世界観なのだ!」とビックリしたのだそう。

真言密教をベースにした、しかも仏教らしくないマンガなんですけどね(笑)。仏教にはこれほどハチャメチャな世界観を繰り広げられる何かがあるのなら、研究者になれるくらいにちゃんと勉強してみたいと思いました。

ちなみに、「孔雀王」および「孔雀王退魔聖伝」は、1985〜92年にかけて「週刊ヤングジャンプ」に連載された人気マンガ。実は、「孔雀王がきっかけで…」というお坊さん、他にもちらほらいらっしゃるようですよ。

「孔雀王」からの仏教、「FBI心理分析官」からの心理学

18歳の春、駒澤大学に入学した吉村さんを待っていたのは、「継ぎたくて継ぐわけじゃないんだけどねぇ」とため息をつく寺息子の同級生たち。「なーんだ、悩んでいたのはオレだけじゃなかったのか」と肩の力が抜けた吉村さんは心機一転。「お寺を継ぐと決めたからには、ちゃんと勉強しよう」と決意を新たにします。

学生時代の吉村さん。思わず髪の毛を手で隠して確認、うーん、たしかに同じ顔だけどこんなにも違うなんて!
学生時代の吉村さん。思わず髪の毛を手で隠して確認、うーん、たしかに同じ顔、しかしこんなにも違うなんて…。恐るべし、修行before/after!

宗教学のゼミに入り、「信仰とは」「教団とは」「宗教の構造とは」と、相対的な視点から宗教を掘り下げる学問のあり方に魅了される一方で、心理学研究会というサークルでも活動。ちなみに、心理学に興味を持ったのは、元FBI捜査官のロバート・K・レスラーが書いた「FBI心理分析官」シリーズにハマったことをきっかけだったそう。

えっ、「孔雀王」のつぎはベストセラー本…(ミーハー?)と思っていると、「いやあ、犯罪心理学のプロファイリングとかやってみたくて」と吉村さん。「僕、ものすごい影響を受けるんですよ。世の中に」と爽やかな笑顔です。

ところが、入ったサークルは臨床心理学が中心で。臨床心理学の方法論や考え方は、コミュニケーションスキルとして自分自身でも使えるものだとわかって、「面白いなあ」と思ったんですよね。それで、自分のために勉強し始めたらどっぷりハマっていったんです。

大学4年生になると、吉村さんは「仏教系の大学院に進むか、心理系の大学院に進むか」と葛藤しましたが、「どっちもやる」と決めてまずは仏教学大学院を目指すことに。すると、今度は仏教の面白さにハマってしまったそう。「一番最初に『仏教って面白い!』と思ったのはどんなこと?」と聞いてみると、吉村さんは「四法印」と即答しました。

「四法印」、今でも大好きなんですよ。「諸行無常、諸法無我、一切行苦、涅槃寂静」という仏教の世界認識の方法は、心理学とはまた別なベクトルで人の心とその苦しみにどう対応するのかを体系化しようとするものなんだ、と知って「めちゃくちゃ面白い!」と思いました。心理学を知らなければ、そこまでの感動もなかったかもしれない。上手くリンクしたんですよね。

吉村さんとお話していると、かなりの頻度で「めちゃくちゃ面白いんですよ!」というセリフが飛び出します。そしてその面白さを共有してくださるときの表情や声を聞いていると、「え、もっと教えてくださいよ」とついこちらも前のめりに…。これはライブでしか体験できないことなので、ぜひみなさんにも一度吉村さんの講演や講義に参加してください!

心の問題は、仏教の専売特許ではありません

大学院で学びを深めるに従って、「仏教を自分のものとして捉える作業も必要だ」と考えた吉村さん。「早く修行をしたい」という思いを募らせるようになりました。大学入学まで「お坊さんになんかなりたくない」と思っていたことがウソのような大変化、本当にビックリですね。

修士論文を書いていると、どんどん仏教の知識が入ってくるので、「早く修行したい、早く修行したい!」という思いが強くなっていくわけですよ。仏教というのは、発心、修行、菩提、涅槃の流れにあるなら、今のオレは発心している!じゃあ、次は修行だ!そうすれば菩提があるに違いない!と一途に思ったんですよね。

典座寮での経験を生かして、普門寺で精進料理教室を開催。吉村さんご愛用の包丁を見せていただきました。
典座寮での経験を生かして、普門寺で精進料理教室を開催。吉村さんご愛用の包丁を見せていただきました。

2年2ヶ月の修行期間では、ひそかに希望していた大庫院(修行僧のほか、仏さまへのお供えや来客の食事をつくる典座寮の一つ)、参拝者に諸堂を案内する伝道部、永平寺にある資料を保管する聖宝閣、参拝者の受付をする受処、道元禅師にお仕えする侍真寮などを勤め上げて乞暇(こうか)。いよいよ、臨床心理士の資格取得の準備に着手しました。

「発心から修行」を歩む吉村さんにとって、僧侶として臨床心理学を学び資格を取ることは、新たな意味を持ちはじめていたようです。

仏教では、「どんなに苦しい、悲しいことであっても、すべては自分の心のはたらきだ」と言います。これを共有できたらもっと面白いし、気持ちも楽になるだろうと思うけれども、世の中を見渡すと仏教がその機能を果たしてきたことはあまり知られている気配がない。それに、今の日本で自分の苦しみと向き合う時に「お寺に行こう」というのは、果たして現実的な選択肢になりえるのかという疑問があって。

なぜかというと、現代は「なんだかわからないもの」を容認していた昔とは違って、システムやメカニズムに関心が向きやすい時代です。ある程度科学的なものをベースにしたほうが受け入れやすいかなと思うんです。

「医学的なアプローチは、医療業界に任せておけばいい」「それは宗教者が踏み込まなくていいのでは?」という意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、吉村さんは「大切なのは方法論よりも僧侶が心の問題に関わろうとする姿勢だと思う」と言います。

心の問題は仏教の専売特許ではないし、必ずしも「坐禅でしか救われてはいけない」ということはないわけですよ。どんな方法であれ、その人が自分と向き合って自分の力で改善していくお手伝いをできればいいのであって、臨床心理士の資格によって「この人は心の専門家だ!」と目の前の人に安心感を持ってもらえるなら、それに越したことはないと思うんですね。

禅OSに臨床心理アプリを走らせて

身体の姿勢、合掌の手の形の美しさ。どうしたらこんなにキレイに合掌できるんだろう?とため息が出るほどです。
身体の姿勢、合掌の手の形の美しさ。どうしたらこんなにキレイに合掌できるんだろう?とため息が出るほどです。

吉村さんは、臨床心理学の方法論や考え方を、葬儀や法事の場にも結びつけています。枕経やお通夜では「話すのは1割、聴くのが9割」というほどに、お檀家さんのお話に耳を傾けているそう。ご遺族が、話を聴いてもらうことを通して、自分の気持ちを整理していくお手伝いをしたいと考えているからです。

葬儀の場では、親しい人を亡くして誰もがダメージを受けています。その人たちに直後に関われる専門家って僧侶だけですよね。グリーフ(悲嘆)の場において、僧侶がどう機能していけばよいのかを考えるうえでも、緻密に体系化された臨床心理学は役に立っています。

葬儀の場において、吉村さんは僧侶と臨床心理士のどちらもの立場で、臨床経験を積んでいると言えるかもしれません。ところで、吉村さんにとって「僧侶」と「臨床心理士」というふたつの立場は、どのように整理されているのでしょうか?

臨床心理士たる私のベースはやはり僧侶。「禅OSに臨床心理アプリを載せている」ということになりますね。同じように臨床心理学を扱うにしても、禅仏教をベースにする分、非常に広いものの見方になるし、人間観に関する知見が歴史的にも情報量としても仏教は膨大ですからね。いろんな人が対象となる臨床心理の現場で、慌てることが少なくなります。

近年は、精進料理の講師、著書の執筆、講演などにも活動の幅は広がり、もはやわらじの数はいくつあるのかわからないほど。とても忙しい日々を送られていますが、吉村さんはとても楽しそうだし、「自分を存分に生かせている」という確かな手応えを感じておられるように見えます。

そうですね。もう、私が仏教の一部であるとわかったので、何足のわらじでも履けるんです。特に、禅仏教の場合は一挙手一投足すべてが仏道修行であると明確に言いますから。一つひとつの普段の行いのなかに禅があり、それを感じながら生きていくことが大事なのだと思います。

「禅僧って自由な生き方、あり方のことですから」と言う吉村さん。禅OSもどんどんスマート化して、もっといろんなアプリが走るようになるのかも? また近いうちに、吉村さんの禅OSがバージョンアップするタイミングで、お話を聞かせていただきたいと思います!

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杉本恭子

杉本恭子

大阪生まれ。同志社大学卒業。学生時代は非日常空間で紡がれる関係性に興味を持ち、コミュニケーション論を専攻。卒業後は、書籍・雑誌の編集からウェブメディア制作まで幅広く携わる。現在はフリーライターとして、インタビューを中心とした取材・執筆活動を行う。

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